やっと開いた落下傘
「ノーブレス・オブリージ」について
(前頁より)



戦争を経営の蹉跌に置き換えてみると、経営責任をとらないトップの
事例が周辺にも幾つかあるのではなかろうか。「重い責務」の遂行が
いかに難しいことか、敗戦や経営蹉跌に学ぶ教訓は多い。



日本のエリート教育には何か欠陥があるのだろう。
良識派が残るのか消えるのか、どのような人格の人がトップになるか
によって国家も軍隊も会社も、集団としての性格が変わり、その集団
の運命を左右する。
物質文明がいかに進歩しようと、精神文化の成熟維持がいかに難し
いことか。

日本では、「ノーブレス・オブリージ」に相当する身近な言葉がないか
ら規範や倫理となって定着していない。
強いて言えば「率先垂範・出処進退」の心得がこれに相当しようが、ど
うもこれだけでは少しニュアンスが違う。

「率先垂範」以上に難しいのは蹉跌の場合の「出処進退」であろう。
士農工商の階級社会がなくなったのはよいが、商道や倫理観を欠く
商工優位の金権社会に堕落したように見えるケースがしばしぱ起きる。

その度毎に、政治家や経営者や高級官僚の「出処進退」がジャーナ
リズムの話題になるが、残念ながら根本的な解決にならない。
「ノーブレス・オブリージ」は、辞めれば済むという問題でもないからだ。




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