眠りは夢のように甘く…… (第2章)

 店が貸し切りだったこともあって、同期会は真夜中まで続いた。桜井がいつの間にか酔い潰れてカウンターで眠ってしまい、俺は、美奈子とふたり、いろんな話をした。仕事のことや、プライベートのこと、その他いろいろ。こんなにゆっくり美奈子と話ができたのは初めてで、俺はかなり舞い上がっていた。

 美奈子が時計を見た。午前1時12分。
「あら、こんな時間なのね。もう帰らなきゃ」
 ちょっと微笑んでから、ポーチを手に席を立つ美奈子。それを追って俺も立ち上がった。
「お、表まで送るよ、和田さん」
「ありがとう」

 店の表に出ると、小雨がパラパラと降り始めた。
「雨ね」
 美奈子が真っ暗な空を見上げた。街灯の光が彼女の整った顔を照らす。そんな彼女の横顔を見て俺の胸は高鳴る。
「もう電車もないし、タクシーで帰るしかないよ」
「そうね。でも、ここ、タクシーつかまるかしら」
 店は、ちょっとはずれの裏通りにあるので、めったに車は通りかからない。
「表通りまで行けばつかまるよ」
「そう。じゃ、行くわ。今日は楽しかった。ありがとう」
「いや、俺の方こそ……」
「じゃあね。おやすみなさい」
 立ち去る美奈子の後ろ姿を見ながら、俺はしばしそこに立ち尽くした。
 こんな真夜中に、暗い道をひとりで歩いていく美奈子。なんだか心配だ。
 俺はあわてて彼女を追った。

「どうしたの、一体?」
 息を切らして走ってきた俺を、美奈子はきょとんとした表情で見た。
「いや……、やっぱ、表通りまで一緒に行くよ。危ないよ、真夜中だし」
「私のこと、心配してくれたの?」
「美人のひとり歩きは危険なんだよ」
「お上手ね」
「そんなんじゃないよ。とにかく、送るよ」

 やっとタクシーをつかまえた頃噴には、雨足が強くなり始めていた。
 車に乗りこんだ美奈子が俺の手を引いた。
「雨が強くなってきたし、このまま一緒に帰りましょうよ」
「でも、店に戻らないと……」
「店から遠くまで来ちゃったし、雨もひどいわ。何か店に置いてきたの?」
「ううん、別に何も」
「じゃあ、いいじゃない。他に空車もないし。早く乗って!」
「……うん」
 結局、俺は美奈子とふたりでタクシーに乗り、まずは美奈子の一人暮らしの家へと向かった。
「さっきは心配してくれてありがとう」
「とんでもない。当たり前のことだよ。それに、和田さんは同期の男の中でも人気者なんだぜ。こんな風に一緒に車に乗ってるだけでも、どれだけみんなに羨まれるか……」
「そんなことないわ」
 俺は、少し酔いが回っていたこともあって、つい口が滑った。
「俺だって、和田さんのこと……」

 トントントン……。
 誰だよ、俺をたたくのは。
 ワワワワン……。
 この声は……。
「ヒロシ君、起きて」
「あ…、和田さん……」
 そうだ。確か俺は美奈子と一緒にタクシーに乗ってたんだ。また眠ってしまったのか。
 車がとまっている。白いマンションの前だ。
「着いたわ。ここなの、私の家」
 そうか、俺が手前に座ってるから出られないんだ。俺は、ぼうっとしたまま車から下りた。
 続いて美奈子が車を出ると、タクシーはすぐに走り去ってしまった。
「あ……」
「大丈夫。ここはタクシーがよく通りかかるわ」
「なんか、寝ぼけてて、ごめん」
「なんだか心配だわ。話をしてたと思ったら、一瞬で眠っちゃうし。起こそうと思っても、全然起きないし」
「ごめん……。本当に最近、ダメなんだ」
「送ってくれたお礼に、熱いコーヒーをごちそうするわ。それで目を覚ましてから帰る方がいいと思う。このままタクシーに乗ったら、またすぐ眠っちゃって大変よ、きっと」
 美奈子はさっさとマンションに入っていく。俺も意識がはっきりしないままに、トボトボと後をついていった。

 美奈子の部屋は、とっても綺麗に片付けられた、無駄なもののないすっきりとした部屋だった。会社で見る彼女のイメージ通りである。
「さあ、これで頭を拭いて。雨で濡れてるでしょ」
 美奈子は、俺に綺麗な青い色のタオルを手渡した。
「よかったらシャワーを浴びる? 体が冷えてるんじゃない?」
「いや、いいよ。女の子の家に上がりこんで、シャワーまで借りるなんて。……とんでもないよ」
「じゃ、コーヒーいれるから、楽にしてて」
 タオルで頭をゴシゴシ拭きながら、俺の意識はだんだんはっきりしてきた。
 憧れの美奈子の部屋。俺は、今、美奈子とふたりで彼女の部屋にいる。信じられない展開だ。
「おまちどうさま」
 美奈子は手早くコーヒーを用意して、リビングに戻ってきた。ガラステーブルの上に熱いコーヒーが置かれた。
「いただきます……」
 俺は、コーヒーカップに口をつけて、美奈子を見上げる。
「目が覚めた?」
「う、うん……」
「よかった…。さっき、タクシーの中で眠ってる様子、なんだか普通じゃなかったの。そのまま二度と目を覚まさないんじゃないかって心配しちゃった……」
「大丈夫だよ、ホントに」
 美奈子がニコッと笑った。
「私もびしょ濡れだから、失礼してシャワーを浴びてもいいかしら。すぐに済ませるから、待ってて」
「いや、あの、ゆっくりでいいよ。それより、俺、やっぱ、帰るよ」
「気にしないで。シャワーから出たら、私の車で送るわ。外はまだ、どしゃ降りでしょう」
「いいよ、送ってもらわなくて」
「あら、じゃあ泊まってく?」
「え……?」
 フフッと笑って、美奈子はバスルームヘ入った。

 ほどなく、シャワーの音が聞こえてきた。
 さっきの言葉、どういう意味なんだろう。まさか……、いや、そんなことはない。冗談だよ、きっと。でも、もしかして……。
 俺の心臓が妙に大きい音を立て始めた。
 ドキドキドキ……。
 だめだ、落ち着け。うろたえちゃダメだ。
 美奈子がバスロープだけを身につけて部屋に戻って来たりしたら、俺はどうしよう?
 ……。

 後から聞いた話だと、バスロープを着た美奈子がリビングに戻ったとき、俺はテーブルに突っ伏してぐっすり眠っていたらしい。
 そして、彼女は気づいた。俺の後頭部に触るとぶよぶよする奇妙なへこみがあることに。

 翌朝、そんな美奈子に強引に病院へ連れていかれた俺は、自分の頭の中に原因不明の腫瘍ができていることを初めて知ることになる。

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(C) Tadashi_Takezaki 2003