ど ん 底 A

       作・山崎 洋平

近藤勤 酒井俊之 小田島幸夫 マリー

どん底 @ へ

J 書  斎                      

    椅子に座っている近藤。
    机には原稿がある。
    それと格闘している近藤。
    小田嶋が登場する。
小田嶋 どうだ調子は。
近藤 (わずらわしい)
小田嶋 ・・・・・・なあ。
近藤 ちょっと、あとにしてくれる。
小田嶋 ・・・・・・悪い。
    近藤の傍の椅子に座る小田嶋。
近藤 (煩わしい)・・・・・・邪魔っ。
    思わず椅子から立ち上がる小田嶋。
    その椅子を持ち上げ、自分から離れた所に移動させる近藤。
小田嶋 ごめんね。
    椅子に座る小田嶋。
    煮詰まる近藤。
近藤 ・・・・・・ああ、駄目だ。煮詰まっちゃったよ。締め切り1時間前だってのにさ。
小田嶋 間に合うの。
近藤 もうちょっとなんだけどさ。ラストシーン。小田嶋も力貸してくれよ。
小田嶋 いいよ。
    原稿を持って小田嶋のもとへ向かう近藤。
近藤 このラストシーン。婚約者に死なれた女が婚姻届を握り締めて言う、最後の台詞なんだけど。
小田嶋 これ、場所どこ。
近藤 ハワイの恋人岬。
小田嶋 最後に言う台詞 ?
近藤 何かいいアイディア無い ?
小田嶋 (考え)頑張ってみる。五分くれる ?
    考え始める小田嶋。
近藤 (酒井に)小田嶋は小説家を目指してた。このことは知ってますよね。
酒井 知ってるよ。
近藤 (酒井に)でも、小田嶋には才能がなかった。
酒井 そんなことはない。
近藤 (酒井に)あいつの小説を絶賛したのは後にも先にも、小田嶋の両親だけでしょう。僕は一先ず小田嶋のアイディアで原稿用紙を埋めて、締め切りには間に合わせようと考えた。あとからでも直しは幾らでも利く。
小田嶋 こういうのはどう。
近藤 思いついた ?
小田嶋 天国にいる婚約者に向かって女は崖の上からこう叫ぶんだ。
『私はいつまでも、あなたの妻です。』そして握っていた婚約届けを紙ヒコーキにして、空高く飛ばすんだ。どうだ、感動的なシーンになったろ。
近藤 ・・・・・・
    腕時計を見る近藤。
近藤 ありがとう。
    机に戻り、黙々と文章化していく近藤。
小田嶋 ・・・・・・今のさ、本になるのか。
近藤 ・・・・・・どうだろう。
小田嶋 (一人悦に入る)俺の書いたのが本になるのか。いやあ、うれしいよ。近藤のおかげで初の作家デビューかな。
近藤 (酒井に)小田嶋のアイディアを文章化するのはあっという間だった。それほど内容が薄っぺらだった。・・・・・・終わったっ。
小田嶋 ギリギリセーフ。
近藤 お待たせ。何かあったの。
小田嶋 いやさ、ちょっと飲みにでも行かないかなと思ってさ。せっかく・・・・・
近藤 今日はごめん。
小田嶋 えっ、何。
近藤 暇じゃないんで。
小田嶋 暇じゃないって・・・・・・どうせツタヤにビデオ返しに行くとか、そんなことだろ。
近藤 いや、仕事。
小田嶋 俺は? 付いてかなくていいの。
近藤 いつの話してんだよ。もう大丈夫だよ。・・・・・・でさ、小田嶋、ちょっと頼まれてくれないかな。
小田嶋 なんだろ。
近藤 もうすぐ酒井さん、覚えてるだろ、酒井さんが原稿取りに来るから、渡しといてくれないかな。渡すだけでいいから。
小田嶋 喜んで。
近藤 よかった。よろしくなっ。頼んだよ。
    急いで書斎を去る近藤。
    渡された原稿(自分の考えた部分)を見ながら、思わず笑みがこぼれ
    る小田嶋。
    酒井がやって来る。
酒井 ・・・・・・小田嶋君 ?
小田嶋 ご無沙汰しています。
酒井 ・・・・・・近藤君は ?
小田嶋 急用が出来たのかな。今さっき出掛けちゃいました。
酒井 ありゃ、困ったな。
小田嶋 それで、近藤から原稿預かってるんです。
酒井 あっ、ホント。
    原稿を酒井に手渡す小田嶋。
小田嶋 お願いします。
    ペラペラと原稿を確認する酒井。
