1
夏になると水田に赤い札が立てられるようになった。
その札には髑髏が描かれ、先を割った細い竹に差しはさまれて、畦道に一定の距離を置いて立てられていた。
ホリドールが撒かれたのである。
学校では教師たちが田圃に入ってはいけないという注意を毎日のように繰り返し、子どもたちは、それまでのようにタニシや鮒をとったりザリガニと遊ぶことを許されなくなり、腹を立てて用水路で遊ぶ剛の者も多少はいたが、しかし大方は髑髏の絵の恐ろしさに負けて、しかたなしに季節はずれのベーゴマやらパーやらを引っ張り出した。大人たちはその埋め合せをするかのようにテレビを買った。
あの昭和三十年代、日本の風景のどこかが、小さな音を立てて崩壊した。
2
人は、子どものころの周囲の様子を心に刻みつけつつ成長する。かつて日本のほとんどの子どもは、水田や麦畑の風景を心の奥に焼きつけて育った。
緑児の眼あけて居るや田植雲 前田普羅
だから都市に出て働くようになった人々は、生活に疲れたとき、その光景に残された幼い日々の残照をすがるように捜し求める。
杖によりて町を出づれば稲の花 正岡子規
稲の香や野末は暮れて汽車の音 正岡子規
子規の時代はよかった。都会生活に疲れ果てても、ちょっと周りを見渡せば、いたるところに心を癒す風景はあった。まして傷ついて故郷に帰れば、子どものころとあまり変わらぬ風景が人を迎えてくれたのである。
一点の偽りもなく青田あり 山口誓子
生きかはり死にかはりして打つ田かな 村上鬼城
そう、田園は歴史そのものであり、悠久の時間であった。それは時代を越え、永遠に続くはずのものであった。
だがそうした風景は、戦後という時代の中で大きく変化していく。
急停車して刈草に灯が届く 岡本 眸
婆よりもじじのひそけき早苗村 森 澄夫
田園にも都市の文化は容赦なく流れ込み、やがて若者は都会へと向かっていった。
3
もともと風景は自然そのものではない。風景とは、人が自然に働きかけることによって生み出されるものだ。
前人未到の高山を描いた絵でさえ、登山という文化の夢を背景に持っている。いやその前に、絵に描くというそのこと自体、人が自然に働きかける行為のひとつなのだ。
では人はなぜ自然に働きかけるのか。
それはかつて人が言葉や意識を持たず、まだ自然そのものであった時代への郷愁である。
言葉を持ち、意識を持つことによってもはや自然の一部ではなくなった人類は、もともと何の意味も持たない自然に意味を与え、そのことによって再び自然を自らに呼び戻そうとした。そのとき風景は誕生する。
むろんそれは徒労である。言葉や意識が自然と融合するはずがない。しかし人は、幼い日の記憶をたどって、あるいは生まれる前の遥かな記憶をたどって、なつかしい光景を紡ぎだそうとする。
4
変化したのは田園の風景ばかりではない。あらゆる風景が、その存在の意味を変化させている。
吊橋や百歩の宙の秋の風 水原秋桜子
滝落ちて群青世界とどろけり
水原秋桜子
今を生きる私たちが、これらの風景を観光地の中に思い描くしかないとしても、それは読者の罪ではない。もはやほとんどの風景が商業と結びつくことによって存在を維持するしかなくなっている。
工業化への道を進む農業、商業化への道を歩む風景の中を、ここ数十年の間私たちは歩いてきた。その結果、純粋な日本の原風景は、次々に過去の記憶と化していった。
遠山に日の当りたる枯れ野かな 高浜虚子
しんしんと雪降る空に鳶の笛
川端茅舎
雪空に電線が交錯し、枯れ野にも自動販売機が見え隠れする現実の中で、これらの表現は写生でもリアリズムでもない。作者の時代には自然描写であったこれらの表現は、今となっては美を理想化したロマン主義の作風である。
5
ロマン主義であろうと自然主義であろうと、それが詩として人の心を打ち、その心を癒す表現であればよい。問題はその言語表現が、今を生きる人々にとって現実感のある表現かどうかに尽きる。読者が、確かに今世界はそのようであると感じられるリアリティこそが問題なのである。
