ど ん 底 @

       作・山崎 洋平

近藤勤 酒井俊之 小田島幸夫 マリー

東北大会で創作脚本賞を受賞
観客を興奮の渦にまきこんだ作品 

どん底 A  
                      @  楽  屋
      幕が開くと、舞台にはテーブルと白いソファー、机と二脚の椅子
           が ある。
      舞台後方には棚があり、ラジカセなどが置いてある。

      舞台は真っ暗な状態。
      足音が聞こえる。
      そして立ち止まり。鍵を開け、ドアの開く音がする。
スタッフの声 ・・・・・・(くしゃみ)
    鼻をすするスタッフ
スタッフの声 どうもすみません。昨日、たくさん鼻毛抜いちゃったもんですから。・・・・・・どうぞ、こちらです。少々、埃っぽい楽屋ですが。(くしゃみ)
    鼻をすするスタッフ。
スタッフの声 鼻毛なんか抜くんじゃなかった。・・・・・・それでは六時半開演ですので、10分まえにはスタンバイよろしくお願いします。何かご不明な点がございましたら、なんなりと・・・・・・(くしゃみ)。えーい、畜生。
    かなり激しく鼻をかむスタッフ。
スタッフの声 それでは失礼・・・・・・あっ、鼻血。
      照明が点く。
      舞台には近藤勤(三十三歳・男性)が呆然と立ち尽くしている。
      手には鞄を持っている。
近藤 お大事に・・・・・・
      スタッフが去る。(客席からは見えない)。
      楽屋を見渡す近藤。
      手に持っている鞄を置く近藤。
      腕時計を置く近藤。
近藤 (まだまだ時間があるな)
      鞄からCDを取り出してラジカセにセットする近藤。
      再生ボタンを押す近藤。
      ・・・・・・「ボレロ」が流れる。
      音楽に合わせ身をくねらせる近藤。
      そして鏡台(鏡そのものは観客からみえない)に自分の顔を映す     近藤。
近藤 (なんだ、この顔は)
      舞台から離れ、舞台中央で踊る近藤。
      酒井俊之(五十代後半・男性)が登場する。
      踊る近藤をニヤニヤと見ている酒井。
      酒井がやって来たことに気づいてない近藤。
      ・・・・・・酒井の存在に気づく近藤。
近藤 あっ、酒井さん !
          慌ててダンスを止め、ラジカセの停止ボタンを押す近藤。
酒井 こんばんは。
近藤 びっくりしたあ。ずいぶん早いですね。
酒井 自転車飛ばせばすぐだよ。多少。交通違反しちゃったんだけど。
近藤 そろそろ悔い改めた方がいいと思いますよ。あの、コーヒーでも入れるんで、どうぞ座ってください。
     ソファーに座るよう酒井に勧める近藤。
酒井 ああ、いいよ。私がやるよ。先生は座って、楽にしてて。
     近藤をソファーに座らせる近藤。
近藤 なんだかすみません。
     棚を覗く酒井。
酒井 お茶かコーヒーか・・・・・・ヤクルトまであるよ。
近藤 コーヒーいただけますか。
酒井 分かりました。・・・・・・あっ。
近藤 どうかしました?
酒井 ・・・・・・空っぽだよ。お茶もコーヒーも、ヤクルトまで空っぽだ。
近藤 えーっ、うそぉ。信じられないな、空っぽ置いとくなんて。
酒井 忘れましょう・・・・・・あっ、そうだ、私、家から林檎持って来たんだった。親戚が林檎栽培してましてね、毎年腐るほど送ってくるんですよ。そんなに食えない、って言うのに。
     自分の鞄から林檎を取り出す酒井。
酒井 どうですか。一丁剥きますか。
近藤 あっ、あのぉ・・・・・・
酒井 どうしました。林檎好きでしょ ?
近藤 すみません。僕ダメなんです、林檎。歯槽膿漏なんで。
酒井 あ、そう。じゃあね、ここに林檎セット置いとくから、食べたい時食べて。
     林檎セットを棚に置く酒井。
近藤 だからっ。
酒井 あっ、そうか。無理なのか。血、出ちゃうのか・・・・・・忘れましょう。
     近藤の元へ向かう酒井。
酒井 それにしてもあれだね。楽屋っていうもんは、案外殺風景なもんだね。
近藤 そうですね。
     ソファに座る酒井。
酒井 完成披露試写会なんて私、初めてですよ。
近藤 僕もです。
酒井 スピーチ、楽しみにしてますから。
     正面を向き、物思いに耽っている酒井。
酒井 長かったね、ここまで来るのに。
近藤 ええ。
酒井 決して、楽な道のりじゃなかった。
近藤 茨の道です。
酒井 でも、先生はこうして作家として名を上げ、自分の小説が映画になった。あなたは私の誇りですよ。
近藤 いや、ホント酒井さんのおかげです。
酒井 やめてください。
近藤 ありがとうございました。
酒井 ・・・・・・あれは、いつでした。
近藤 は ?
酒井 あ、昔話は嫌い ?
近藤 いえ。
酒井 (思い出しながら)ほら、近藤先生が初めて私のところにやって来た時。
近藤 ああ。
酒井 あれはいつでした。
近藤 ・・・・・・覚えてませんね。僕、売り込みに行ったんですよね。
酒井 売り込む前に、あなたは帰ったんだ。
      ソファーを立つ近藤。
      そして原稿を手に持つ近藤。
近藤 思い出しました。あれは確か大学3年の時。僕は小説家という夢に向かって小走りしてた。