酒井 はい、確かに(受け取りました)
    原稿を鞄に入れる酒井。
酒井 それじゃ、私はこれで(失礼します)
    書斎を去ろうとする酒井。
小田嶋 ・・・・・・酒井さん。
    足を止める酒井。
酒井 ん。
小田嶋 ・・・・・・今渡した原稿・・・・・・近藤だけの作品じゃないんですよ。
酒井 どういう意味。
小田嶋 後半は僕のアイディア。
    鞄から原稿を取り出す酒井。
酒井 (驚いて)ああ、そう。
小田嶋 いやあ、苦労しましたよ。
酒井 てことは、共著見たいな形になるのかな。
小田嶋 そうなりますね。
    小田嶋の肩を力強く叩く酒井。
酒井 小田嶋君、よかったじゃないか ! 自分の書いたのが本になるんだよ。
小田嶋 うれしいです。
酒井 夢に一歩近づいたじゃないか。
小田嶋 ありがとうございます。
酒井 いや、ホント、孫が出来た時ぐらいうれしいよ。頑張ってね、ホント、これからだからね。
小田嶋 はい。
酒井 いや、うれしいよ。頑張って。
    同じ台詞をしつこく繰り返す酒井。
    そして名残惜しそうに退場する酒井。
    そして時間が経過し・・・・・・
    近藤が登場。
近藤 どういうことだよっ。
小田嶋 何が。
近藤 共著ってどういうことだよっ。説明してよ。
小田嶋 ・・・・・・ああ。
近藤 ああじゃないだろ。どうしてくれるんだよ。
小田嶋 でも・・・・・・
近藤 でも、なんだよ。言ってよ。
小田嶋 最後のシーンは俺の・・・・・・
近藤 あんなの使えるわけねえだろっ。
小田嶋 え・・・・・・
近藤 当たり前だろ。あんな陳腐なラストなんかで本に出来る訳ないだろ。
小田嶋 もっと早く言って欲しかった。親にさ、言っちゃったんだよ。俺の書いたのが本になるって。今から元に戻せないのか。
近藤 いつからお前が書いたことになってるの。お前はただアイディアを提供しただけなんだよ。勘違いしないで欲しいな。
小田嶋 それは謝るからさ、あのラストシーン復活させてくれないかな。親が涙流して喜んでんだよ。
近藤 無理に決まってるだろ。
小田嶋 ちょっと待ってよ。頼むよ。この通り。
近藤 いくら頼まれたって無理なもんは無理なんだよ。
小田嶋 名前はっ。だったら共著として名前だけ残してくれ。
近藤 何を言ってるんだ。小田嶋。そんなこと出来る訳ないだろ。
小田嶋 どうして。
近藤 説明することかなあ。
小田嶋 どうすんだよ、俺は。
近藤 そんなこと知らないよ。
小田嶋 なあ助けてくれよ。今度は俺のこと助けてくれよ。
近藤 ・・・・・・忙しいんだよなあ、悪いけど。
小田嶋 あのラストシーンさ、そんな悪くないと思うんだ。むしろいいラストじゃないか。さっぱりしてて。
近藤 だからね、何度も言うけど、あんなのを素晴らしいと思ってるようだったら作家目指すの止めた方いいと思う。
小田嶋 ・・・・・・
近藤 ・・・・・・だからいつまで経っても作家になれないんだよ、きっと。
小田嶋 ・・・・・・
近藤 僕はさ、お前に売り込み手伝ってもらえばそれでよかったろ。僕の小説自体には問題ないんだよ。でもさ、お前、思い出してみれば、いくら売り込んでも相手にしてもらってないんだろ。
小田嶋 ・・・・・・
近藤 可哀想だけど、そろそろ諦めた方がいいと思うよ。いろんな人に気に入られてヘコヘコ付いていくような人生、終わらせた方がいいな。
小田嶋 ・・・・・・
近藤 ・・・・・・僕ももう、一人でやってけるから。
小田嶋 ・・・・・・
近藤 お前に仕事世話してもらわなくても、黙って座ってても仕事入ってくるからさ。
小田嶋 ・・・・・・
近藤 酒井さんもいるし・・・・・・。今までありがとうな。
小田嶋 ・・・・・・
近藤 これからは自分で自分の人生歩んでね。・・・・・・いつかまた会おう。
    小田嶋の肩に手を掛ける近藤。
    それを払い除け、退場しようとする小田嶋。
    しかし一旦立ち止まり、机の上の原稿を破り捨てる。
近藤 何すんだっ。
    退場する小田嶋。

