明治の俳誌 月並点取の「一日集」

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 「一日集」は、明治22年に創刊された点取の月刊誌で、東京市日本橋区蠣殻町の松風会本部より発行されている。

 綿屋文庫及び国立国会図書館のどちらの目録にないものなので、ここに紹介する。

 筆者の手元にあるのは、明治24年10月刊の第31編から、25年7月刊の40編までの10冊を合本したものと、明
治35年12月刊の、第142号(ママ)から、146、147、155、157、158、159、161、165号までの9冊を合わせ
たもので、合計19冊となる。165号は、明治37年11月の刊行である。

 古い方の10冊は、ちょうど子規が俳句革新に名乗りを上げた時期のもので、当時の月並俳諧の実態を知るよい資
料となる。

 また後者の9冊の発行時期は、子規の死後、日本派の俳句が全国に広がっていく時期に月並みがどう変化したの
か(あるいはしなかったのか)を知る資料となる。

 上記の写真は、明治25年3月、子規が小説家となることをあきらめ、本格的に俳句へと向かった時期に刊行され
た第36編である。

 「本評」では、
  月落て彌花のあかりかな  甲斐開地 椿丘
  如月や日和願えば風のふく 下総銚子 里旭
  柳さへ風を納めて梅日より 肥前深海 一々
  扇にも乗らぬ軽みや散る桜 越後宮路 芳湖
 などの句が秀逸になっている。 

 上記の写真は、第142号の表紙である。

 上記は、142号の表紙をめくったところ。所有本は乱丁でこのページが2枚綴られている。写真の右側は、本来
左ページの裏にあるものだ。
 写真の左は、「真俳諧学振興中心地全図」。左上の囲みには、正準会員8937名とある。
 右は、「俳諧正派本部松風会平面全図」。明治33年11月に落成し、自前の印刷所がある。下は「新古池」とあ
り、芭蕉の200年祭紀を祭っている。

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