球面の中心 (金子兜太論)    秋尾 敏    

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                       「俳句研究」誌 平成5年8月号掲載
 一 中心的主体
 兜太は自らを中心に置く。
 東京帝国大学を卒業し、日本銀行に勤め、『海程』を主宰し、現代俳句協会会長となる。これらの事象だけでも、兜太が中心を指向して生きてきたと指摘するには十分だ。
 だが、そんなことは大した問題ではない。それらは兜太の、ある精神の結果に過ぎない。重要なのは、そうした兜太の生き方の背後にある、兜太自身の、自らを中心に置いてしかものを考えることをしない強靱な主体精神の存在である。
 兜太の精神は、構造の内部に留まることを許容せず、常に構造からの逸脱を図る自由で孤独な精神である。自己の現在を視点とし、内部から沸き起こってくる感性によってのみ世界を解釈し、語る。それが兜太の方法である。
 兜太によって読み解かれた世界の構造は、たちまち兜太の言語体系に組み込まれる。そこでは、透明な言葉で語られる明快な構造を超えて、不透明な言葉による混沌の地平が拓かれていくのだ。兜太の主張は本質的にドグマなのである。
 だが、構造の衣裳に身を固め、整合性の網に呪縛されつつ、他人の言葉でしかものを語れない脆弱な言語精神ばかりが目につく今日、この強靱な主体の存在は貴重だ。文学の言葉さえもが、自らの外側にある言語においてしか自己の認識を語ろうとしない習癖を身につけつつある時代にあって、兜太は希有の存在である。
 兜太が求めるものは、見られる存在ではなく見る存在であり、客観ではなく主観である。世界の中心に自らの精神を置き、そこを原点として世界を再構築していくこと、それこそが兜太のもくろみである。
 だから兜太を読むということは、その主体のもくろみの総体を読むということでなくてはならない。それは兜太の内部の言葉を読むということである。

 家蔭に黄色い電車荒れくるう     (『暗緑地誌』)
 
 ここで荒れくるう電車というものを受け止めているのは、読者のあなたではなく、兜太の精神、あるいは兜太の肉体であることを、あなたは意識しなくてはならない。それは言葉の重層性においてそうなのではなく、直接の意味としてそうなのである。でなければ、どうして住宅街を走る電車が「荒れくるう」などという表現に詩性を見い出せるというのだろう。黄色い電車をそのまま「黄色い電車」と認識し、それが「荒れくるう」のだと受け止めるしかなかった人物を想定することによって、初めて読者はこの作品に詩としての深さを与えることができるだろう。
 俳句の解釈はふた通りに行われる。例えば波郷の<霜の墓抱き起こされしとき見たり>のように、句の中に語り手が登場している句や、蛇笏の<をりとりてはらりとおもきすすきかな>などの、強い主観性のある語が含まれている句では、句の中に人物を想定して解釈するのが通例である。窓秋の<山鳩よ見ればまはりに雪がふる>などのように、切れ字として強く機能している語がある句も同様である。切れ字が語り手の存在を強く露呈するからである。
 一方、主観性の表出が弱い句については、通常は視点となる人物を登場させて解釈することはない。あたかもその光景を見定めたのが読者であるかのように解釈が行われる。
 だが、兜太の句を解釈しようとする時、読み手はその作品のすべてに兜太を登場させて読むしかない。

 林間を人ごうごうと過ぎゆけり     (『暗緑地誌』)

 この句では「ごうごうと過ぎゆけり」と感取している主体の存在が「けり」によって明示されている。こうした句に対しては、作者らしき人物を登場させて解釈することは一般的なことだ。しかし兜太の場合、次のような句にも詠み手を登場させないわけにはいかないのだ。

 霧の樹頭根に甲虫の交わり満ち    (『暗緑地誌』)

 この句の個々の語の主観性は弱い。強いて言えば、初句の体言止めがあろうが、しかしそんなことよりも、この句全体の意味からは、「甲虫の交わり」を幻視する人物を想定するしかないというところに、この句の表現の到達点がある。

 夜ふかく三日月で梳くみどりの髪   (『暗緑地誌』)

