福富武男『新燃岳』序   秋 尾   敏  2020年 

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 序 

 平明で作為のない俳句ほどおそろしいものはない。それが単純に見えたとすれば、ただその句を読めていない、というだけの話だからである。

 初御代桜手渡す朝の光かな 

 植樹であろうか。朝の光を受けての植樹なら、巻頭の一句にはふさわしい。
 だが、この「手渡す」が、ただ一枝であったとしても、「初御代桜」なら実感がある。なぜなら、寒緋桜と啓翁桜の交配で生まれ初御代桜は、切り花によく使われる桜だからである。「手渡す」は、初御代桜ならではの表現である。
 寒緋桜に啓翁桜を交配して生まれたのが「初御代桜」。なぜ「手渡す」かと言えば、これが切り花によく使われる桜だからである。「手渡す」は「初御代桜」にこそふさわしい表現であって、安易に他の桜に使える言葉ではない。。
 令和元年は五月からであった。とすれば、令和二年三月は、この桜の「初御代」だったにちがいなく、この年に刊行される句集の冒頭にふさわしい一句であろう。
 さらに、これほどの俳歴の作家がそれを巻頭に置くということは、手渡される者の一人と自覚せよ、という含意があるに違いない。居住まいを正し、僭越ながら〈始業のチャイム雲にうららか〉と脇句を付けさせて頂こう。一句一句を、与えられた公案として読む覚悟である。
 この句が巻頭を飾る理由はもう一つある。それは「初御代桜」が、宮崎県人の篠原邦明という人が作り出した桜だということである。福富健男氏の精神が宮崎県から離れることはない。氏の句を読むことは宮崎を知ることであり、宮崎に近づくことである。氏の魂が宮崎の地を離れることはなく、宮崎の地霊が氏を離すこともない。

 福富氏とは、二〇〇一年、成田空港の待合室ではじめてお会いしたのだと思う。そこに集っていたのは、夏石番矢氏がイギリスとスロベニアで行われる世界俳句協会の設立に参加するというので馳せ参じたメンバーであった。福富氏のほかには、「虎杖」主宰の相原左義長氏、「海程」の吉村侑久代氏、「天為」のフェイ・青柳氏らがいた。
 イギリスでは話がまとまらず、スロベニアに移動し、夏石番矢、ジム・ケイシャン(米国)、ディミタール・アナキエフ(スロヴェニア)を創立者として世界俳句協会が設立された。爾来、福富氏とは、世界俳句協会の活動を通して交流させて頂いた。

 周知のとおり福富氏は、若い時代にアメリカで農学を学び、日本の農業のあり方を、世界的視野で考えてこられた方である。文化に関しても同様で、氏の世界観は、ふるさと宮崎のドメスティックな地域性を、グローバルな視野の中に取り込み直すことによって成立している。
 二〇〇二年、氏の著書『河童手帳 増補改訂版 現代俳句編』(鉱脈社)の書評を書かせて頂くことになり、「ミヤザキを組み込むポストモダンの俳句観」と題した一文に次のように記した。

 要は「私」という主体を、理性に限定するからおかしいのであって、「私」とはまず肉体であり、感覚であり、感情であり、無意識であり、内外部の情報を制御する脳であり、それらすべての総体である。それらを統括する(らしい)前頭前野は、「私」のごく一部を認識しているにすぎない。したがって理性の認識した世界は、世界のごく一部なのであって、詩人こそが、その限界を超えた世界認識を試みる存在でなくてはならぬはずなのである。
 ハケットのいう俳句の「自然」とは、矛盾やあいまいさを持った人間の認識をそのまま表現しようということで、それは理性的な意識によって矛盾なく組み立てられた近代文学作品とは違う、ということなのである。金子兜太氏は、福富氏の俳句を「巧みはない。作為はない。自然(じねん)といってよいほどのやわらかさがにじむ」(安西篤氏序)と評されたそうだが、福富氏の俳句観は、その根底の所でハケットの俳句観と重なっている。

 ハケットというのは、アメリカの俳人、ジェームズ・ハケット。福富氏は、ハケットが東洋的自然観を獲得することによって自らを乗り越えようとしたことをヒントに、グルーバルな視野で、俳句や宮崎、そして自分自身を捉え直してこられたのである。
 二句目、三句目にも注目したい。

 わが庭の武者足で佇つ棕櫚二本

 「棕櫚」は南方系の植物で、我々関東人から見れば、宮崎の棕櫚はあるべきところに存在しているように思える。けれど棕櫚は、宮崎においても渡来の植物である。世界を知って、この地に聳え立つもの、それこそが棕櫚の本質であろう。とすれば、作者がこの植物に注目する理由は明らかである。

