「サギ草伝説」のヒロイン 常盤ゆかりの地を巡る
世田谷区、世田谷城址公園
世田谷城主の吉良頼康は世田谷付近を治めた小豪族でしたが、源氏の正統足利将軍家の一門と いう名門の家柄と言う事で多くの側室がいたようです。その側室達は近隣小豪族の姫も多かった ようで、これら周辺の名も無い豪族たちにとっては、足利一門の吉良家と姻戚関係になるという のは大変名誉な事で、一族の勢力拡大にも繋がる事だったようです。古くは平安時代の藤原道長 や平清盛が娘を天皇の后として勢力を伸ばし、さらに鎌倉の北条時政は娘正子を源頼朝に嫁がせ て幕府の実権を握ったのは有名な話です。また吉良家としても、武力に頼らずとも近隣の豪族た ちを懐柔できるので、小豪族としては不釣合いなほど多くの側室を抱えていたのでしょう。そう して多くの側室が集まれば、それぞれの実家の命運を掛けて他の側室を蹴落とそうと、江戸時代 の大奥さながらの陰謀を巡らして、そこでサギ草伝説が生まれたのかも知れません。 ストーリーとしては・・・「頼康には多くの側室がいましたが、一番気に入れられていた常盤 が身篭ったので、他の側室がそれを妬み常盤の不義密通の噂をでっち上げました。頼康が噂を信 じて常盤を遠ざけたので悲しんだ常盤は身重の身で城を抜け出し、途中の田圃の脇で潔白を訴え る辞世の歌を詠み、それを白鷺に託して自決してしまいました。その後、その場所からサギ草が 生えて花を咲かせました。」というような話ですが、世田谷区の説明板によっても少しずつ話が 違っていて、「偶然狩に出ていた頼康が飛んでいた鷺を射落としたところ、足に常盤の辞世の歌 が結んであって常盤の潔白を知ったのですが、その鷺の落ちた場所からサギ草の花が咲いた。」 というバージョンもあるようです。 この話は伝説となっていますが、案外似たような事実があったのではないでしょうか。鷺云々 はともかく、常盤は奥沢城主大平氏の姫との事なので、実家の期待を背負って世田谷城に入り、 めでたく頼康の子を身ごもった事で他の側室達の妬みを浴びてしまい、身の危険を感じて実家の 奥沢城へと避難しようとしたのではないかと思います。常盤が葬られたとされる常盤塚があるの は上馬5−30の地で世田谷城の南東方向となり、さらに南に現在の九品仏となる実家の奥沢城 があるので地理的にも合点がいくのです。 そんな訳でサギ草伝説の縁りの地を巡って見ました。
アクセスガイド世田谷城址・・・東急世田谷線 宮ノ坂駅より東に徒歩約400m 奥沢城址・・・・東急大井町線 九品仏駅より北に徒歩約500m 常 盤 塚・・・東急世田谷線 松陰神社前駅より南東に徒歩約400m 駒留八幡神社・・東急世田谷線 松陰神社前駅より南東に徒歩約600m 常 在 寺・・・東急世田谷線 世田谷駅より南に徒歩約500m
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