ポール・マッカートニー卿、アイルランドの古城で再婚(1)

相手は元モデルのミルズ嬢


 2002年6月11日のBBC News WORLDは、元ビートルズのポール・
マッカートニー卿の再婚を大々的に報道している。

 日本の新聞やテレヴィは、目下サッカーW杯の熱戦と、防衛庁問題
などの報道に追われているので、異国の歌手マッカートニー卿の
粋な再婚は6月12日の夕刊(朝日)に小さく報じられているに過ぎない
から、見過ごした方もいるであろう。

 憶良氏は音痴ではないが音楽的才能は平凡であり、芸能界の情報
や知識には極めて疎く、格別ビートルズにのぼせていたわけではない。

 しかし、世界の若者を魅了し、一世を風靡し、今なお愛唱される歌を
残し、その功績によりエリザベス二世女王から「MBE」や「サー」の称号
を受けたヴォーカル・グループや歌手である。

 とりわけ彼らの歌がヒットしていた1970年代に、憶良氏家族はロンド
ンに駐在していたので、4人の子供たちはかなりの影響を受けている。
 そこで、今回憶良氏がちょっと興味を持った部分を紹介しよう。


1 新聞報道の敬称に異議あり

 6月12日の同紙夕刊は、彼を「ポール・マッカートニーさん」と「さん」
付で報道している。
日本では貴族の呼称は廃止されているが、英国では残っている。
ビートルズは音楽産業に貢献したという評価で、1965年に女王から
「MBE」という叙勲を受けている。さらにポール・マッカートニー卿は
1997年1月に騎士(knighthood)の叙勲を受けている。

 (注)「MBE」(Members of the order of the British Empire)
    大英帝国彰勲章
    ビートルズがこの勲章を受けるとの発表に、いろいろと抗議
    があった。多くの叙勲者から返送されたという。ビートルズは
    叙勲を受けお高くとまろうと考えたのではない。たかが叙勲
    でカンカンになる連中を、もっとカンカンにさせようと貰ったと
    の内輪話である。(ハンター・デヴィス著「ビートルズ」)

 したがってBBCも、その他の報道機関も、必ず"Sir Paul McCartney"
というように"Sir" の敬称を最初につける。それが社会通念であり、
常識である。

 日本では貴族制度がないから「さん」と報道するのだというのかもし
れない。朝日新聞独自の判断であろうが、国際感覚からすればおか
しい。彼らが元歌手であろうと競馬の騎手であろうと、「Sir」は「サー」
なのである。

 例えば大統領制の共和国、例えばアメリカの新聞は、アメリカには
天皇制がないからといって「アキヒトさん」"Mr.Akihito"と報道するよう
な非礼はしない。

 もし当HPの来訪者に、NHKも含めて日本の報道界の方々がいら
っしゃれば、一度よく社内で考えてもらいたい。敬称を間違えるのは、
国際的に大変恥ずかしい、非常識な報道なのだから。

 憶良氏は貴族制度が良いとか悪いとか言っているのではない。
その国に社会制度として公認の称号があれば、そのタイトルを日本
流に翻訳して日本国民に報道すべきではなかろうかと、極めて常識
的所見を述べているに過ぎない。
(平素朝日新聞を相応の敬意をもって愛読し、資料として利用してい
るので、同紙を格別に批判しているのではない)

 ということで憶良氏は国際的常識に立って、マッカートニー卿の敬称
を付けるので、ご了承願いたい。

  2 ポール・マッカートニー卿の再婚、祝福もW杯

 この際憶良氏は、女性週刊誌の記者になったつもりでBBC報道を
もとに新婦ヘザー・ミルズさんとの再婚の話題を紹介しよう。

 1942年リバプール生まれのマッカートニー卿は、1969年リンダさん
と結婚した。しかし、音楽活動でもパートナーだった愛妻リンダさんは
1998年にガンで亡くなった。