 

 A 
オフィス街。・その大通り〜フラゴナール出版・酒井のオフィス。

      原稿を胸に、大通りを小走りする近藤。
近藤 とある高校の色白の教頭先生にスポットを当てたサスペンス、『白い教頭』を胸に、僕は一人、フラゴナール出版を目指した。・・・・・・着いたようです。僕は受付のお姉さんに軽く会釈し、エレベーターに乗り、そして指定された場所へ、指定された時間よりも十八分早く到着した。
      直立不動で緊張している近藤。
近藤 あの時の緊張はあれに似てました。水泳大会で名前を呼ばれ、飛び込み台に上がった時の、あの緊張です。飛び込んでしまえばなんともないのに。
      しばらくの沈黙。
酒井 ・・・・・・(ぶっきらぼうに)と゜うそ゜。
      気合を入れる近藤。
      オフィスへ向かう近藤。
近藤 ・・・・・・(嗚咽)
      ドアをノックする(動作だけ)近藤。
酒井 (ぶっきらぼうに)はい。
      ドアをゆっくり開ける近藤。
      近藤をジロリと見る酒井。
近藤 失礼・・・・・・しました。
      ドアを閉める近藤。
      自己嫌悪に陥る近藤。

 

B 楽 屋

酒井 あれは笑ったな。前代未聞ですよ。怖気づいて逃げちゃうなんて。
近藤 苦手だったんですよ。ああいうの。
酒井 今でこそ先生はこうして普通に会話してますが、あの頃はもう軽い対人恐怖でしたからね。
近藤 初対面の人と何かするっていうのがダメなんですよ。
酒井 いつも挙動不審で。
近藤 何度か任意同行求められました。
酒井 そりゃそうでしょ。あれじゃまるで下着泥棒だ。
近藤 そこまで言わなくても。
      ソファーを立つ酒井。
酒井 あの日は、どんな気持ちで帰ったんですか。
近藤 どっぷり落ち込んで、これからどうしようかって悩みましたよ。だからあの店に行きました。
酒井 あの店 ?
近藤 L  AMOUR。
酒井 L  AMOUR・・・・・・?
近藤 覚えてませんか。一緒に行ったことあるじゃないですか。
酒井 記憶に無いな。
近藤 あのおかしなシャンソン歌手が歌い踊る・・・・・
酒井 ああ、あのシャンソンバー?
近藤 男っぽい女のマリーさん。
酒井 思い出した、思い出した。いやあ、彼女のシャンソンは絶品だった。
近藤 悩み事とか嫌なことがあると僕は必ず、あの店に足を運ぶんです。
酒井 覚えてますよ。街から少し離れた路地裏の、ちょいと小洒落た、赤いバラの似合うシャンソンバー。

 

