ハイ・テーブル

(前頁より)



憶良氏も、ささやかながらハイ・テーブルに座ってディナーを食べる貴重
な経験をさせてもらった。垣間見た英国エリート教育の一端を紹介しよう。
(もっとも、これは4半世紀も前の話であることをお断りしておこう)

1973年夏、どういう風の吹き回しか、憶良氏はオックスフォード大学で
行なわれる国際銀行夏季学校(International Banking Summer School
略称I.B.S.S.) に、数名の日本代表の一人として出席を命じられた。

世界各国から約200名の中堅幹部行員が、名門クライスト・チャーチ・
カレッジの学生寮に入寮し、2週間の合宿セミナーに参加するのである。

(クライスト・チャーチ・カレッジはオックスフォードでも最大のカレッジで、
1525年の創設という。日本では信玄や謙信など群雄割拠の戦国時代
であるから驚く。東大京大など100余年の比ではない。)

やあやあ、と顔を合わせたのは芙蓉銀行の古葉氏と尾張銀行の湯田氏。
いずれもロンドン支店の次長であり、毎月次長会で昼飯を食っている仲
間である。

「日本から選抜して派遣すると結構費用がかかるので、本店では算盤を
はじいて地元の次長を出席することにしたらしいな」
と、お互いに苦笑い。



「いずれにせよ、忙しい銀行実務を離れてゆっくりできるかな」
などと楽観視したら、これがとんだ見当違い。朝から深夜までビッシリ
のスケジュールで、しっかり勉強させられる羽目になった。世の中は甘
くない。

もっとも、別名インターナショナル・バンカーズ・ドリンキング・スクール
といわれるくらい、毎晩先進各国主催のパーティが、食堂前の広間と
踊り場を利用して開催される。
金持ち国の仲間入りしつつある日本も、一晩「サケ・パーティ」を主催
するよう、憶良氏は幹事役をおおせつかり、都市銀行協会から若干の
お金が送金されて来ていた。

なにしろ、夕食前のアペタイザー・パーティと、食後、夜の講義の後の
ドンチャン・ドリンキングがある。

「アメリカ・日本などの金満国は、思い切って飲める深夜の方を負担し
てほしい」
と事務局に頼まれる。まあこれもささやかな国際貢献の一環であろう。
国際金融業務は頭よりも胃腸がしっかりしていなくては勤まらない。


次頁へ

「ロンドン憶良見聞録」の目次へ戻る

ホームページへ戻る