現代俳句の行方 −情報の装いを越えて−

      秋 尾    敏     『俳壇』平成5年11月号掲載


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 この明るさへの偏向は何だ。
 決勝で敗れ、銀メダルの表彰台でうなだれたスポーツ選手がその態度を非難される。もっとさわやかに、もっと肯定的にというわけだ。結構なことである。情報社会は芸能社会だと喝破した数学者がいたが、すべての行為がパフォーマンスとなるしかないこの社会では、映像的に見栄えのする人格ばかりが認められるということなのだろう。
 今、あらゆる行為は情報としての意味を付与され、人々に提供されていく。そこでは情報の波及効果ばかりが価値の基準となり、その内実は、二義的な位置に追いやられる。
 例えばものを買うということ、そんなことまでが、パフォーマンスとしての価値を第一義としてしまう。そのもの自体を必要とする以上に、そのものを買ったということを他者に伝えるために買うという行為が実行される。
 科学もまたパフォーマンスとなった。ことの真偽よりは波及効果が第一義となり、情報 としての装いを持たない科学は、まるで存在しないかのように扱われる。
 が、例えそのようであったとしても、その情報が、装いを越えて、それまで見えなかったものを暴き出すという、情報としての真の力を持っていればよい。
 しかし、類型化した「情報らしさ」は、見せかけの明るさしかもたらすことがない。そこでは、今まで見えなかったものが見えてくるという出来事は生起しない。新たな真実が見えてこない明るさなど、何の意味もないというのに。
 人は暗くなることだってある。あるいは暗くなることが救いである場合だってあるのだ。そのとき彼の内面は不透明で、言葉以前の混沌が心を覆いつくしている。
 しかし、その不可解な沈黙を、情報社会は許さない。人はいつも明るい表現主体としての役割演技を強要される。そこでは、個人を尊重するかのごとき言説によって、個人の事情は見事に踏みにじられていく。
 たとえば寡黙であることや病的であること、あるいは狂気の言葉で語り切ってしまうこと、それらのはみ出した行為は、差別され、排除されていくしかないものだ。
 確かにそこで必要なものは、その沈黙を表現し、明るみに導く言葉なのだ。「明るい」とはものが見えるということであり、それはその状況を語り得る言葉を手にしているということと同義である。だがそうした言葉を見出すためには、多少の時間が必要になるのだ。
 けれど、時代は一刻の猶予も与えない。常に人は明るい人格を強いられる。そこで、彼は、型としての「明るさ」で切り抜けていくしか術はなくなる。その型としての明るさが、表層の「情報らしさ」というものを作り上げていくのだ。
 いつの間にか、その「情報らしさ」が、ものごとの価値として定着してしまった。それは健康的で、印象深く、明快で、まるですべてが通じるかのような装いを見せる。そして、それらの条件を満たす言説のみが、認知された日本語として流通していくのだ。  だが文学とは、そうした装いの対極で営まれる言葉ではなかったか。
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 俳句が妙に明るい。
 分かりやすく透明で、まるですべてが通じるかのような装いを見せる。それは、既に築かれた俳句の表現の体系の内部で、無難に語っているからではないか。
 言葉の修練として、俳句らしく語ってみることも必要だろう。しかしそれはやはり習作であって、創作ではない。
 見えないものを見えるようにすること、あるいは、かつて言葉にされ得なかったものを言葉にしていく力を持つこと、そうしたもののために言葉の修練が続けられていくのならばよい。その先には、やがて、新しい表現の地平が展けてくるかもしれない。
 だが、既に見えているものの形をなぞるだけの言語行為が、俳句の創造として認められていくのは滑稽だ。まして、あるものの見方の形式を獲得し、手慣れた工夫で語り続けたとしても、何の手柄にもなりはしない。
 開き直って、俳句は創作などでなくともよい、という考えもある。あるいは、俳句は文学などという単純なものである必要はない・・・実は私もそう思う。俳句は挨拶であり、つぶやきであり、記録であり、ユーモアであり、コピーである。それら俳句が持つ豊かな諸相を否定するつもりは毛頭ない。句会で遊ぶのもよし、風雅を気取るのもよし。
 だが、人が俳句を詠もうとするその根源には、簡単に通じた振りをして通り過ぎてしまう日常の言語、あるいはそれまでの言葉ではどうしても通じないを状況を何とか乗り越えようとする衝動がなくてはならぬのではないか。今までの語り口では見えてこないものを見せ、それが挨拶であるにせよ、つぶやきであるにせよ、見えていなかったものを見せていくという姿勢がなくては、俳どころか、ただの句にもなりはしないだろう。
 しかし「情報らしさ」に慣れつつある感性は、迷わず語れるように語ってしまう。そして、十分に通じてしまうように見えるそうした作品の方が、その口当たりの良さから、あるいは情報としての伝達性のよさから、認めれていくことになる。
 別に俳句などどのようであってもよいわけで、時代の俳人のすべてが深い問題意識を持って句作に勤しんでいた時代などありはしなかった。あらためて現代俳句に欠落したものなどというテーマを掲げてみても、俳句にあり得べきすがたなど想定することなどできるわけもなく、それは、人の数だけ答えが返ってくるという種類の問題に過ぎない。
 だが、俳句という文芸を成立させずにはおかない深層の衝動についてはこだわっておきたいと思う。日常の言葉が言い澱んだところから立ち上がってくる衝動については。
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 それにしても、人々の狂気はいったいどこに影をひそめてしまったのだろう。いや、尋常ではないと取り敢えず診断され、区別されてしまう狂気のことではない。そこにもあり、ここにもあるはずの狂気のことである。
 言葉以前のいらだち、あるいはラングに包含されぬ己れ自身の言葉、それらはみなひとつの狂気として、言語の自己表出力となり、作家の言葉を押し出していく力の源泉となっていたはずのものだ。
 文化というものが持つ無数のルールに縛られ、表出することが許されなかったあまたの心象たち。それらは、日常の側から見れば、狂気と呼ぶべきものであるだろう。その部分に賭けて生きること、それが風狂ということである。
 だが、風狂という語は既に死語なのであろう。もはや、そのように生きられる人はいない。例えそのような態度を取り得たとしても、それはやはり一面としてでしかない。すべての人が、例えば新たな山頭火の出現を臨んでいたとしても、もはや誰も山頭火になろうとはしない。
 だが、そのような狂気を心象の内に抱え込み、その表出力に賭ける作家はまだ存在する。その残党の一人、高橋龍。