C シャンソンバー

マリーの声 私は歌姫。・・・・・・LA  MARIE  VISON  毛皮のマリーっ。
   突然、『毛皮のマリー』が流れる。
   歌いながらマリー・ダフネ(年齢不詳・パリジェンヌ)が登場。
マリー ♪パリの街の名物女
毛皮のコートの乞食マリー
白髪まじりの頭ふりふり
たるんだほっぺにゃ紅をさし
気取って歩くその足どりは
アルコール中毒でふらふら
世の中なんて甘いもんさと
古い唄しゃがれ声でうたってる
昔はちょいとならしたもんさね
モンロー・ウォークもあたしが先輩さ
昔男どもを悩ませた瞳も
今では破れコートのしらみも取れない
それでもこりず今日も男さがし
誠の恋をばさがしまする
今ではすでに手遅れなのに
昔の夢を追いかける
男たちをひざまずかせて
果ては泣かせてすてちゃう
絹やレースにつつまれながら
ぜいたくしほうだいの毎日
手練手くだの四十八手で
だましたばつの乞食マリー
人々に笑われながら
お尻をふりふりきょうも行く  (訳詩 美輪明宏)
      歌い終えるマリー
      肩で息をしている近藤
マリー ・・・・・・ちょっと勤ちゃん、何疲れてんの。
近藤 マリーさん、怖い。鬼気迫りすぎ。
マリー まあっ、失礼なのね。
近藤 それから、こんなことまで言いたくないけど、マリーさん、ワキ毛(飛び出てる)
      自分のワキの下を覗き込むマリー。
マリー いいじゃない、野性的で。
      ワキ毛を引っこ抜くマリー。
      そして、それを近藤に向かって吹き飛ばすマリー。
      爆笑するマリー。
マリー ・・・・・・ねえ、勤ちゃん、なんか悩みでもあるんじゃないの。
近藤 どうして。
マリー 顔から滲み出てるのよ、負のオーラが。
近藤 分かる ?
マリー 分かるわよ、当然でしょ。
近藤 マリーさん、悩み聞いてくれないかな。
マリー 聞くだけならいいけど、一緒に悩むつもりは全然ありませーん。
近藤 ・・・・・・実は僕、小説家になろうかと思ってるんだけどね、作品売り込めないんだよ。
マリー 売り込めないって ?
近藤 緊張してさ、売り込みたいって思ってもダメなんだよ。もし突き返されたら、もし立ち直れないようなこと言われたらどうしようかって思うと、怖くてダメなんだよ。
マリー そんなことぐらいで怖がってどうすんの。私なんてね、パリから一人で日本にやってきたのよ。うまく日本語も喋れず、この美貌でしょ。そりや怖かったわよ。でもね、私は、いろんな人の愛に励まされ、助けられ、支えられて生きてきたのよ。
L AMOURっていうのはね『愛』って意味なのよ。
近藤 (ちょっと困惑)それは分かったからさ、僕はどうすればいいんだろう。
マリー だったら、そうね・・・・・・誰かと一緒に行けばいいんじゃないの。
近藤 ・・・・・・(そっか)
マリー 私の言ってること、違う ?
近藤 その手があったか。
マリー こんなことで悩んでたの ?
近藤 十年間も答え出なかった。
マリー 馬鹿だね。アジヤパーだね。
近藤 誰にお願いすればいいんだろう。
マリー それぐらいは自分で答え見つけなさい。
    唸りながら悩む近藤。
近藤 んーっ・・・・・・んーっ・・・・・・
マリー ・・・・・・あのね、ここで悩まないでくれる ?
近藤 ・・・・・・小田島。・・・・・・そうだ小田島だっ。
マリー 誰よ。
近藤 小田島って奴がいるんだよ。僕と同じ大学の文学部で、僕と違って何度も自分の作品売り込みに行ってるんだよ。
マリー じゃあ、もうその人は作家先生なの?
近藤 それがここだけの話、小田島には才能がこれっぽっちもない。
マリー あらま。
近藤 でもあいつどういう訳か編集者たちにえらく気に入られるんだよ。『君、才能無いけどおもしろい奴だな。どうだ、うちで営業やってみないか』なんていわれて営業やったり、いろんな作家の家まで原稿取りに行ったり。
マリー うまく利用されてるんじゃないの。
近藤 だからあの男には、人脈があるんだよ。
マリー あらぁ。
近藤 小田嶋は編集者だけじゃなく、誰からも好かれる魅力を持ってる。誰にでもヘコヘコ付いていってご飯ご馳走になったり、なんかのパーティに呼ばれて一発芸披露してみたり。・・・・・・そうだ、あいつ話もうまいんだよ。
マリー 売り込みにぴったりじゃないの。
近藤 マリーさんもそう思う?
マリー 知り合いの編集者なんかゴマンといるんじゃないの? こりゃ決まりだね。
近藤 心のモヤモヤがすっきり晴れた。
マリー ちなみに勤ちやん、どんな小説売り込もうとしてたの。
近藤 『白い教頭』ってやつなんだけど、さっき読み返してみたらまだちょっと未完成な状態だったから、今度は違う作品を持って行こうかと思ってる。
マリー 違う作品って、いくつ書きためてるの?
近藤 十年間売り込めないまま、今も棚の中に仕舞ってあるんだ。
マリー どれくらいあるの?
近藤 三十一。
マリー はあ。
近藤 凄いでしょ。
マリー じゃあ次はどんな作品持ってくの? タイトルは?
近藤 『お釜』
マリー あらヤダ。おかま?
近藤 違うよ。あの、ご飯炊くときのお釜。
マリー ああ。
近藤 お釜を楽器として使い始めた高校生の物語なんだけど。
マリー おもしろそう。
近藤 期待してて。本出来たらプレゼントするから。
マリー まあまあ、夢が膨らむこと。
      『蛍の光』が流れる。
マリー さっ、もう帰んなさい。終電無くなるわよ。
近藤 えっ、もうそんな時間?
       腕時計を見る近藤。
マリー そんな時間よ。もうとっくに。
近藤 タクシー呼んでもらえる? 終電間に合わない。
マリー 自分で呼びなさいよ。携帯持ってるんでしょ。
近藤 (甘えた声で)マリーさん(お願いします)
マリー 耳が腐るわ。
近藤 ここ電波悪いんだよ。
マリー しょうがないわね。どこまで世話がやけるのかしら。
       ソファーから立ち上がるマリー。
       ふとパラが目にはいる。 
マリー このバラ、あのゴミ箱に入ると思う?
       花瓶のバラを手に取るマリー。
       客席に向かって構えるマリー。
近藤 入んないんじゃないの。だって随分あるよ。
マリー もし入ったら、勤ちゃん、今日は歩いて帰んなさい。
近藤 いいよ。絶対入んないから。
マリー 入らないかしら。
近藤 無理無理。入る訳がない。
       じわじわゴミ箱に近づくマリー。
マリー ・・・・・・入るかしら。
近藤 入るよっ。
マリー えいっ。
       バラを客席に投げるマリー。
       ・・・・・・満面笑みを浮かべるマリー。
マリー ・・・・・・入った。
     暗転。

