眠りは夢のように甘く…… (第3章)

 暗闇の中にぼつんと美奈子だけが見える。まるでスポットライトを浴びているようだ。「美奈子、俺、おまえのことが好きなんだ……」
 美奈子は無表情のまま口をパクパク動かしている。何を言ってるのか聞き取れない。
 俺は美奈子に近づこうとする。しかし、美奈子は俺の方を向いたままで、すうっと遠ざかる。
「待ってくれ、美奈子……」
 突然、頭の後ろから美奈子の声がハッキリと聞こえた。
「人間はね、一生の間に眠る時間が決まっているの。たくさん眠れば眠るほど、早く死が訪れる。あなたは今、死に向かって疾走してる。だって……」
 振り向いた俺の目の前で、美奈子の顔はたちまちしわくちゃの老婆に変わり、歪んで震えたかと思うと、真っ赤な血を吹き出して破裂した。
「だって、あなたは……、また眠っているんですもの!!」

「うわぁぁぁーっ!!」
 自分の叫び声で、俺は目覚めた。夢……。俺はまた眠ってしまったのか。
 次の瞬間、頭に激痛が走った。
 ズキンッ!
「うあ!」
 耐え切れず声が出る。
 目が覚めるたびに頭痛は激しさを増し、俺の後頭部にできた妙なへこみの下では、まるで生き物のように何かが成長していた。
 頭が割れるように痛い。
「あああーっ!」
 大声で叫ばずにはいられない。腕にはざっと鳥肌が立つ。苦しみのあまり汗が吹き出すが、体は冷たく、がたがた震える。
 立ち上がった俺は、自分の頭を部屋の壁にガンガンと打ちつけた。まるで狂っているようだ。でも、痛みをごまかせるのは、痛みしかない。
 あまりの強さで頭をぶつけ、もんどりうって床に倒れる。しかし、いっこうに痛みは治まらず、激烈な頭痛が全身を貫く。
「あうっ」
 頭を抱え、床の上でもがき苦しむ。
 助けて助けて助けて……。
 苦しい…。いっそ死にたい。
 いや、死にたくない。
 死ぬのは嫌だ。
 嫌だ嫌だ嫌だ……。
 涙がとめどなく溢れる。
「誰か、たす、け、て……」

 美奈子だ。
「大丈夫? ほら、薬を飲んで」
 薬……。ああ、痛み止めか。
 美奈子が優しく微笑んで、薬を飲ませてくれる。
「助かった。なんだか、楽になった気がする」
「そう?」
 美奈子に膝まくらをされて、俺はうなずいた。
「そんなことないわ」
 美奈子の頬を、つうっと涙が走った。
「どうして……?」
 突如、美奈子の首が180度回転した。そして、俺の目の前に迫った彼女の後頭部がパックリと横一直線に裂け、牙をむいて叫んだ。
「だって、おまえはまた眠っているじゃねえか!!」

 目を開けた。俺は床の上に転がっている。
 ずんっ!
 次の瞬間、待ちかまえていたかのように強烈な痛みが、全身を走り抜けた。
 う・あ・あ・あ・あ……
 もう声も出ない。両手で自分の体をきつく抱きしめる。爪が自分のわき腹につき刺さる。
 ずきんっ!!
 口は叫び声をあげようと大きく開き、目はカッと見開いたまま、涙だけが流れている。俺はどうしようもなく床を転がる。
 もうだめだ。これ以上の痛みには耐えられない。
 幸い今回の痛みは落ち着いてきた。
 もう、眠っちゃだめだ。
 次に眠って目が覚めた時は……、俺は終わりだ。

 俺は立ち上がった。そして、壁にもたれた。眠っちゃいけないんだから、立っているのが一番いいだろう。座ったり、寝ころんだりしてるとつい睡魔に負けしまう。眠るもんか。俺はまだ死ぬのは嫌だ。

 足がしびれてる。いったい何時間たったのだろう。何度となく襲い来る睡魔と、俺は闘い続けていた。右手には安全ピン。左の掌は、ピンで刺した赤い斑点が無数にできている。眠くなるたびに、俺はピンで自分の手を刺して意識を取り戻していたが、だんだん痛みの感覚が麻痺してきたようだ。
 ぐらっ…。
 やばい。ピンを刺しているのに眠気に耐えられない。俺はピンを持つ右手にカを入れた。針がどんどん掌に沈んでいく。痛い。しかし、一瞬の内に、痛みは睡魔に飲み込まれる。このままでは負けてしまう。なんとかしなければ……。
 そうだ、誰かと話そう。ずっと話し続けよう。俺はヨロヨロと電話に近づいた。
 ぐらり…。
 バランスを崩した俺は、なんとか食器棚につかまって倒れないですんだ。意識が遠ざかる。だめだだめだ。
 食器棚の中にアイスピックが見えた。
 そうだ。これなら安全ピンよりは役立つに違いない。
 神よ、我を救いたまえ!
 俺は、アイスピックを力いっぱい左腕に突き刺した。
「うっ……」
 震える左手から血がしたたる。少しだけ、意識がはっきりした。今の間に受話器を取って……。

「もしもし」
「……」
「もしもし、誰?」
「……」
「もしかして、ヒロシ君?」
「和田…さん」
「ヒロシ君、大丈夫なの? ずっと心配してたの。病院から急にいなくなって。電話しても出ないし、お家に行っても返事がないし」
「前より、ずっと、悪くなった…」
「待ってて。今からすぐに行くわ」
「いや! 話をしてくれ。話をし続けてくれ……お願いだ」
「どうして? どうなってるの、一体!?」
「今度眠ったら、おしまいなんだ。もう、眠っちゃ、だめなんだ。こうしてる間にも、眠気に耐えられなくなりそうなんだ……」
「そんな……」
 俺は、アイスピックをさらに深く刺した。
「うっ…。なあ、頼むから、俺に話しかけて」
 美奈子の声が震えた。
「何を話せばいいの……?」
「この前の飲み会、楽しかったな…。和田さんとあんなにいろいろ話ができて、俺、最高に幸せだった…」
「なにバカなこと言ってるの。そんな場合じゃないでしょう」
 立っていられなくなった俺は、ベッドに倒れた。
「俺、和田さんのこと……好きだったんだ。こんな状態にならないと告白できない自分が格好悪いけど……。家に入れてもらって、和田さんがシャワーを浴びるのを待ってたとき、ドキドキしたなあ……」
 だめだ、また意識を失いそうだ……。
「……私もドキドキしてたわ。男の人を家に人れるの、初めてだったから。私も、あなたのことが好きよ。本当は、あの夜、話したかったんだけど……」
「ほ…本当? 最高に…嬉しいよ……俺…」
 俺の胸の中が甘いもので満たされた。最高の気分……まるで夢のようだ。
「もしもし、どうしたの? 返事して!」
 窓から差し込む光が輝いている。
 とてもいい気持ちだ。生きてて良かった。
「ヒロシ君! ヒロシ君!!」
 これは夢? 俺は眠ってしまったのだろうか?
 いや、そんなことはどうでもいい。
 眠りは夢のように甘い……この夢を永遠のものにしよう。この最高の幸せを永遠に……。


(C) Tadashi_Takezaki 2003