  電気アメまたは綿菓子あるひはユング
  ソシュールを苔に水子の双子山
  夢の世は係り結びも幸くて
  イメージを帯びて助詞ある夢路かな

 龍の対象は、まず言葉以前の世界、続いて言葉自体である。言葉自体を問題とするレベルで句作すること、それは新たな言葉の法則を作り出すにも等しい。そのとき語句の意味は統辞関係によって拡充され、また統辞関係は語の意味によって新たな展開を図ろうともがく。
 郷愁の電気アメの深層から発せられる龍の風狂は、古びた構造主義をコケにし、陳腐な言葉たちを、苔類の湿り気とともに流し去る。そこに残るものは、構造化され得ない風狂の言葉である。

 凪ぐや春狼藉覆ふ琵琶一面
 吹き抜ける北のいなづま朔の鳥
 蝶よ花よと柩の中で育てられ

 さらに龍の言葉は幾層もの多重性を持ち始める。現実の「もの」のイメージの背景に過去の言語空間を踏まえ、作品自身の言葉として自立するのである。
 琵琶を重心に据えた春の心象は、例えば蕪村の春を踏まえ、現代の狼藉を鏡のように映し出す。「北のいなづま」は橋本多佳子を想起させはするが、狂気のカタルシスにおいて多佳子の句を越える。龍にとって「育てられた」空間は「柩」という名の日常であり、「蝶よ花よ」とちやほやされればこそ、脱出を図るしかないものである。

 釋尊の一歩手前のすみれ草
 俳は軽く諧は重たく初時雨
 脳髄の気根夥しく垂れて

 句集「惡對」は、龍の風狂を映し、またその狂気を抱え込んだまま不安定に終結する。聖と俗は紙の表裏、「釋尊の一歩手前」とは悟り顔ということではあるまい。重く、あるいは軽くまとわりつく五七五という煩悩から、龍の脳髄が逃れる術はない。龍の五七五は、己れ自身の脳髄に刻まれた宿命の韻律なのであり、他者のそれと共鳴しよういう意志は持たない。共鳴するかしないかは結果というべきであり、意図とはなり得ないものなのだ。
 だが、一方で他の多くの俳人の句は、共鳴を求めるという点で、ひとつの頂点に上り詰めようとしているように見える。一人の天才がではない。すべての俳人がである。互いの五七五が見事に共鳴し合う言語空間を作り出そうとしているようなのである。それは栄光などではなく、単なる行き止まりに過ぎないというのに。
 多少のスタイルの違いはあれ、同じ山の頂上に、もうすぐ数百万人が居並ぶという恐ろしい光景が現出するのではないか。平均余命がこれだけ伸びた今、ちょっとした修練を続ければ、ほとんどの俳人が、その程度の頂点には達するに違いないのだ。
 別の山を目指さなければならぬ。他人のルートを回避し、さらに別の山系を目指さなければなるまい。それには自己の狂気を信じることだ。既にある地図を歪めてみること、あるいは地図自体の幻想性を見抜くこと。  だが、言葉が情報の装いを持ってしまうのは現代俳句の罪ではない。それは現代という時代の言葉全体の宿命である。そこでは、俳句もまた、情報化社会を成立させるシステムの一つとして機能してしまうのである。
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 けれどここに、もうひとつの抜け道がある。
 変わりつつある時代の言葉の真っ只中に身を置き、そこから一歩も退かないという方法である。そのために、既に語られた言葉を再利用してし、そこで再生産される自分自身の言語行為自体を新たに言語化してしまうのだ。
 つまり自分が、他人の切り拓いた道を歩んでいるその姿を意識してしまえばよいのだ。そしてその状況を含めて語ってしまうのだ。するとそこには、今まで見えなかったものが現出してくることがある。
 むろん自分を戯画化してみせただけではいけない。また、単なるパロディーでも困る。強いて言えば、質のよいパスティーシュか。自分が使う言葉のルーツやしがらみを意識しつつ、なぜ自分がそのように語るしかないのかまでを情報として持っている表現を現出させるのだ。

