ガイ・フォークスの火薬陰謀事件とその背景



(前頁より)


(9)補記――当時のイングランドとスペインとの勢力関係


読者からの示唆もあり、より理解しやすいよう参考までに当時のイングランド
とスペインとの勢力関係を概略説明したい。
ヘンリー8世、メアリー・イングランド女王、メアリー・スコットランド女王、
エリザベス女王の各項目と参照ねがいたい。

さて、ヘンリー8世の頃のイングランドは一島国に過ぎなかった。

欧州はオーストリアのハプスブルグ家が強大となり、ドイツ王から更に神聖
ローマ皇帝となり、カール5世(1516-1556)はスペイン女王と婚姻しスペイ
ン王(カルロス1世)も兼ねていた。
すなわち当時の西ヨーロッパはハプスブルグ家の支配下にあった。

欧州毛織物工業の中心地フランダース(オランダ・ベルギー)は、戦略的に
も重要であり、1482年にハプスブルグ家の領土となっていた。

カール5世が逝去したあとハプスブルグ家はオーストリア系とスペイン系に
二分され、スペインはフェリペ2世(1556-1596)が継承し、フランダースは
1584年にスペインの支配下になった。

スペイン王フェリペ2世はイングランドの女王メアリーの夫である。
当時のスペインは無敵艦隊アルマダを擁し、欧州最強の勢力の一つであった。
だがプロテスタント系のイングランドの国民は、スペイン人の夫を持つカト
リックのメアリー女王(ブラッディ・メアリー)に不快感を抱いた。

プロテスタントを弾圧したメアリー女王が1558年他界すると、スペイン王フ
ェリペ2世はエリザベス女王に求婚したが、プロテスタントのエリザベスはこ
れを拒絶した。

スペイン王フェリペ2世は、当時イングランドに幽閉されていたカトリックの
メアリー・(スチュワード)スコットランド前女王とエリザベス女王暗殺の
謀略を図ったが、成功しなかった。

エリザベス女王はキャプテン・ドレイクにスペインのアメリカ貿易船を襲撃さ
せ、さらに1588年、無敵艦隊アルマダをも撃破し、大西洋の海上支配権を逆転
させた。これより大国としての英国の繁栄が始まった。
スペイン王フェリペ2世は、エリザベス女王求婚に失敗した上、謀略でも海戦で
も完璧に破れたのであった。

カトリックの英人ガイ・フォークスがスペイン軍の傭兵としてフランダースに
いたのは、このような宗教と国家の争いが複雑に絡んだ状況下であった。



なおガイ・フォークス事件後であるが、ジェイムズ王の勅許状によって作られ
たロンドン会社(後のバージニア会社)が1607年にアメリカのジェイムズ河畔
に入植団を送り込み、これがバージニア州となった。

一方ピューリタン清教徒は国王の弾圧に耐え兼ねて、オランダに逃げたが、
1620年メイフラワー号に乗り込み、アメリカ(マサチューセッツ州)に上陸
し、プリマス植民地を作った。

ガイ・フォークス事件前後の欧米史も面白い。

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