 鰐塚山に鳥運ばれていく茜の空

 鰐塚山は宮崎市、日南市、三股町をまたぐ山で、『鰐塚山(わにつか)』は、福富氏の第六句集名でもある。自ら飛んでいるはずの「鳥」が、「茜の空」を「運ばれていく」のは、現象の背後に未知の力が存在するからに違いなく。それこそが、宮崎の地霊というべきものであろう。ここには、自我や主体性というものが、実は大きな自然の力に導かれていることが詠われている。
 「椰子葉の二人」の章に目を移そう。 

 加江田渓谷風藤葛の紐垂れて
 バイクはヤマハ堀切峠の椰子葉の二人
 匂い葉茉莉花海原広く透き通る

 宮崎の地名や風土にたたみかけられ、読者はいやおうなく彼の地に巻き込まれていく。もう逃れられない。実は、私の義弟も宮崎県の延岡に住んでいるのだが、まだ三度しか訪ねていない。これはいかん、という気になる。宮崎に行かなければ。そして福富氏のことも訪ねなければ。
 ところが、二〇一六年五月、福富氏はご夫妻で野田市の拙宅を訪ねて来られたのであった。熊谷市で行われた「海程」全国大会の折であったと思うが、先を越されてしまったのである。鳴弦文庫を見ていただき、また醤油関係の博物館などにお連れしたのだったが、氏の行動力に圧倒され、充分なおもてなしができなかったことを悔いている。
 おそらく氏のバイタリティは、常に宮崎のために働いている。世界俳句協会の時もそうであったが、福富氏は、外部で見聞したすべてを、宮崎に持ち帰っている。外部との往還こそが、福富氏のライフワークなのである。
 一方で、福富氏の内面の深さや思想性にも注目しておかなければならない。

 紫紺の実の役立たずもの岩かずら 

 「紫紺の実」ならば、「役立たずもの」はむしろ誇りであろう。これは即自的止揚とでもいうべきものだ。人は、その認識を次の段階に高めようとするとき、一端は対自的になるのが普通だ。それまでの認識を否定し、別の認識を選ぶのである。
 その対自のあり方は、人によって異なる。過去の自分を完全に否定して、別の認識に跳び移る人もいれば、過去の認識をひきずり、次のステージに止揚できない人もいる。
 けれど、福富氏は、そのどちらでもない。対自的状況を一瞬ですり抜け、即時的に次のステージに止揚していく。少なくとも私からはそのように見える。「役立たずもの」は、すでに否定すべき状態ではない。それこそが、世界に価値を作り出す主役だと、作者は認識している。

 被爆胎児のわれを陽子と呼びし父

 現代俳句協会創立七十周年記念第五四回現代俳句全国大会で第一位となった作品である。ネガティブな文脈に置かれることの多い「被爆胎児」という言葉が、しかしその父親から見れば唯一無二の存在だという気づきが起点である。さらに「陽子」もまたものごとの根源を構成する要素に違いない。言葉の真の意味に気づいた作者は、この世にネガティブな存在などあろうはずもなく、また否定されるべき言葉もない、と私たちに告げている。兜太氏に「巧みはない。作為はない。自然(じねん)といってよいほどのやわらかさ」と評された福富氏の平明な表現力は、実はこのように深い思想性と構成力に裏打ちされてのものだったのである。
 いつも控え目な福富氏の、帝国ホテルで行われた受賞式の壇上での晴れやかな笑顔と、奇しくもそこに車椅子で登場された金子兜太氏の秩父音頭を、私は生涯忘れることはないだろう。
 その翌年の二月二十日、兜太氏は鬼籍に入られた。
他界かな雨に打たれて沈丁花
 心の底から、金子兜太という俳人の人間性に惹かれていた福富氏が、どれほど力を落とされたことか。だが福富氏が、熊谷から、「海程」から、そして兜太氏から宮崎に持ち帰ったものは、ことごとく彼の地に根付いているに違いない。それらを起点に、ふるさとの文化は、さらに豊かに回りだすはずなのである。

 白濁の水を確かめ硫黄山

 硫黄山は霧島連山にある。二〇一八年四月に噴火し、長江川流域を白濁させた。その水からは、砒素などの基準を超える有害物質が検出されたという。これにより流域の農家は、その年の稲作を断念するに到る。

 小さいレンズの機器を仕掛けて白濁水

 しかし、福富氏の視線は、それに立ち向かう人々に向く。県の委託で宮崎大学の研究グループが石灰石による中和実験に乗り出す。この末尾の一句には、福富氏の「人間も負けてはいない」というメッセージが込められている。
 福富氏の句は、作為ではなく、作者の把握そのものを語る。平明な文脈に見えるが、それを読み解くことは容易ではない。だからこそ、読み解いた分だけ読み手の世界が開けていくのである。
        令和二年七月二十日    


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