 

K 楽  屋
    ソファーに座っている近藤と酒井。
酒井 ・・・・・・不思議だよね。君達の友情は切れたフィルムのよに、突然終わりを迎えたわけだ。
近藤 ・・・・・・・
酒井 今頃どうしてるのかな、小田嶋。
近藤 ディズニーランドでミッキーマウスになってるらしいですよ。
酒井 ああ、そう。よく知ってるね。どうして(知ってるの)
近藤 風の便りで。
酒井 ミッキーか。似合わないな、彼には。
近藤 ・・・・・・
酒井 私はやっぱり小説家になってほしかった。
近藤 ・・・・・・
酒井 私はね、思うんですよ。小田嶋君には才能があった。人に好かれる魅力なんかじゃくて、作家としてのね。て゜も自分では気づいてなかったんだよね。周りの人間から『お前才能無い、才能無い』って言われ続けたから、そう勘違いしちゃってるんだよね、きっと。
    ソファーを立ち、着替える近藤。
酒井 それでも偉いのが、彼は夢を捨てなかったことだ。たいていの奴はあそこであきらめるもんだけど、小田嶋君はそうじゃなかった。
    腕時計を見る酒井。
酒井 (開演の)時間ですか。
近藤 いや、まだです。
酒井 ネクタイ・・・・・・
近藤 似合いますか。
酒井 ・・・・・・微妙だな。
近藤 ・・・・・・微妙。
    気まずい雰囲気が流れる。
酒井 嘘ですよ、嘘。
近藤 ・・・・・・嘘。
酒井 なんですか。
近藤 例の小説どうなりました。
酒井 例の小説 ?
近藤 ほら、あの・・・・・・
酒井 ・・・・・・ああ。
近藤 ・・・・・・また小田嶋の話になりますけど。
    暗  転

 