例えば平安の宮廷文学も、当時の読者たちにとっては極めてリアリティの高い言説だったに違いない。あるいは世界各地の神話でさえ、そのように世界を了解していた当時の人々にとっては、嘘ごとではない世界の真実だったのである。彼らがそのように世界を認識していた以上、それは当然のことである。子規は貫之を下手な歌読みと言い放ったが、それは明治のリアリティで平安の表現を測ったからである。
時は移り、とうてい「近代」とは言えない時代に突入した。「近代」においてリアリティを持っていた言説では、何も表現しえない時代となった。
もはや田園や自然の素朴な描写からは何も生まれてこない。いや、田園とか自然とかいう概念自体が、すでに過去の幻想となってしまった。
行方不明の暖流も来て灯の青田 塩野谷 仁
ほうたるよ田畔豆は絶えてなし
高 橋 龍
むろん今も、かろうじて残された自然らしさを詠む道がまったく閉ざされたというわけではない。ただそこには口語による新鮮で高度なレトリックが不可欠となる。なぜなら、すでにこの日本では、自然そのものがリアリティを持って存在してはいないからだ。
囀りをこぼさじと抱く大樹かな 星野立子
日溜にここよここよと冬すみれ
桧 紀代
桐の木はいつも一本雪降り出す 神尾久美子
これらはもはや「レトリックとしての風景」としか言いようのないものだ。これはこれで美しい。だがそこにある現実感は、風景そのものの現実感というより語り口の現実感であることを見落すべきではない。その新しい語り口によって、現在性を保証された作品なのである。
6
すでに新しい風景は次々に捜し出されてきた。それは芭蕉の時代に遡る。
振売の雁あはれ也ゑびす講 芭 蕉
市中はもののにほひや夏の月 凡 兆
風景というにはあまりに騒然としたこれらの情景は、新しい世相を貪欲に取り込んでいこうとする滑稽の精神に由来している。俳諧の本質は、このように新しい素材によって新しい時代を描き出そうとするところにあり、こうした方法は現代にまで受け継がれている。
春暁や水ほとばしり瓦斯燃ゆる 中村汀女
降る雪に楽器沈黙楽器店 大橋敦子
このように、風景に人為を取り込む作風とは逆に、風景自体に人間的な意味を見い出していく表現も作り出された。
芋の露連山影を正しうす 飯田蛇笏
海に出て木枯し帰るところなし 山口誓子
さらに戦後の俳句は、風景に作者の生きる世界の状況を重ね合わせた。
彎曲し火傷し爆心地のマラソン 金子兎太
爆音や乾きて剛き麦の禾
中島斌雄
これらの表現には、単なるレトリックを越えた表現の重さが作り上げられている。
7
しかし私たちは、こうした状況表現をさえ怪しまなければならない時代に生きている。
今私たちは、イメージする風景がメディアによってもたらされた映像によるものだと気付いて愕然とすることがある。テレビや映画や写真、さらにはネットワークによって提供される各地の風景が、いつの間にか私たちの想像力に入り込み、その世界観に影響を与えているのである。
かつて風景とは、私たちが実際に出会った現実であった。その風景の前で生きた体験が風景の表現であった。
だが今、実体験とは無縁の風景が氾濫し、しかもそれが私たちの世界観を作り出している。
近代俳句が対象としてきた「風景」は、まず物理的な意味で崩壊した。田園や自然は日を追って理想の彼方へと遠ざかり、郷愁を単純に歌ってみたところで、めったにリアリティなど生まれるはずはない。
また一方で都市の風景や、あるいは戦後の俳句が詠んだ社会状況などというものが、メディアを媒介として形成された類型的な世界像に陥る危険性も高い。
句を作る意味は、近代俳句や戦後俳句をなぞるところにはない。またメディアが流し続ける現代らしさの枠組みにはめこまれることも無意味だ。
私たちはもう一度自分自身の目で、周囲をよく見なければならない。そして私たちの風景がいったいどのようであるのかを自分自身の方法で発見しなくてはならない。すでに無いものを存在するかのように詠むべきではない。崩壊した風景の残像を消し、新たな風景に焦点を当てなければならない。