 

D シャンソンバーからの帰り道

       興奮しながら登場する近藤。
近藤 ♪街は今 眠りの中 あの鐘を鳴らすのは あなた
       車のクラクションが鳴り、轢かれそうになる近藤。
近藤 すみません。調子に乗りすぎました。
       平謝りする近藤。
近藤 L AMOURを出てからどのくらい経ったて゜しょうか。今、夜中の一時に手が届きそうな時間です。街の静けさとは裏腹に僕の心はハッピーハッピー。まるで『雨に唄えば』のジーン・ケリーでした。帰る気がしない。
       携帯を取り出す近藤。
       小田嶋に電話を掛ける近藤。
近藤 ♪(オロナミンCのCM)私は言いたいことがある あなたに言いたいことがある だかにこうしてプッシュして あなたのお家に電話する 小田嶋ぁ君っ・・・・・・間違えました、すみません。・・・・・・ええ。間違いです。私あなた知らない。
       電話を切る近藤。
近藤 あれぇ、おっかしいな。
       電話を掛け直す近藤。
       電話を耳に当てる近藤。
近藤 ・・・・・・(電話に)ああ、もしもし、近藤です。小田嶋?だったらおきてくれ。ちょっとお願い事があるんだ、聞いてくれないか。聞くだけじゃなく叶えて欲しいんだ。・・・・・・
うん。・・・・・・うん。あのね、売り込みやってもらいたいんだ、小田嶋に。・・・・・そう、小田嶋に。僕の作品を。・・・・・・どうしてって、僕ってあれだろ、軽い対人恐怖症で、若干、挙動不審だろ。・・・・・・だからとにかく、明日僕のところに来てくれないか。・・・・・・そう、僕の所。・・・・・・嫌だよ、お前のアパートは。小汚いし。それに今僕、足怪我してるからさ。とても歩けるような状態じゃないんだ。・・・・・・
頼んだよ。・・・・・・はい。はい。じゃあ、おやすみ。
       電話を切る近藤。
近藤 細木数子が力説してました。人生、うまくいく時は行くもんなのよ。どんどんいい方向に、転がって行く。
       笑いながら、でんぐり返りで転がりながら退場する近藤。