L シャンソンバー
    真っ暗な状態
酒井 私はあの夜、小田嶋君に例のシャンソンバーに呼び出された。
    照明が点く。
    ソファーに座っている小田嶋。
    酒井がやって来る。
酒井 遅くなって申し訳ない。いや、自転車飛ばしてたら、警察に捕まりそうになってね。
小田嶋 すみません。お呼び出しして。
    ソファに座る二人。
小田嶋 何か注文します ?
酒井 いや結構。・・・・・・マリーさんは ?
小田嶋 あそこにいますね。・・・・・・ほら、手を振ってる。
    マリーに手を振る酒井。
酒井 おーい、マリーさん。
小田嶋 止めてくださいっ。近寄ってくる。
酒井 ダメなの ?
小田嶋 今日は大切なお話があるんです。
酒井 そうだ、小説書いたんだって。
小田嶋 ええ。
    酒井に原稿を手渡す小田嶋。
    さっと流し読みをする酒井。
酒井 ・・・・・・あれ、タイトル入ってないよ。どうしたの。
小田嶋 まだいいのが浮かばなくて。
酒井 じゃあストーリーを簡単に話してくれるかな。
小田嶋 はい。・・・・・・主人公はなんの特徴もない、ただのつまんない男です。対人恐怖症で、いつもびくびく震えています。そいつの名前は太郎です。
 太郎の夢は小説家になることでしたが、何年経っても、十年経っても、その夢はかないませんでした。しかし、彼はある時、その薄汚れた脳みそでこんなことを思いつきました。そうだ、あいつに
売り込みを頼もう。あいつならどんな仕事だって金さえ払えば引き受けるさ。そうだ、そうしよう。あいつの名前は次郎です。太郎はまんまと次郎を思い通りにし、念願の作家デビューを果たしました。そして次郎もそんな太郎のために一生懸命頑張りました。どんなことでも、自分にできる精一杯のことをしたつもりです。何の見返りも求めず、ただひたすら、彼の為に力を尽くしたのです。でも次郎は裏切られました。何の前触れも無く突然です。あまりのことに次郎は我を忘れ、憎しみを込めて太郎の心臓を・・・・・・
酒井 小田嶋君っ。
    小田嶋を制する酒井。
小田嶋 なんてすか。酒井さん。いきなり止めないでもらいたいな。こっからおもしろくなっていくんですから。続き聞いてくださいよ。いいですか。この話で重要なのは太郎の趣味です。太郎の趣味は音楽鑑賞で、中でも『ボレロ』が大好きなんです。彼はその曲に自分の人生を重ね合わせているんです。まったく馬鹿な男です、太郎は。
 でも、太郎が自分の人生を『ボレロ』だと言ったのは間違いではなかったのです。酒井さん、知ってますか。『ボレロ』の最後の八小節。今までのあの旋律ががらりと様子を変えるんです。あの穏やかな、明るい旋律が嘘のように変わるんです。ソプラノサツクス、テノールサックス、チューバにトロンボーン、大太鼓、銅鑼、シンバルが一斉に断末魔の叫び声を上げるんです。まるで奈落の底に叩き落されるかのように。『ボレロ』こそ、太郎の最後にびっつたりだ。
酒井 小田嶋君っ。いい加減にしないかっ。
小田嶋 ・・・・・・
酒井 君の気持ちはよくわかる。でも、こんなことしてなんになる。
小田嶋 ・・・・・・ただの鬱憤晴らしですよ。
酒井 ・・・・・・
小田嶋 いやぁ、作家ってのりはいいもんですよ。初めて気づきました。自分の思い通りのストーリーになる。
酒井 ・・・・・・
小田嶋 安心して下さい。すべては空想の世界ですよ。嘘。嘘の世界。現実じゃない。
酒井 ・・・・・・
小田嶋 でもいつか、この本出版してください。
酒井 ・・・・・考えとくよ。
小田嶋 忘れないで下さい。これは俺が今まで書いた最高傑作だってことを。そして最高の悲劇だってことを。
     ソファーから立ち上がる小田嶋。
小田嶋 お話したかったのはそれだけです。お先に失礼します。
     パーを去ろうとする小田嶋。
     しかし一旦、立ち止まる。
小田嶋 ・・・・・・あっ、そうそう。タイトルなんでずか、こんなのはどうですか。
酒井 ・・・・・・伺いましょう。
小田嶋 『どん底』
    暗  転

 