 昨日より糸は絡まり兜虫  津沢マサ子

 誰しも高野素十の「ひつぱれる糸まつすぐや甲虫」を思い起し、微笑せざるを得ないだろう。素十の甲虫は、生命と宿命とを同時に抱え込み、なかなか高潔な存在であるが、マサ子の兜虫はそれよりはかなり情けない。情けないが、しかしそこにこそ、素十の時代と現代との差があるというべきなのだ。もはや、ものごとをまっすぐに引き続けようなどという精神にお目にかかることなどまず不可能な時代となった。情けない時代なのである。マサ子の句には、素十との対比において、自己の状況と時代の推移とを言い得た手柄がある。
 こうした手並みを、ポップのひとつと数えてもよいだろう。ポップは、伝統的な芸能を大衆化し、通俗化し、大量に再生産する。芸術の情報化といってもよい。
 ただ、通常のポップが、単なる模倣や大衆化、あるいは通俗化や商品化であるのに対し、ここで述べようとするそれは、ポップを越えるベクトルをもつポップである。
 そのようなポップに対し、前衛的なポップという意味で、アヴァンポップという命名もあるようだが、ここではポップによってポップを越えるという意味で、メタポップと言っておこう。
 そうした作品が、現在の時点でどの程度存在しているのかは不明だが、まだはっきりした潮流とはなり得てはいないだろう。だが、例えば宇田喜代子の「夏月集」あたりには、そのような意識を明瞭に見取ることができる。

 たつぷりと泣き初鰹食ひにゆく
 風鈴に風のほどほど音のほどほど
 男にも素肌のありて五月闇
 曖昧な享年のまま金魚逝く

 ここには、過去の作品の引用はない。引用されているのは、過去の概念である。「初鰹」「風鈴」「男」「享年」それらの、形ばかりが残り、もはやどうでもよくなってしまいつつある言葉が、一昔前から連れ出され、生き生きと蘇る。というよりも、形骸化した過去の概念が、むしろ現在を言葉に成し、その意味を相対化するのに役立っているのである。その技が、通俗的に見せながら、もっとも前衛である喜代子という作家の面目である。
 このようにメタポップは、過去の作品を踏まえるとは限らない。過去の価値観、精神、あるいは現実、あるいは他のポップ、そうしたありとあるものを引き連れて、そこに新たな滑稽を浮び上がらせる。それは平成の「軽み」なのである。
 そのとき、ポップに流され、操られていたのでは話にならない。ポップを自己の言葉として操り、方法として取り込んでいく力量がなければ、メタポップは成立しない。宇田喜代子には、時代に浸かりながら、時代の言葉を操り続けられるという強靱な自負があるに違いない。
      *      *
 予め俳句らしい俳句というものを想定することはできない。俳句らしくない俳句が模索され、五七五になじまない言葉たちが俳句に取り込まれていく必要がある。
 それは文学の本質がそのようなものであるというばかりでなく、日本語が、今も大きく変わりつつあるからだ。
 過去にもさまざまな試みがあった。その時々に取捨選択され、捨て去られた表現と、生き残った表現は確かにある。しかし、既にそれらの言葉たちさえ過去のものであるということを理解しなければならない。さまざまな試みの果てに、俳句という文芸が一つの究極の型を獲得しつつある、などという認識は僭越の極みというものだ。  日本語は戦後を乗り越えた。まして四Sの時代は、古典の一時代でさえある。もはや「現代」と呼ばれた時代さえ終焉を迎えようとしているのだ。
 言葉は変わる。それは言葉の乱れとしてとりざたされるような、可視的な変容ではない。人々の気づかぬところで、いつの間にかそれまでの場所をすっとすりぬけ、違う構造体の中に私たちは放り投げられることになるのだ。 それは社会構造とも無関係ではない。私たちの思考とも関係を持つ。
 もう近代の言葉は、注釈なしでは読めなくなっている。そういう時代なのである。今、日本語が大きく変わりつつあるのは確かなことだ。その時、今、新しい言葉を獲得しなければ、俳句は間違いなく死ぬ。俳句を抱え込んだ世代と共に死ぬ。
 再びスポーツに関わって述べれば、若き貴花田の不機嫌なインタビューや、若花田の人を食った受け答えに潜む言葉への不信の表明に学ぶべきである。彼等は相撲という表現手段が、日常のルーチンワークとしての言語によって表され得るなどとは、毛筋ほども信じてはいないのだ。  焼けつくような言葉へのいらだちを忘れたところに、新たな表現の創出はない。安易に巧さが伝わってしまう「方法」への懐疑を、まずは忘れてはならないだろう。                − 完 −

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