 

E 書  斎

小田嶋の声 おじゃまします。
    小田嶋幸夫(三十三歳)におんぶされながら登場する近藤。
小田嶋 ・・・・・・下ろすぞ。下ろすぞ。
近藤 ゆっくり、ゆっくり。
    近藤を椅子に座らせる小田嶋。
近藤 あっ・・・・・・ダメっ。
小田嶋 えっ。
近藤 あっ・・・・・・ああ。
    なんとか椅子に座り、もう一つの椅子に足を乗っける近藤。かなり痛
    そうな様子の近藤。
小田嶋 ・・・・・えいやぁーっ !
いきなりその足をペチペチたたく小田嶋。
小田嶋 この嘘つき野郎めがっ。
近藤 (悶絶・・・・・・のふり)
小田嶋 さも楽しげにでんぐり返りしてたじゃないか。
    でんぐり返りをする小田嶋。
    立ち上がろうとして机に頭をぶつけてしまう小田嶋。
小田嶋 お前、昨日俺のアパートの前通っただろう。
近藤 (まずい)そうだっけ。
小田嶋  !
    近藤をにらむ小田嶋。
小田嶋 ・・・・・・。(気を取り直して)はあ、信じらんないっ。ホント変わんないよね。大学ン時から。適当で、いい加減なことばっかり言って、嘘ついて。成長の跡がまったく見られない。
近藤 昔話は止めてくれよ。
小田嶋 どうだっていいけどさ。で、俺は一体何やればいいんだよ。
近藤 え ?
小田嶋 売り込めばいいんだろ? お前の作品。
近藤 いいの?
小田嶋 まあ、俺とお前は・・・・・・苗字がちがう。だけど俺は、お前を兄弟のように思ってるわけさ。・・・・・・売り込んでやるよ。
近藤 (感激)
小田嶋 ああ、でもさ、前もって読ませてもらわないと売り込みようがないから。
近藤 ああ、そうかそうか。
     原稿を小田嶋に渡す近藤。
小田嶋 ああ、これ?
近藤 自信作なんだ。
     小田嶋にストーリーを説明する近藤。
小田嶋 ・・・・・・売り込んでやるよ、責任もって。
近藤 (ジーン)小田嶋の知ってる編集者、誰か紹介してほしいんだけど。
小田嶋 一人読んでくれそうな人がいるんだよ。
近藤 ホントに?
小田嶋 俺も何度か読んでもらったんだけど、まあ箸にも棒にもかからかなったんだけどね。
近藤 出来れば、その時、小田嶋にも付いて来てもらいたい。
小田嶋 まあ、そうなるだろうね。
近藤 (感激)
小田嶋 泣くな、泣くな。
近藤 (鼻を垂らし感激しながら小田嶋に感謝)
     肩を叩く小田嶋
小田嶋 ホント変わんねえよな、お前。些細なことですぐ鼻垂らしてさ。
近藤 (鼻垂らしながら)昔話は嫌いなんだってば。
       暗 転

 

