一之江名主屋敷

江戸川区春江、田島家屋敷 




 本章の城址については、名主とはいえ農家の屋敷をどうして城として取上げるのか疑問に思わ

れるかも知れませんが、この一之江名主屋敷は屋敷地の周囲に濠を巡らすなど中世土豪の方形館

のような屋敷構え(注1)を今に伝える豪農屋敷なのです。主である田島家の先祖は田島図書と

いう豊臣方の武士だったのですが、江戸時代の初めに刀を捨てて、当地に土着し屋敷を構えたと

されています。その頃の一之江周辺は江戸川下流部の湿地帯や原野だったのですが、田島図書が

率先して新田開発をしたので、代々に渡って特権的な地位を与えられ代官のような役割を任され

ていたようです。それを覗わせるのが田島家に伝わる古文書や当屋敷の土豪的屋敷構えで、敷地

の北側などには今でも環濠の一部が残されています。


     長 屋 門


 今は埋め立てられています

が、かつては門の左右にも濠

が巡っていました。また右手

の潜り戸の脇には門前を警戒

するための武者窓もあって、

周囲の濠とともに名主屋敷の

格式を伝えています。







     名主屋敷


 門を通ると中庭を囲むよう

に主屋が建っています。その

正面には間口二間の大玄関が

あり、次の間を経て身分の高

い来客を通す奥座敷と続いて

いて、土豪屋敷の様式を残し

ています。






     北側の堀


 現在見られる堀は水も無く

また幅も狭いのですが、かつ

ての一之江周辺は一面の低湿

地だったので、排水の役割も

兼ねた広い濠だったと思われ

沼地の中に浮かぶ水城のよう

な屋敷だったのでしょう。






     西側の堀


 西側の屋敷林の中にも最近

整備されたらしい堀が見られ

ます。また、主屋の北側には

屋敷畑があり貴重な薬草等が

植えられていたそうです。

ある程度の生活必需品は屋敷

内で調達するという事も土豪

屋敷の名残のようです。


注1・・・・ この屋敷の存在は以前から知っていましたが、どの書籍でも城とは分類されてい

      ませんでした。しかし埼玉県東南部の環濠屋敷を巡ってみると、これと同じ様な生

      い立ちで、構えもよく似た屋敷が日本城郭体系で城として紹介されていました。

      例えば北葛飾郡庄和町金崎の石川氏屋敷、同郡杉戸町深輪の関口氏屋敷などで、い

      ずれも江戸初期頃に土着したり新田開発をして、そのまま名主となった豪農の屋敷

      で、一之江と同様に環濠と屋敷林に囲まれて建つ方形館なのです。また八潮市八条

      の水田地帯の中にも水城のように浮かぶ和井田家屋敷があり、中世土豪屋敷の様子

      を今に伝えています。和井田家屋敷は国の重文指定を受けて見学可能となりました

      が、この一之江屋敷も都の史跡として原則公開されているので、屋敷内の様子等を

      つぶさに見学する事が出来ます。



    アクセスガイド


  一之江名主屋敷・・・都営地下新宿線 瑞江駅より北西に徒歩約900m






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