石井竜也 SYMPHONY CONCERT D-DREAM
DRAGON DREAM ORCHESTRA 2001



12/17(月)、12/18(火)公演 一観客「身勝手」レポート part2
東京 Bunkamura オーチャードホール
   指揮者:稲田 康、オーケストラ:東京ユニバーサルフィルハーモニー管弦楽団
   ゲスト:17日--チェン・ミン(二胡) coba (アコーディオン)
     18日--チェン・ミン(二胡) 東儀秀樹(雅楽)



MC

ACRIはオーストラリアで撮ったんですが、スモーキーケープ岬という素晴らしい景色の岬があるんです。映画では灯台のシーンをとりましたけど。その岬にロケハンしたときに浮かんできたメロディが『水の星』になったんですね。
だいたい景色とから空をみているといいメロディが浮かんでくるんですよ。イタリアでも草原を見ていて浮かんできたのが『草原の日−風−』という曲になったりして。…自分の生活空間と違うところにいると、それに感動して、触発されて曲ができていったりするんですよね。
僕は米米時代から歌詞に景色を入れたいと思ってきたんですが、狭い国で育った自分は、やっぱり広い景色にあこがれるんですね。オーストラリアの空が、縦じゃなくて横に広がっているのを見たときは、『自分はやっぱり狭い国に育っているんだなぁ』と思いました。島国じゃなくて大陸の景色はそれだけ違うんですね。
こりずに3本目を、撮れれば、撮ってみたいと思います。
さて、ここでまたチェンミンさんに出ていただきましょう(チェンミン入場)。
ここでちょっと日本情緒というか、アジアンテイストのものをやってみたいと思います。


古都

(1日目)
 BSデジタル『純美学』のエンディングテーマとして流れていたこの曲は、ピアノの独奏から始まった。静かな会場内にピアノの優しい音が広がったゆく。
最初のメロディを踏襲しながらも、変化し高まる旋律、その連なりにクレッシェンドし、ダカーポから終わりに向けてデクレッシェンドする。結局1番全部がピアノの独奏で締めくくられた。
2番で、旋律は二胡に引き渡される。ピアノの、打楽器特有の減衰してゆく音に対して、二胡の音は後半になるほど伸びて響く。全体がスラーのひと連なりの音で演奏される『古都』は、先ほどのピアノとは全く趣を異にしている。これが『楽器が歌う』ということなのだろうか?などということが頭をかすめる。
盛り上がりの箇所から二胡はオクターブ下を演奏する。1弦(本当は2弦)ゆえの音域の狭さだろうか。
歌い出しを二胡が、次いでピアノが引き受け、ストリングスが旋律を下支えする。全体としてゆっくり高まる音楽に全てを委ねる。それまでの経過を全て引き受けたピアノが、密かにディミニエンド、静かに終了した。

(2日目)
 東儀秀樹を招いてのこの日の『古都』は、やはりピアノから始まった
譲り渡された旋律を篳篥(ひちりき)が盛り上げてゆく。直線的にも思われる篳篥の強い音が、こちらにまっすぐに届くのではなく、場内を大きく経巡ってから伝わってくる気がする。ここでも『楽器が歌』っているのだと感じる。これも演奏者の技量なのだろう。
ダカーポからの繰り返し部分を、篳篥はオクターブ上で演奏する。この楽器は1オクターブと2音しか音域がないと聞いた。演奏上しかたのないことなのだろう。しかしそれが気にならない。むしろ途中でオクターブを上下することで、人の声と同じ自由度を感じる。東洋の楽器は、音域を犠牲にして『歌わせることのできる』音色を手に入れたのだ、そういう気がした。
曲の終わりは篳篥の空(くう)へと抜けてゆくような、場内を包み込むような優しい音であった。一瞬の静寂をおいて大拍手がおこる。皆、余韻を感じていたのだろう。


言の葉

(1日目)
二胡による前奏が始まる。CDに収録されているフルートヴァージョンよりも音数が少なく、ゆったりとしたメロディである。
石井の歌い方も朗々として、フェイクをあまり使わない。それがよりこの曲の雰囲気を伝えてくる。
バズーンの低音が旋律を下支えし、ハープとストリングスのやさしいつま弾きも好ましい。
サビの♪あぁ会いたいと、あぁ刻んでも、あたりで所々に入るヴァイオリンの三連ピチカートが、小鳥のさえずりとも、河床にあたってはじける水音とも感じられる。

(2日目)
二日目の前奏は二胡ではなく、篳篥が務める。東儀氏が奏でる一つの長音が、始まりと終わりで微妙に変化するのがわかる。彼の中では一つの音ではないのだろうなぁ、と思いつつ聴く。
夕暮れ時を思わせる橙色の照明が左右の壁に放射され、ステージの天井近くを雲が流れる。歌詞にもあった『茜雲』だなぁ、と思いつつ耳を凝らした。


