晴耕庵の談話室

NO.71



標題:英連邦について(3)

QUESTION

2002/3/4

ロンドン憶良さま


初めてメールを差し上げます。 K.T.と申します。

以前より英国自治領や連邦について興味を持っていますが、
知識も殆どありませんし、今ひとつイメージが掴めずにいます。
そんな中、非常に明解な「談話室No.69」を拝見する事が出来
て嬉しく思います。
が、そもそも「海外領土」「自治領」とは何なのでしょうか?
本国の議会に対して議席を持つか否かですか?
それとも総督の有無でしょうか?
(豪州にもアセンションにも総督が居る=総督の有無ではない?
 →こんな想像でしか考えられません。)

例えば、マン島やチャネル諸島の扱いはどのようになるので
しょうか? (No.69にはどちらも記載されていません)

マン島については独自の通貨、議会を持っていますよね。
彼らのパスポートは本土のものと殆ど同じですが、表面には
「マン島」標記もあります。
パスポートが連合王国+マン島標記(=EU扱い)ということは、
「外交を連合王国に委託している」と言うことになるのでしょうか?
(軍事は委託と聞きました)
また、マン島への手紙を出す際に、宛先をどうすればよいのかを
聞いたところ、「British Isles」で良いとのことでした。
(「British Isles」とは、どこを指すのでしょうか? 
本土は含むのでしょうか?)
マン島は国内線扱いですが、チャネル諸島については、空港に
「チャネル諸島は除く」との表示も見られた記憶があります。
チャネル諸島はノルマンディー公爵領との話も伺いましたが、
軍事のみを連合王国に委託しているからEUではない、と言う
理屈になるのでしょうか?

大変ごちゃごちゃとした話になりましたが、ご教示いただけま
したら幸いです。

                        K.T.


ANSWER

2002/3/5

K.T.さん


メール拝見しました。

はじめに

日本では学者もメディアも「イギリス」という表現を多用し、私たちも
「日本」に対応する国家として「イギリス」を何となくイメージさせられ
てきました。そのためいろいろの混乱を生んでいますね。
(たとえばイングランド史なのにイギリス史といってみたりアイルラン
ド人のラフカディオ・ハーンがイギリス人と紹介されたり、スコットラ
ンド民謡なのにイギリス民謡といってみたり、「イギリス」はUKであ
ったりイングランドであったり様々です。)

そこで元ビジネスマン憶良氏が、自己流に「英国」領を定義しましょう。

1 英国の領土

広義の英国の範囲
 (1)UK政府の統治領(狭義の英国)と(2)王室領地

 (1)UK政府の統治領(狭義の英国)
   A)GB(イングランド・スコットランド・ウェールズ)
     と北アイルランド
   B)英国海外領土

 (2)王室領地
   英国とは独立した法律や議会を持つが、英国政府に
   防衛と外交は委託されている。
   マン島・チャネル諸島(ジャージ島グアンジー島など4島)

(1)B)海外領土について

かって大英帝国植民地時代までの長い歴史の中で侵略したり、探検
したりして、自国領として「つばをつけた」地域です。
典型的なのがアルゼンチンの沖合のフォークランド諸島でしょう。
自国領と主張するアルゼンチンとフォークランド紛争になり、サッチャ
ー元首相が大艦隊を派遣して戦争になりました。

現在のUK政府は、これらの地域の住民が独立する意向を持てば、
つまり民主的な住民投票で独立を決めれば独立させるという基本
方針です。しかしまだ独立して国家運営ができるまでは海外領土と
して、英本国政府が防衛、治安、外交に責任を持ち、支援しています。
ほとんどの地域が立法と行政府を持ち、自治が進んでいます。
これらの地域が将来独立するまで、社会インフラはすべて英国流で
支援するわけですから、独立後はコモンウェルスに参加するのが大
半でしょう。(コモンウェルス予備軍と見ています)
しかし、地域により他国への併合を望むケースもでるかもしれません。

(2) 王室領土について

マン島やチャネル諸島は、王室の属領ですからコモンウェルスという
時には当然君主ついていますからUKに含まれており、コモンウェル
スとしてのカウントはされません。
だから(No.69にはどちらも記載されていません)

