白楽天(白居易)

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白楽天が生まれたのは、李白が亡くなって十年後、杜甫の没後二年であり、盛唐の詩人が相次いでなくなった後である。同年代の詩人には、劉禹錫、柳宗元、韓愈らがいる。中唐期を代表する詩人である。生まれたところは、鄭州(河南省新鄭県)。祖先に秦の名将武安君白起をもつと言う。代々地方官吏の家系であるが、白楽天は聡明であり29才(786年)進士科に合格し、32才で仕官してエリート官僚の道を歩むこととなる。10才代から詩才を発揮し、「賦得古原草送別」や「王昭君」などがある。35才の時、友人達と長安の西の馬嵬近くの仙遊寺に遊び、折りしも玄宗と楊貴妃の悲劇50年後にあたっており、勧められて作詩した「長恨歌」が、当時、大ヒットしたと言う。白楽天の詩は、物語性の長編詩が多い。時を経て作風が変化し、風諭、閑適、感傷、雑律の四つに分類されるとのこと。晩年は、洛陽に隠居し、酒を愛し酔吟先生と自らを号し、仏教に帰依し、自然を楽しむ閑静な境地に入っている。「対酒」五首などがある。75才洛陽にて天命を全う。