F 楽  屋
酒井 昔話嫌いってどういうことですか。
近藤  ?
酒井 昔話しなかったら、この劇成り立たないんですよ。
      照明が点く。
近藤 あ、いや、好き。好きですよ。大好き。
酒井 それならいいですけど・・・・・・。驚いちゃった。
近藤 あの時はほら・・・・・・
酒井 いいから話進めましょう。試写会の時間が迫ってる。
近藤 (気を取り直して)それで僕は、胸に原稿と少しの希望を抱き、小田嶋と二人、再び酒井さんのもとを訪れた。
      ソファーを立つ近藤。
酒井 あの時の売込みを私は忘れたことはありません。小田嶋君は君のために必死に売り込み、あなたはあなたで私に、必死に念を送ってた。

 

Gフラゴナール出版・酒井のオフィス
   ソファに座り、険しい表情で何やら資料を読んでいる酒井。待合室で作   戦会議を開いている近藤と小田嶋。
   かなり緊張している近藤。
酒井 ・・・・・・どうぞ。
      お互いうなづき合う近藤と小田嶋。
      近藤の肩を叩く小田嶋。
      気合を入れる近藤。
      ドアをノツクする小田嶋。
小田嶋 失礼します。
酒井 はい。・・・・・・あっ、小田嶋君。
小田嶋 どうも。
酒井 待ってたよ。
小田嶋 わざわざお時間割いていただいてすみません。
酒井 いいよ、気にしないで。とうぞ座って。
      ソファーに座るよう勧める酒井。
小田嶋 いえいえ、とんでもない。我々は、地べたで充分。
      酒井に向かって正座する近藤と小田嶋。
酒井 何もそこまで(しなくても)。座ってください。
      立ち上がろうとする近藤と小田嶋。
小田嶋 ほら近藤、ご挨拶を。
近藤 (緊張して)・・・・・・・は、初めまして。こ、こ・・・・・
小田嶋 落ち着いて。緊張した時はヒーヒーフーフーだ。
       ヒーヒーフーフーを実践する近藤。
       そんなことをしながらソファーに座る近藤。
近藤 近藤勤と申します。
酒井 初めまして。
小田嶋 酒井さん、実を申しますと、この男、過去に一度、こちらにお邪魔しているんです。
酒井 そうでした?
小田嶋 記憶にないですか。売り込む前に帰った男。
酒井 ああ、あの時の。
近藤 ・・・・・・あれは忘れてください。
酒井 インプット、インプット。
近藤 (困惑)
小田嶋 酒井さん、この男は元来、人と会話するのが苦手で、人前に出るとすぐ怖気づいてしまうんです。以前の売込みが正にそれです。
 彼の夢は子供のときから、小説家になることなんです。これまでにたくさんの小説を書いてきました。しかしその小説達は彼の書斎の棚で眠っています。多くの人に読んでもらいたい、そう思って書いた小説が今、埃を被ったままなんです。彼にとってこれほど辛いことはありません。
 彼は売り込みをできない自分を責めて、責めました。どうして僕はダメなんだ。悔しい、辛い、苦しい・・・・・・。思い悩んだ末彼はある時、大量の薬をあおりました。僕はとてもショックでした。でも彼が今こうして元気でいられるのは、飲んだ薬がビタミン剤だったからです。おかげ様で、おしっこがまっ黄っ黄になるだけで済みました。
近藤・小田嶋 ありがとうございました。
酒井 私は何もしていない。
小田嶋  彼が僕に、売込みを手伝ってほしいと言うまで十年かかりました。十年です。はっきり言って馬鹿です、こいつは。
でも、せめて一目だけでも、こいつの小説を見てやってください。お願いします。全部読めとは言いません。ざっと。ちらっとでもいいんです。近藤勤の小説から、埃をふーっと吹き飛ばして欲しいんです。
      ちょっとだけジーンと来ている酒井
酒井 ・・・・・・分かりました。拝見しましょう。
      小田嶋を見る近藤。
      微笑む小田嶋。
      酒井に原稿を渡す近藤。
近藤 よろしくお願いします。
      原稿を受け取る酒井。
      ざっと流し読みをする酒井。
酒井 ・・・・・・これ、タイトルなんていうの。
近藤 「お釜」です。
酒井 ・・・・・・おかま?
          暗  転

