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明治26年、正岡子規が俳壇にデビューした頃、東京の宗匠たちは大同団結して「クラブ」を作ろうとしていた。 宿泊のできる句会場を持とうというなかなか大きな事業である。 賛成者の中に教林盟社社長の小野素水の名があるが、明倫講社社長三森幹雄の名はない。 しかし明倫講社に加わっていたはずの多くの宗匠の名はある。 この団体がその後どうなったかは不明だが、正岡子規がデビューした年の有力宗匠の名が分かる貴重な資料ではある。