 むろんこの句も「みどりの髪」を幻視する兜太を見るべきである。「みどりの髪」という慣用句が、ここでは慣用を超えた一回性の表現として使われている。やや音感に流され過ぎた表現法であるかも知れぬが、この若く甘美なイメージもまた、幻視する人物を想定するしかないものである。
 こうした読み方を心得た上で兜太の作品を読み直せば、今まであなたが読み捨ててきた兜太の作品のかなり多くを、あなたは拾い上げることができるはずだ。
 むろんこのことは、兜太のすべての句が、人物を登場させないと面白くないという意味ではない。兜太の句のイメージは、それ自体十分に魅力的である。次の句のように、読み手の内部に直接に鮮烈なイメージを形成する句は多いのだ。

 海流の音あり街中の人逆立つ     (『暗緑地誌』)

 けれど読者は、そうしたイメージの面白さだけに留まっていてはいけない。そのような世界のとらえ方をしてしまう人物を、俳句の光景の中に登場させて読まなければならないのだ。なぜならば兜太が、安定した言語構造の中での美の構築を目指す作家ではなく、その構造のへりの部分で、自分自身を中心とした独自の言語構造を作り出そうとしている作家であるからだ。
 そのような意図を孕んだ作品の価値を、既に構築された俳句というものの概念的な価値観で推し量ろうとすることは無意味だ。ものさしの単位が違うとしか言いようがない。兜太を図るには兜太用のものさしを用意しなければならない。俳句汎用のものさしで済ませるほど、その作品は安易ではない。
 これは詩とは何かという根幹の問題とも重なることである。作品主義、あるいは言語実体論にも、十分に正当性はある。だがそれは、文学というもののひとつの側面的な価値でしかないことを知らなければならない。言語実体論には、作者ごとの個別の言語の価値を問うことができない弱さがある。
 思えば詩というものは、一面ではその作者を読むものではなかったか。その人の作品であればこそ、その言葉を愛し、口遊む。
 だから、作品の独立性といったところで、それは文学作品のある側面の話でしかなく、人はもっと総体的に詩というものと馴染んできたはずなのである。
 俳句は、その短さから作品の自立性を問われ続けてきた。そのため、俳句作家には、作品自立への強迫観念があるのかも知れない。
 芭蕉の句が『奥の細道』の文脈の中で読まれることは意味深いことである。一句が時代の文脈の中で読まれ、また作者の状況の文脈の中で読まれることも意味深いことなのである。詩の価値には、さまざまな相がある。
 兜太の句は、兜太という人間の文脈の中で、その言葉を読むことを要求してくる。例えそれが客観的な描写であろうとも、そのフレームを切り取った主観というものが重要であることを、兜太の句は主張し続ける。それが、兜太が切り拓いた俳句表現の地平である。
 二 前衛の残照
 言語行為における前衛とは何かということを考えておきたい。かつて兜太がそう呼ばれた以上、そのことと兜太の現在との関係を明らかにしておく必要があるからである。
 言語を、宇宙のように膨張し続ける球体と考えてみることにしよう。それは、内部で発生する情報群の内圧によって、あるいはまた、外部から取り込まれた情報による内圧の高まりによって、押し出されるように膨張し続けている。
 前衛とは、その球体の表層で、何事かの仕事を成し遂げようと決意した主体の意識である。既に球体の内部に構築された言語の体系や秩序によってではなく、次々と変化し続ける外部との境界面に身を置いて仕事をなそうとすること、それが前衛の位置取りである。
 その中には、その球面上の自己の位置を中心とする新たな言語球を作り上げようとする意識さえも存在する。
 兜太は、むろんそのような存在であった。
 球体の内部には、言語の構造があるとしよう。中心部にいくにしたがって、それは言語体系としての緊密な秩序を示すということにもしておこう。あるいは、言語をそのように認知する意識がそこに偏在すると考えてもよい。
 前衛の言葉は、極地的なものである。周囲の人々にも、その前衛と球の中心を結ぶ線上の人々にも理解されることは少ない。だが、知らず知らずの内に日常の中に浸透し、周囲の言葉を変貌させ、やがてその波動は言語球の中心部にも及ぶ。七十年代までの兜太の言葉はそのようであった。
 前衛の言葉が、既成の言語体系の内部に組み込まれていくためには、前衛と内部とを結ぶ経絡が必要となる。それがメディアである。そのままでは多数の人々には理解されない言葉を、メディアは次々に大衆化し、再生産する。
 だから、普通に考えられているよりも、前衛と呼ばれる領域のわけのわからなさと、大衆文化とは近い位置関係にある。
