UKを知ろう


世界遺産NEWLANARKとロバート・オーウェン

産業革命期に労働環境改善を推進




世界遺産となったクライド渓谷の紡績工場

 リー城のあるラナークの町のクライド川を遡ると、NEWLANARKの村
ある。渓谷に沿って建てられた古いレンガ造りの紡績工場が、2001年
世界文化遺産に登録された。

なぜこの古い工場や建物が世界遺産に登録されたのであろうか?

 時代は18世紀後半から19世紀前半にかけて、英国で始まった産業
革命の真っ只中、一人のウェールズ人が、きれいな豊富な水の得られる
この地に紡績工場を作った。その産業資本家の名前はロバート・オーウ
ェン(Robert Owen)といった。

 産業革命と、ロバート・オーウェンの活動を知れば、それが理解される
であろう。


英国産業革命の光と影

 英国の産業革命についてはいろいろな学説があるが、憶良氏が簡単
にまとめると、次のようになろう。

 高名な歴史家であり経済学者であったアーノルド・トインビー博士は、
英国の産業革命は1760年頃から始まったという。

 主導したのは棉工業であった。まず機械の発明が相次いで行われ、生
産技術が向上した。
  ハーグリーブズのジェニー紡績機(1764-67頃)
  アークライトの水力紡績機(1768)
  クロンプトンノのミュール紡績機(1779)
  カートライトの力織機(1785)
 
 この結果、植民地からの綿花の輸入が飛躍的に伸びた。当時大英帝国
は世界の海上権を握っていたので、輸入は容易であった。
       綿花の輸入量の推移 
  1760年    174万ポンド
  1780年    654
  1800年   5159
  1819年  13312

 棉工業は機械を設置し、共同作業場に低賃金労働者を集め、技術的な
分業が行われ、工場化していった。
紡績工場はさらに機械化され、これに対応して織布工場が機械化された。
生産された織布は、世界の市場に輸出されていった。

 繊維工業の発展は、製鉄業の発展を促進した。特に良質の石炭を算出
していたので、製鉄技術の革新も行われた。

 製鉄技術の進歩は機械の動力化を進めることになり、さらには交通機
関の発展をもたらした。
  ワットの蒸気機関(1769)、回転運動への転化(1771)
  スティーブンソンの汽車発明(1825)

 大英帝国は産業の発展で世界の富を集めた。少数の富裕な資本家は
ますます投資し、国家は企業家の競争に対して自由放任こそ産業革命
の原理と考えた。

 しかし、その発展の陰で石炭を掘る労働や紡績業には、婦女子や少年
もかり出され、劣悪な環境と低賃金の中で、一日15−16時間の長時間
重労働をしなければならなかった。

 産業革命は、資本家層の私利追求の機会を大きくした反面、労働者階
級の福祉を損ない、階級対立の先鋭化を生んでいた。


  理想主義者の産業資本家ロバート・オーウェン

 
 労働者の劣悪な労働環境の改善に立ち上がり、国家に働きかけた男
がいた。産業資本家ロバート・オーウェンである。

 彼は、1771年ウェールズのモンゴメリー州のニュータウン(Newtown)
の町に生まれた。
(余談ながらモンゴメリーは、ノルマン・コンクウェストの際にウィリアム
公に従ってきた重臣モンゴメリー候の領地に由来した地名である)

 ニュータウンはこの地方の農産物と羊の集散地であったが、工業とし
ては小さなフランネルの織屋があっただけである。将来を夢見たオーウ
ェン少年は、1781年この町を出てマンチェスターに行った。そこで徒弟
から、英国最大の紡績工場の総支配人にまで栄進した。

 1800年、彼はそれまでに蓄積した資金で、スコットランドのニューラ
ナークに紡績工場を作った。

 これまで彼は、紡績工場に働く婦女子や少年を含む労働者の過酷な
労働条件を自ら徒弟として体験し、あるいは支配人として実感してき
た。劣悪な労働条件が、労働者を道徳的に退廃させ、その結果生産性
が低下するという考えを持っていた。

 オーウェンは、人間の性格は、体質的には生まれながらの先天的な
素質があるが、他方その後の生育した環境によっても形成される後天
的な部分もあるという自論を持っていた。

 工場主となった彼は、労働者の子供たちの教育のために工場内に
「性格形成学院」を作った。また工場に協同組合も作り、労働者の福利
厚生や労働環境の改善を図った。

 さらに1819年、「性格形成学院」に、幼児を預かる共同遊び場を作
った。これが英国のインファント・スクール(幼稚園)の始まりである。

 オーウェンは、工場労働者の労働条件を法で保護することに努力し、
これまで1802年に制定されていたロバート・ピールの工場法をさらに
改善した1819年工場法の制定に成功した。

 これにより、9歳未満の児童の労働禁止、16歳未満の少年の一日
12時間超の労働禁止、夜間労働の禁止が織り込まれた。

 彼は、国内だけでなく国際的にも労働者の組織が必要との考えで、
1818年、ナポレオン戦争後の列強会議に、現在のILO (国際労働機
構)設立の元になる覚書を提出している。

 一口に言えば、労働者の立場を理解した産業資本家であった。
彼は、1825年、全財産を注ぎ込んで、アメリカのインディアナ州ニュ
ーハーモニーに、完全自給自足、完全平等を目指すいわば共産主義
的なコロニーを作ったが、4年で破綻した。理想と現実の乖離である。
彼が、理想的社会主義者と呼ばれるのはこのためであろう。

 1834年には「全国労働組合連合」を組織するなど、終生労働運動
に尽くした。

 しかし、社会環境の整備はオーウェンの意図するようにはならなかっ
た。失意のオーウェンは、晩年、故郷ウェールズのニュータウンに帰り、
1858年没し、小さな村の教会の庭に埋葬された。


 産業資本家が、私利私欲に走っていた産業革命期に、資本主義の
持つ陰の部分の改善に、経営者側から尽くしたのは、彼がケルトの民
であり、徒弟から出発して、辛酸をなめてきた人生と無縁ではなかろう。

 彼の協同組合の思想や、幼児教育、少年労働者への愛情、労働者
の労働環境の改善のための法制化努力の姿勢など、社会環境改良
の努力は今高く評価されて、その原点の「Newlanark」が世界遺産に指
定された。

 BBCが報じたLanark地方のリー城の報道から、隣接するNewlanark
とロバート・オーウェンについて、少しまとめてみた。

 経済学や社会学を学ぶ学生の参考になれば幸甚である。

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