「雪風」のごとく

(前頁より)



『雪風』は、昭和16年12月8日太平洋戦争の開戦から昭和20年8月
15日の敗戦の日まで、数多の海戦に出動し、戦後は復員軍人の輸送
に従事した駆逐艦であった。

戦争中は数多くの駆逐艦が建造され、海戦に出撃し、輸送船団の護送
や自ら物資の輸送の任務を果たし、そして沈められていった。

その中で『雪風』は、戦争の最初から最後まで生き延びたたった一隻の
駆逐艦である。強運に恵まれた名駆逐艦と呼ばれている所以である。
だからこそプラモデルとして、世界のマニヤから愛されている。



しかし生き延びたのは強運だけではなさそうだ。豊田先生は、こう書か
れている。
「 雪風は幸運の駆逐艦と呼ばれるが、単に幸運なのではない。幸運を
招き寄せるには、卓越した艦長の判断と、これを支える部下たちの不断
の努力が必要なのである」

開戦の当初から戦後にいたるまでの艦長と『雪風』の活動振りを、この
ご著書によりまとめてみよう。

3代目 飛田健二郎 中佐 開戦前より昭和17年6月まで
                  酒豪、見かけはいかめしく、一見豪傑風
                  であったが、実は緻密な性格、本当は心
                  の優しい人、
                  強気でユーモラスな薩摩隼人として若い
                  兵士から慕われていた

4代目 菅間良吉 中佐  昭和17年6月より昭和18年12月
                 物静かで落ち着きがあり、どこか女性的な
                 感じの人
                 見かけより芯が強い人 爆撃回避の名人
                 だから要員も安心している
                     南太平洋海戦の血闘
                     第三次ソロモン海戦
                     ガダルカナル撤収作戦
                     ビスマルク海戦
                     コロンバンガラ沖夜戦

5代目 寺内正道 少佐 (中佐)   昭和18年12月より昭和20年5月
                 髭の豪傑「強運」艦長。酒豪、部下は可愛
                 がるが上官の無理な命令にはたてつく性格
                 なので、大尉を長くやり、前線勤務が長いの
                 に、進級が半年は遅れているという人物
                     輸送船団護衛
                     マリアナ沖海戦
                     レイテ沖海戦
                     「大和」出撃護衛

戦後の活動         昭和21年2月より昭和21年12月
                 復員軍人輸送のため、中国や南方へ15回
                 出動(延べ1万3千人を輸送)

台湾へ            昭和22年4月
                賠償として中華民国へ引き渡し、『丹陽』と改名
                される。

保存の動き         日本が経済的に復興したので、『雪風』永久
                保存のため関係者が動いたが、時既に遅く、
                『雪風』は解体されていた。

返還             昭和46年12月(太平洋戦争開戦後30年)
                『雪風』の舵輪と錨が中華民国より返還され、
                江田島の旧海軍兵学校教育参考館に保存さ
                れている。



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