M 楽  屋

     ソファーに座っている近藤と酒井。
     ぼおっと佇んでいる近藤。
酒井 小田嶋君もとんだ小説書いたもんだよ。まったく。
近藤 お話聞いた時はショックでしたよ。
酒井 そりゃそうでしよ。
近藤 それで、あの小説はどうなったんですか。
     テーブルの上に置いてある『どん底』の原稿を手にする酒井。
酒井 これなんですが。
近藤 これなんですか。どうして『どん底』がここにあるんですか。
酒井 どうしてかって・・・・・・まあ、順を追って説明しますが・・・・・私ね、あのシャンソンバーの帰り、読んでみたんです。小田嶋君の『どん底』。
近藤 どうだったんですか。
酒井 ・・・・・・『小田嶋君には才能が無い』、そう言った人間の目は節穴ですよ。馬鹿です、馬鹿。
近藤 どういう意味ですか。
酒井 傑作ですよ、この小説は。
近藤 ・・・・・・お世辞じゃなく ?
酒井 あなたにお世辞言ってどうするんですか。確かにこれは上質な悲劇でしたよ。シェイクスピアもびっくりですよ。
近藤 ・・・・・・なんと言っていいのか。
酒井 難しい評価は抜きにしても、この小説は『おもしろい』の一言に尽きますよ。
近藤 ・・・・・・複雑な気持ちです。
酒井 お気持ちはよくわかりまする
近藤 うれしいような、悔しいような、自分のせいで小田嶋とけんかしてひどいこと言っちゃって、おめでとうと言っていいのか悪いのか。なんかゴチャゴチャな気分です。
 (激しい後悔)僕、今ものすごく反省してるんですよ。なんであんなこと言っちゃったのか。小田嶋・・・・・・には悪いとこ一つも無いんですよ。それは酒井さんが一番わかってますよね。ホント、時間を巻き戻せるなら巻き戻したいですよ。
酒井 近藤先生、私がなぜ、今日、この場に『どん底』を持って来たのか、もうお分かりですよね。
近藤 ・・・・・・え ?
酒井 鈍感ですね。私はね、近藤先生、この『どん底』を出版したいんです。この小説をたくさんの人に読んでもらいたいからです。それだけのパワーを持った作品なんです。あの日、私は久しぶりに小田嶋君と再会した。あの時、私を見ていた彼のその目はね、光り輝いていたんだよ。あなたが私の所にやって来た時の、あの目と同じだったんだよ。
近藤 ・・・・・・・
酒井 小田嶋君は変わった。作家としての才能をようやく開花させた。あとは、この小説を出版するだけなんです。
近藤 ・・・・・・
酒井 近藤先生、私が『どん底』を出版させたい理由はもう一つあって、なんだと思います  ?
近藤 ・・・・・・さあ、さっぱり見当が(つかない)
酒井 あなた達の仲直り、そのきっかけになる気がするんです。
近藤 ・・・・・・
酒井 保証はありません。そんな気がするだけなんです。でもね、私にはそんな気が決して間違いではない、どんぴしゃりな気がするんです。
近藤 ・・・・・・意味がよくわかりませんが。
酒井 近藤先生。・・・・・・そろそろ溝埋めましょうよ。もう十分でしょ。
近藤 ・・・・・・そう思います。
酒井 ・・・・・・『どん底』、出版してよろしいでしょうか。
近藤 ・・・・・・よろしくお願いします。
     手を差し出す酒井。
     手を強く握り合う近藤と酒井。
     うなずき合う近藤と酒井。
     お互い微笑み合っている。
酒井 このことは小田嶋君にはまだ内緒にしててもらえますか。
近藤 ええ、いいですよ。どうせ当分、会う機会も無いでしょうし。
酒井 そこなんですが・・・・・・
近藤 ・・・・・・(嫌な予感)なんですか。
酒井 実は小田嶋君、今こっちに向かってるんです。
     驚く近藤。
     半分目が飛び出ている。
近藤 誰  ?
酒井 小田嶋君。
近藤 あの小田嶋を っ?
酒井 よその小田嶋さん呼んでも仕方ないでしょ。
近藤 いつの間にそういうことになってるんですかっ。
酒井 ここに来る途中、自転車にまたがりながら『今日、大事なお話があるのでここに来るように』と小田嶋君にメールしたんです。
近藤 なんてことしたんですかっ。
酒井 大丈夫、大丈夫。
近藤 それも自転車乗りながらっ。
酒井 大丈夫、大丈夫。
近藤 だから警察沙汰になるんですよっ。
酒井 大丈夫、大丈夫、。
近藤 大丈夫って、何言ってるんですかっ。他に秘め事は無いでしょうね ?
酒井 秘め事なんかありゃしませんよ。
近藤 小出しにするのはもうなしですからねっ。