春雷

(1日目)
ピアノの低音の、重く、宿命を感じさせるような律動の上に、二胡の強さのある旋律がかぶさる。CDではピッコロで表現されていたものが、二胡の音色と相まって、空へとぬけてゆくのではなく、もっとちゃんとした『形』として提示されているようだ。
ここでも二胡の音は、途中でオクターブ下に潜ってしまう。他のストリングスたちと混ざり合ってしまい、鮮明さを欠く。残念である。
ダカーポ前のヴァイオリンのピチカートが、なぜか三味線のつま弾きにも思われる。全体に和風なテイストだから、耳までそれになっているのだろうか。

(2日目)
もちろん東儀氏による篳篥が旋律をとる。しかしやはり音域の狭さが気になる。前奏の後半部の「上がって降りて」が、平板になってしまう。原曲の旋律が頭にこびりついてしまって、どうにも修正できない自分が恨めしい。
それでも聴くうちにしだいに慣れ、篳篥の音の強さを感じるようになる。ぶーん、といった葦のリードのうなりまで感じるような気がする。楽音以外の『音』の存在というのが、古楽器特有の味なのかもしれない。


アイシュウ

(1日目)
 さーっという雨音とともに遠雷が低く聞こえる。コンガとフルートにより前奏が開始される。二胡の旋律が懐かしく聞こえて目頭が熱くなる。少し民謡っぽく、少し文部省唱歌の匂いもする、郷愁を感じる旋律である。
五七調(少し破調)で統一された歌詞は、歌い出しが母音で統一され、その音(おん)が歌の優しさやさみしさを一段と引き立てている。
♪あ〜いたくても
、の「あ〜」が石井の胴体からまっすぐ出ている声なのが、とてもうれしい。鼻声やのど声に逃げていない、だからまっすぐ観客に伝わってくる。語尾の修飾音符も、嫌みにならず好ましい。自信を持って歌っているのがわかる。
歌の最後のフレーズ(♪いま、追いかけても…)で石井の声と同旋律を二胡が奏でる。声と弦、交ざり合った旋律が優しくてせつなくて、泣いているつもりなどなかったのに、気づくと涙が伝っていた。

(2日目)
 2日目は曲順が若干違っているが、1日目を踏襲する形で書かせていただく。
 前日にも感動したこの曲は、編曲が少し変わっていた気がする。たしかチェンミンの二胡がなかったように思うのだ。そのぶんストリングスのアンサンブルがよく聞こえた。この日は歌詞がとても耳に残り、全ての演奏が終わった後、頭の中をリフレインしていたのはこの曲だった。

 

(1日目)
MC
(トークコーナーを終え、Coba氏がチューニング中のトーク)
 アコーディオンという楽器はメロディを奏でるだけではなくて、リズムを自分で作らなきゃならない。そこが本当に難しいんだと思うんですけれども。それではCobaさんのリズム感とメロディをお楽しみください。


夢駆ける】 

 アコーディオン奏者coba氏の楽曲である。
躍動的な曲調
に、きれのいいスタッカート、そのパーカッションライクな演奏に胸がどきどきする。
先ほどまで演奏されていた曲が、ゆったりとうねるようなものばかりだったせいか、ちょっと目を見張る感じだ。
そのまま歌詞をつけて歌ってしまいたくなるような、わかりやすくて心の弾むメロディが楽しい。
本当に「夢が弾んで野山を駆け回っている」ような感じ、初めて広い世界に飛び出した子犬のような、と言ったらよいか。心の底からうきうきする曲だ。
後半、即興演奏があり、身体を揺すりながら全身を使って弾くCoba氏の姿がとてもすばらしい。オーケストラがアコーディオンに引っ張られていくような印象を受けた。
アコーディオンというと、哀調を帯びた長音か、それでなければアルゼンチンタンゴのような短調のリズムを思い浮かべてしまいがちだけれど、こういう明るい曲もアコーディオンの特長が生きている、と思った。

NEW ASIAN】 (2日目)

 2日目、東儀秀樹氏の楽曲である。たしか氏の『TOGISM 2000』に収録されていたと記憶するが、篳篥独特の節回しと言おうか、音がじんわりせりあがってゆく感じが心地よい曲である。
 通常は全曲を通じて篳篥が旋律を奏でるが、今回はフルートと交互に演奏するという編曲となっていた。

浪漫飛行

(1日目)
Coba氏を迎えての浪漫飛行は、先ほどの『夢駆ける』の延長で聴くせいかもしれないが、とても明るい。なによりアコーディオンの刻むリズムが心地よい
コンガとギターのリズム隊にピアノが加わり、さらにCoba氏のアコーディオンが入り、いわゆるオーケストラバージョンという感じではなく、かといってドラム、ベース、ギターといった編成のバンドバージョンとも違う、石井の言うとおり『Cobaバージョン』としか言えないユニークなものだった。
曲調にあわせたのだろう、2番の後半からステージのバックが明るくなったのが印象的だった。
石井本人も気に入ったらしく「浪漫飛行とアコーディオンの音色があっていますね」と満足げな様子だった。

(2日目)
1日目と同様コンガとピアノがリズムを作る。歌い出しからサビまではチェロやダブルベースなどの中低音楽器が下支えをする。2番にはいるとそれが2ndヴァイオリンに交替し、そして1stヴァイオリンへ。さらに♪なにもかもが〜、からはオーボエがメロディに加わり、オーケストラならではの音の厚い編曲だった。




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