マン島とチャネル諸島は王室領地ですが、歴史的には異なります。

マン島は元々は9・10世紀の頃ノルウェー・ヴァイキングの侵略でノル
ウェー領でした。これが1266年、スコットランド王室に売られ、さらに
イングランドの貴族を転々とし、最後に1765年王室領となりました。
今でも儀式にはケルトの言語マンクス語が使用されているようです。
独自の議会と法律を持ち自治を行っていますが、UK政府は防衛と
外交に責任を委託されています。租税優遇地(いわゆるタックス・ヘ
イブンです)

チャネル諸島は、場所でわかるようにモン・サン・ミッシェルの沖合で、
フランスではノルマン諸島と呼んでいるように、10世紀にノルマンデ
ィー公の領地となりました。1066年のノルマン・コンクェストでノルマ
ンディー公爵兼イングランド王となったウィリアム王とその子孫の領
地です。

イングランドのジョン王は1204年フランス王に破れ、ノルマンディー
を失いましたが、「この小島などどうでもよいわ」と無視され、英領で
残った島だと思います。
1254年イングランド王室管理地となりました。

その後フランスが占領しようとしたり、第二次大戦時ドイツに占領され
ましたが、英王室は手放さず王室領として残っています。
(日本では英仏海峡といいますが、正式にはイングリッシュ海峡です。
チャネル諸島のため海峡は英国の水域ですから)
ここも租税の優遇地で世界のいろいろな会社がペーパーカンパニー
を開設しており、(と推定)島は裕福です。フランスや英国のヨットが
係留され、離島振興の見本の一つでしょう。住民は古いノルマン・フ
レンチを使用しているようです。

マン島は国際オートバイ・レースなど、チャネル諸島は観光で有名
ですが同時に税率の低い租税回避地として、世界の金持ちやビジネ
スマンに知られています。
学者メディアがマン島やチャネル諸島など王室領地をあまり紹介し
ないのは後者の点があるのかもしれません。百科事典にも租税回避
地のことは触れられておりません。
しかし独立の自治と議会を持つ島ですから、小さくてもUK政府とは
対等の立場です。

その証拠に、ブリティッシュ・アイリッシュ会議では、チャネル諸島は
堂々とメンバーとしての役割を担っています。

日本には日本国と独立した天皇直轄領などありませんから、マン島
やチャンネル諸島のような王室領の存在は、なかなか認識しにくい
ものがありますが、歴史を知れば違和感がありません。
私が現代英国の理解のためには、中世から見直す必要があると考
えるのはこのためです。

2 自治領(英国の領地ではないが、王の形式的君臨地)

 第二次大戦前と大戦後では植民地の独立と政治形態が大きく異
なってきましたことはNo.69でおわかりと思います。

 独立して共和国大統領制をとらず、「女王を国家元首」として推戴
しているカナダ、オーストラリア、ニュージランドなどは、独立国として
首相が運営していますが、国家元首である女王の名代として形式的
に総督がいるということになります。
議会は女王の名代の総督が招集し、内閣が組成されます。

 「女王を国家元首」の好例がシドニー・オリンピックでしょう。
オーストラリアは先般の国民投票で引き続き「女王を国家元首」に戴
き、「共和制大統領制」を否決しました。当然のこととしてシドニー・オ
リンピックには女王が「国家元首」として開会宣言をするか皇太子が
するか興味を引きましたが、結局政治的な配慮でしょう、総督が名代
として開会宣言をしました。(と私は記憶していますが再確認します)

   カナダ、オーストラリア、ニュージランドなどの国民が、自前の大統
領を選挙する共和制を選択するまで、英国の王室が「君臨すれども
統治しない象徴的国家元首」を続けるでしょう。


『ロンドン憶良見聞録』の
女王の島
黄昏でない英連邦の絆


『UKを知ろう』の
注目すべきブリティッシュ・アイリッシュ協議会
エリザベス女王、オーストラリアの国家元首を継続

などご参照ください。

                      ロンドン憶良



晴耕庵の談話室(目次)へ戻る

ホームページへ戻る