     酒井の携帯に電話が掛かって来る。
酒井 ちょっと失礼。
     電話に出る酒井。
酒井 (電話に)はい、酒井です。・・・・・・あっ、どうも。ええ、どうなりました。・・・・・・ええ。ええ。えーっ、ホントですか。どうしようかな。
     腕時計を見る酒井。
酒井 (電話に)ちょっとすみません。(近藤に)開演って何時でしたっけ。
近藤 (不安気に)六時半ですけど。
酒井 (電話に)じゃあ今からそちらに。・・・・・・ええ、自転車で。ええ。
・・・・・・ありがとうございます。・・・・・・大丈夫ですよ、安全運転で。では、後ほど。・・・・・・はい、失礼します。どうも。
     電話を切る酒井。
酒井 小田嶋君の『どん底』、フラゴナール文学賞の新人賞受賞しましたよ。
近藤 えっ !
酒井 やっぱり才能無かったわけじゃないんですよ。これが証拠ですよ。皆が認めてくれた。ただ遅咲きだっただけなんですよ。
近藤 凄いですね。
酒井 だからちょっと出掛けてきます。
近藤 えーっ、ちょっと酒井さん。
酒井 すぐ戻って来ますから。
近藤 その前に小田嶋来たらどうするんですか。
酒井 なんとかつないどいて下さい。
近藤 そんなの無理だ。
酒井 くれぐれも、あのことと今のことは秘密に。私から小田嶋君に言いたい。驚くぞ、小田嶋君。愉快、愉快。
近藤 早く行って、早く帰ってきてくださいっ。
酒井 わかりました。それじゃあ、またあとで。
     走って退場する酒井。
     そわそわし出す近藤。
近藤 ・・・・・・(一人芝居で)よお、小田嶋。久しぶり。(小田嶋になって)ああ久しぶり。(近藤に戻って)あの時は、ホントにごめんなさい。(小田嶋に)気にすんな、気にすんな。(近藤)そう? (小田嶋)かなり傷付いたけど、もう平気。(近藤)だったら仲直りしよう。(小田嶋)そうしよう。
 これだっ。これしかない。
     突然、何か気配を感じてビクッとする近藤。
     立ち上がる近藤。
近藤 嘘だろ。おいおい・・・・・・
     また何かの気配を感じてビクッとする近藤。
近藤 (マズい)
     小田嶋が登場する。
小田嶋 ・・・・・・近藤?
近藤 ・・・・・・私が近藤ですが。
小田嶋 ・・・・・・俺だよ。小田嶋だよ。
近藤 その声は・・・・・・小田嶋?
小田嶋 だから、そうだって。
近藤 久しぶり。掛けて。
     小田嶋に座るよう勧める近藤。
     ソファーに座る小田嶋。
     気まずい雰囲気が続く。
近藤 ・・・・・・何か飲む?
     首を横に振る小田嶋。
     しばし気まずい雰囲気が流れる。
近藤 ・・・・・・ディズニーランド。
小田嶋 あ?
近藤 ミッキーなんでしょ、お前。
小田嶋 ああ、辞めたよ。
近藤 辞めちゃったの?
小田嶋 ああ。
近藤 いつ。
     ぐっと近藤の方を振り向く小田嶋。
小田嶋 ちょうど、お前の小説が映画化されるって聞いた時だよ。
近藤 ・・・・・・偶然?
小田嶋 ・・・・・・さあ。
近藤 どうして、辞めたの。
小田嶋 ・・・・・・辛くてさ。
近藤 やっぱりミッキーの中も暑いでしょ。
小田嶋 暑いよ。
近藤 暑いのは辛いよなぁ。
小田嶋 でもな、それが辞めた理由じゃねえんだよ。
近藤  ?
小田嶋 ミッキーの中に入っているとさ、思い出すんだよ。
近藤 ・・・・・・何を。
     様子がおかしい小田嶋
近藤 (怖い)
小田嶋 思い出すんだよ、お前とコンビ組んでた時を。
近藤 ・・・・・・どうして。
小田嶋 俺はお前のために一生懸命やったつもりだった。お前になったつもりで、お前の皮被って必死にお前を売り込んで、サポートしたつもりだった。ミッキーだってさ、中に人間はいらないとどうにもならないだろ。それと一緒だよ。
近藤 ・・・・・・
小田嶋 ミッキーの中に入っていると、いろんな奴らがわんさか集まってくる。俺はそんな作家になりたかった。子供も若者も中年も年寄りも、皆に愛読され続ける作家になりたかった。でもそうなったのはお前の方だった。俺はお前に手貸しただけで、なんにもないじゃないかっ。俺の人生だって『ボレロ』だよっ。同じことの繰り返し。つまらない生活の繰り返し。そして振り返ると、時間だけを無駄に過ごしたことに気づくんだよっ。
近藤 ・・・・・・小田島。