 

H 楽  屋

    ソファーに座っている近藤と酒井。
酒井 小田嶋君にアシストしてもらいながら、先生は確実に階段を上っていった。日を追うごとに仕事が増え、知名度も上がり、おまけに軽い対人恐怖症まで克服した。
近藤 小田嶋には。ホント感謝してます。
酒井 いろいろな面で先生は小田嶋君に助けられましたよね。
近藤 ・・・・・・ええ。
酒井 あの頃、小田嶋君は一日中走り回ってたな。まだまだお前は新人だ、なんて言って、いろんな人に頭下げて、仕事もらって。
近藤 ・・・・・・
酒井 小田嶋君は誰よりも先生のことを考え、先生の一番の理解者であり、そして何より、先生の一番の親友だった。
近藤 ・・・・・・そうかな。
酒井 それは羨ましい限りだった。

 

I 書  斎
     机に向かって、死に物狂いで仕事している近藤。
     小田嶋が登場する。
小田嶋 どうだ、調子は。
近藤 死にそうだよ。
小田嶋 二日寝てないんだっけ。
近藤 三日目に入るよ。
小田嶋 ちょっと仮眠とればいいのに。
近藤 今目を閉じたら間違いなくノンレム睡眠に陥る。それに締め切りが間近に迫ってるんだよ。
小田嶋 よろしく頼むよ。みんなお前に期待してるんだから。
近藤 1時間後に雑誌のコラム二本、その三十分後に取材。そして新作の執筆をしてまた取材。そして三時間後に新しく連載し始める雑誌の打ち合わせ。それが終わればまた執筆。
小田嶋 ひゃあ、地獄だ。
近藤 全部お前が取って来たんだからね。
小田嶋 いやお前、俺が頭下げてこんだけ仕事が取れるってことはだよ、お前の名前が売れて来てるって証拠だよ。
近藤 そうかな。
小田嶋 そりゃそうだろ。今の時代、誰がヘッポコポコポコなんか使う ?
近藤 ・・・・・・・・・
小田嶋 まっ、死に物狂いで頑張って。
近藤 コラムさえ片付いちゃえば、一息つけるんだけど・・・・・・
小田嶋 そうはいかないよ。
近藤 え。
小田嶋 近藤、新たな仕事だ。
近藤 おい、ちょっと勘弁してくれよ。
小田嶋 明日の執筆、締め切り、執筆、取材、執筆、休憩の休憩と、明後日の執筆、取材、執筆、締め切り、取材、休憩。この休憩全部カットしてめざましテレビの取材を入れて欲しい。
近藤 ちょっと待って。
小田嶋 念願の軽部さんだぞ。
近藤 俺、死ぬよ。それに軽部さんと一対一で会話出来るわけがない。
小田嶋 もう大丈夫だよ。
近藤 自信ないなぁ。
小田嶋 お前はもう昔の近藤勤とは違う。お前はいろんな取材やパーティーなんかを通して、対人恐怖症を完治させたんだよ。
近藤 でも、いきなり軽部さんはどうかと思う。
小田嶋 何言ってんだよ。いいか、お前は日に何本もの取材受けることだってあるんだろ。そん時のお前どうだ。びくびくして取材受けてるか。それとも、昔みたいに俺がべったり隣にくっついて代弁してやらなきゃダメな状態か。違うだろ。
近藤 ・・・・・忙しいから、緊張する前に取材終わっちゃう・・・・・
小田嶋 だったらなんの問題もないよ。堂々と取材受けろ。
近藤 ・・・・・・
小田嶋 かるっ、軽部さんだぞ。またとないチャンスなんだぞ。よろしくな。
近藤 ・・・・・・
小田嶋 頑張れよ。
近藤 ・・・・・・うん。
小田嶋 だったら急いで仕事片付ける。
    仕事を再開する近藤。
    ラジカセの再生ボタンを押す小田嶋。
    「ボレロ」が流れる。
    椅子に座る小田嶋。
    メモ帳になにやら書き込んでいる小田嶋。
近藤 ・・・・・・小田嶋、最近静かだよね。
小田嶋 ん。
近藤 前は一人じゃんけんとか、一人あっち向いてホイとかやってたのに、何やってんの。スケジュール管理 ? 