 実際、現代音楽が開拓した新しい耳障りなサウンドは、しばらく後にはB級オカルト映画音楽の中などに取り込まれ、やがて耳慣れたものとなっていくのである。
 言葉の世界でも同じようなことが起こる。前掲の<海流の音あり街中の人逆立つ>なども、今にして見れば、十分に三十秒のテレビコマーシャルの素材となりそうではないか。現代のコンピュータグラフィックは、さしたる苦労もなくこの兜太の開拓したイメージを映像化して見せることだろう。
 これは前衛というものが、整い過ぎた文化の秩序に対峙するものとして登場してくる以上当然のことなのである。秩序というものは、大衆的な文化が抽象され、純化される過程を経て形成され、規範性を持つことによって、大衆的なものから大きく離反しているものなのである。
 前衛の残した言葉の痕跡は、必ず次のシーンに残されていく。それは直接に言語体系となるというよりは、一旦、自然言語に取り込まれ、そののちに概念的な体系に組み込まれるという段階を踏む。だが、ほとんどの人々は、その過程にも、言葉の変容にも気付かない。自分の言葉の可能性が、そのお陰で拡張されているというのに。
 前衛は、言語球の内圧によってその位置を保持し得るのであり、また前衛の残照が体系に沈殿していくのであるから、前衛と秩序との関係は、排他的どころか相互依存的である。言語球は、その一方だけでは成り立たない。こうした構造は、おそらく前衛の内部にも存在する。兜太が前衛であるためには、彼の内部に新しい秩序への指向があったはずである。
 前衛が、何に対して前衛なのかといえば、表現以前の混沌に対してである。前衛は、既に言葉になった領域の境界で、まだ言葉になっていない領域に立ち向かう。
 新しい知を、すなわち新しい言葉を生産できるのは前衛しかない。あとは、それを言い換え、コピーし、つまり再生産して内部に伝達していくだけである。アカデミズムにおいても、新たに学説を打ち立てるものは前衛の名に値する。残りの人々は情報の伝達者、すなわちメディアである。
 この言語球のさまざまな断面が、文化や学問それぞれの領域である。俳句もそのひとつの断面に、対流する言葉の渦として描かれることになるだろう。
 そこに時間軸をひとつ増やしてみよう。すると、球体の表層にあって、前衛として機能していた言語主体は、必ずメディアへ転換していくという図式が見えてくるはずだ。八十年代以降の兜太は、まさにそのように存在している。
 七十年代までの兜太は、言語球の前衛として、その表層で、新たな表現の地平を切り拓き、その地点を中心として独自の言語球を構築しようとさえしていた。
 兜太は、主体を詠み続けることによって前衛であった。秩序や既成の価値、既成の美とは違った場所で、新たな言語の価値を構築しようとするものであった。だからその結果が、既成の「俳句」という美の体系にそぐわないことが多かったのは当たり前のことだったのである。もし既成の価値観から認められた句があったとすれば、それは失敗作か、あるいはその作品自体に、知らぬ間に啓発された意識によって認められたのである。
 だが、八十年代以降、兜太は一転してメディアとなる。それは現象的にも、また本質的にもそのようなのである。
 八十年代の兜太は、最新の情報メディアに乗り、例えば放送大学の特別講座を担当し、また衛星放送の俳句番組を構成する。朝日俳壇の選者となり、NHKで俳句を語る。
 歳時記を編纂し、俳句の作り方を語る兜太は、明らかに情報の伝達者である。新しい情報を生成するのではなく、既成の「俳句」に関する情報を再分配する者である。
 だが実は、兜太は変わっていない。兜太は今も中心であろうとしている。兜太の解説は主観的であり、感性的である。
 変わったのは時代の方なのである。メディアこそが中心であるような時代構造が出来上がったのである。だから兜太はメディアとなったに過ぎない。
 そして時代は、さらに変わろうとしている。
 九十年代の新しい知の枠組みは、構造主義を超え、主体論の方向に大きく転換していくように思われる。そこでは、人の認知や思考というものが、生々しい肉体の行為としてとらえ直されるに違いない。ジョージ・レイコフは言う。「理性の営みは身体性と関わるものであり、想像的な性格のものである」(『認知意味論』)と。
 そこには、客観主義の枠組みを越えようとし続けてきた主体論者、金子兜太の肉体が待ち受けているはずだ。兜太にとって理性とは、その昔から肉体を踏まえたものなのであったのだから。兜太が前衛として残してきたものの価値を図るものさしが、今ようやく登場しようとしている。

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