小田嶋 いいよな。才能あって。いいよな、夢が叶って。いいよな、幸せで。俺なんかあのあと悔しくてさ、『どん底』って小説書いたんたよ。読んだろ。あれは自信があった。これなら行ける、正直思ってた。でも蓋を開ければどうだ。酒井、あのオヤジからはまったく、音沙汰なしだよ。笑っちゃうよ。そして今度は何。お前の本が映画化 ? 冗談じゃない。
      ソファーから思いっ切り立ち上がる小田嶋。
小田嶋 どうしてお前だけいい思い出来るんだよっ。どうして俺はその度に劣等感感じてなきゃいけないんだよ。
近藤 小田嶋っ。
小田嶋 お前がいっからダメなんだよ。お前がいっから俺がダメになってくんだよっ。
     棚に顔を埋める小田嶋
近藤 小田嶋、話があるんだ。酒井さんが来るまで待っててくれないかな。もう少しで分かるから。
     テーブルの上の『どん底』を見つける近藤。
近藤 そうだ。ほら、お前の原稿。どうしてここにあると思う。
     テーブルに向かって(小田嶋に背を向け)バラバラに散らばっている原稿を
     整える近藤。
     棚の上に置いてある包丁が目に入る小田嶋。
近藤 分かるだろ。詳しいことは酒井さんから聞いて欲しいんだけど。ほら、なあ、小田嶋。分かるだろ。僕の口からは言えないんだけど、なあ、察してくれよ。
     林檎の横にあった包丁を手に取る小田嶋。
     そして包丁を凝視し、ぐうっと近藤の方を振り返る小田嶋。
近藤 ほら、見ろよ。お前が書いた、どん・・・・・・
     原稿を手に、小田嶋の方を振り向く近藤。
     近藤を刺す小田嶋。
     時間が止まったかのようになる。
      『ボレロ』が静かに流れる。
     二人とも微動だにしない。
     しばらくしてお互いがお互いから離れる。
     そのまま倒れる近藤。
     小田嶋は呆然と立ち尽くす。
酒井の声 イヤッホ、イヤツホ、イヤッホッホーッ。近藤先生、お待たせしました。いや、『どん底』大絶賛の嵐で、皆、飲め飲めって言うもんですから、軽くお酒、たしなんで来ちゃいました。飲酒運転ですよ。・・・・・・あれ、小田嶋君 ? 小田嶋君でしょ。ありゃぁ、しまった。こりゃニアミスだわ。近藤先生に怒られちゃうな。
     酒井が入ってくる。
酒井 小田嶋く、あ、いやいや小田嶋先生っ。フラゴナール文学賞新人賞受賞、ホントにおめでとう。
小田嶋 (茫然自失)
酒井 ・・・・・・?
     その場の異変に気づく酒井。
     ゆっくり小田嶋に近寄る酒井。
     近藤の死体を目にする酒井。
     近藤に駆け寄る酒井。
酒井 近藤先生っ、近藤先生っ。
小田嶋 (茫然自失)
       小田嶋が握る包丁を見る酒井。
酒井 小田嶋君。・・・・・・何やってんだっ。小田嶋君っ。
     小田嶋につかみ掛かる酒井。
     小田嶋を激しく揺する酒井。
酒井 (声にならないような声で)・・・・・・なんだよ。・・・・・・何やってんだよっ。
     力が抜け、その場に倒れこむ酒井。
酒井 ・・・・・・何、全部棒に振ってんだっ。・・・・・・馬鹿じゃないかっ、こんなこと。・・・・・・全部つかんで、全部うまく行くはずだったのに・・・・・・
     初めて酒井の方を見る小田嶋。
酒井 ・・・・・俺は、お前らに・・・・・・作家として・・・・・・お互い頑張って欲しかったのに。そういう夢まで見させてもらったんだよっ、俺は。お前らに。・・・・・・絶対こいつら、一流になれる。そう思って・・・・・・だから、俺・・・・・・お前のこと見捨てなかったろ。す゜ーっと見守って来たつもりだったのに。・・・・・・せっかく・・・・・・これからだったのに。
     床に散らばる原稿を目にする酒井。
酒井 ああ、と゜うしてこんなことに。・・・・・・近藤君、近藤君はね、私に頭下げたんだよ。よろしくお願いしますって。どんな思いで私に頭さげたのか・・・・・・近藤君の気持ちが分からないのか。・・・・・・見てみろ、・・・・・・なんだ、この原稿。
     散らばっている原稿を目にする小田嶋。
小田島 ・・・・・・
     思わず包丁を落とし、その原稿をつかむ小田嶋。
酒井 ・・・・・・せっかく夢が叶ったのに。・・・・・・自分が『どん底』に落ちてどうすんだっ。
     近藤の死体を見る小田嶋。
小田嶋 ・・・・・・(絶叫)
     『ボレロ』がクレッシェンドし、最高潮に。
     そして『最後の八小節』を迎え・・・・・・曲が終わる。

―― 幕 ――