小田嶋 馬鹿言え。俺だってまだ小説家になる夢捨てたわけじゃないんだよ。だからこうやって、勉強してるんだ。
近藤 何書いてんの。
小田嶋 溢れるアイディアを書き留めてるんだよ。
    作業を再開する近藤と小田嶋。
    近藤は原稿をチェックしている。
    しばらくして作業を止める小田嶋。
    ストレッチをしたり、音楽に合わせ指揮をとってみたりする小田嶋。
小田嶋 ・・・・・・お前、この曲好きなんだよね。
近藤 どの曲。
小田嶋 今流れてる曲。耳に入ってませんか。
近藤 ああ、好きだよ。
小田嶋 ・・・・・・こうやって聞いているとさ、お前がこの曲に自分に人生重ね合わせるのも分かる気がするよ。
近藤 でしょ。
小田嶋 近藤、いつものあれやってくれよ。
近藤 え、今 ?
小田嶋 もうそれ終わるんだろ。ちょっと気分転換にさ。
近藤 ・・・・・・やろうか。
    椅子から立ち上がる近藤。
小田嶋 よっ、勤ちゃん、待ってました。さんハイっ。
近藤  僕はクラシックが大好きで、中でも『ボレロ』がお気に入りなんです。あの二つの旋律を延々と繰り返す、あの『ボレロ』です。初めの四小節はスネアドラム。そこからフルート、ファゴット、ピッコロ、オーボエの独奏が続きます。そして、時間の流れと共に楽器の数がだんだんと増えて行き、賑やかな世界が幕を開けるんです。スネアドラムは小説家になろうという希望を表現し、地味な独奏群は自分では売り込むことが出来ず、いつまで経っても本を出せずにいるもどかしさを表現しています。やがてそれを通過すると、僕が夢に描いていた華やかな世界が広がっている。僕は『ボレロ』を自叙伝だと思っているんです。
    拍手する小田嶋。
小田嶋 なんの取材だっけ。
近藤 なんだっけかなあ。
小田嶋 懐かしいよなあ。お前あの時、すンごく舞い上がってたよな。
近藤 『ボレロ』の話されるとうれしくなって。
小田嶋 おかしかったよなぁ。お前が初対面の人にあんな熱弁振るうなんて。
近藤 自分でもスカッとして気持ちよかったもん。ああ、きっと小泉総理もこんな気分だったんだろうなぁって。
小田嶋 ほら、もうこの時点でお前は軽い対人恐怖症を克服してるんだよ。これがいい証拠だ。軽部なんか怖くない。
近藤 ・・・・・・小田嶋。
小田嶋 さっ、気分転換したら仕事しろ。
    仕事を再開する近藤。
    小田嶋も椅子に座ってアイディアを書き留めている。
    時折、二人で何やら談笑している。
酒井 私は知っています。近藤先生と小田嶋君は、お互いを必要としていた。近藤先生は、小田嶋君という素晴らしいマネージャーがいたからこそ、最高の環境で仕事することが出来た。小田嶋君は、近藤先生という素晴らしい作家のそばにいられたからこそ、たくさん仕事を受け、成長することが出来た。近藤先生と小田嶋君。彼らは二人で一人だった。そしていつかの日か必ず、小田嶋君も作家になって、二人で切磋琢磨しながら、超一流作家になるはずだったんだ。私の目には既にその光景がはっきり見えていた。
    突然『ボレロ』が止まる。
酒井  「同じ旋律を繰り返していると、必ずどこかでミスが生じる。」ボレロを演奏する音楽家は皆こう言います。
 彼らだってそうだ。まるでボレロのスネアドラムだ。今の今まで彼らは、お互いを励まし、助け合いながら正確なリズムを刻んで来れた。でも、ちょっと狂ってしまっただけなんだ。それは避けて通れない道なんだ。大切なのは、ミスしたあと、どうやって元の状態に戻すかが肝心なのだ。 しかし、一度狂ってしまったスネアは、そう簡単に、元には戻らないようで・・・・・・
    暗  転

                つ づ く

どん底 2 へ