(注)ハンター・デヴィス著「ビートルズ」(The Beatles)によれば、
   1963年ごろから女優ジェーン・アッシャーさんと恋愛し、同棲。
   1967年には婚約し、1968年にインドにも同行している。
   しかし1968年暮れにはリンダさんと彼女の前夫との子とともに
   ポルトガルのデヴィス宅に現れて、1969年結婚生活に入っている。
   知的階級出身で女優として自立しているジェーン・アッシャーさん
   よりも、気さくでポールに献身的に尽くそうとするリンダさんを、生
   涯の伴侶に選んだのであろうとの著者の指摘である。
   因みに再婚式にはポールとリンダとの間に生まれた3人の子供
   とともに継子のヘザーさん(奇しくも同名)も参席されていた。

 1年後の1999年ポール卿は元モデルの美女ヘザー・ミルズさんと知り
合い、昨年プロポーズした。
 ヘザー・ミルズさんは交通事故で左足を失い、以後地雷廃絶運動に
従事していたという。
 今回の結婚衣装は、二人のデザイナーの協力を得て、彼女自身が
縫ったと報じられている。

 結婚式の場所として、ポール卿はアイルランド共和国の北部モナガ
ン郡の小村グラスロウにある古城、レズリー城に決めた。

 何故ポール卿はアイルランドの片田舎を再婚の地に選んだのであ
ろうか。彼は親しい人びとに「僕の母はモナガン郡の出身だから」と
語っている。(彼の才能はケルト民族の血であったのか!)

(注)ビートルズはリンゴ・スター以外の3人はアイリッシュ系
   イングランド人(ケルト系)。

 古城の城主は城の内部を大改装した。村人も祝賀の花火を用意す
るなど、マッカートニー卿の結婚式を祝福した。

 「この結婚式でどこにあるか分からないようなグラスロウ村が
世界に知られるんだ」(まるで中津江村のように)と村人は喜んだ。
 二人の年齢差には「ポールはちっとも老けてなんかいないわよ」
という好意的なファンの声のようである。
"They are a lovely couple. She's beautiful and he hasn't aged a bit,"
said Yvonne Boyd, 39, from Glaslough, who said she was a "big time
Beatles fan".

 前日村民の前に顔を見せた時のミルズさんの態度や心配りがとて
もよい印象を与え、また結婚の式場での彼女の誓いの態度や感涙に、
出席者は感動したという。

 傑作なのは、結婚式当日の朝はアイルランド対サウジアラビアの
サッカーの試合であった。
 古城のホテルで働く従業員は、”the wedding breakfast”の前に
仕事をせずにサッカーの試合を観戦してもよいとの城主の粋な計ら
いもあった。

 アイルランドは、3:0で快勝し、決勝トーナメント進出を決めたので、
2軒しかない村のパブは朝から満員であった。村人はサッカーの勝利
とポール卿の結婚式に出席する多数の著名人の話題で盛りあがった。

 招待状はクリントン前大統領やエルトン・ジョン卿(彼もサーで
ある)にも出されたようであるが、出席したかどうかはわからない。
 ビートルズ時代の仲間であるリンゴ・スターは、個人所有のジェ
ット機で駆けつけたと報じられている。
 300人の招待客は9台のバスとヘリコプター1機で輸送され、メデ
ィアは閉め出された。

 結婚式は古城の中にある小さな教会で行われた。城内の湖の周囲
に舞踏会場が設けられ、湖岸には遊覧できるボートが繋留され、300
人の招待客は巨額の費用をかけた百合とバラで飾られた庭の饗宴を
楽しんだようである。
 二人はボートで湖の中の島に行き、村人の打ち上げた夜の花火を
観賞したと報じられている。

 以上は週刊誌的水準の要約報道である。しかし、ロンドン憶良氏の
HP来訪者には、次回でこの由緒ある古城に因む歴史の話題を提供し
なければなるまい。


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