抱きしめた君を2度と離したりしない

 彼女はオレに好意を抱いている。それは間違いないんだ。だって、彼女のあの目つき。さっきだって、視線を移動させるときに、ちらっとオレの様子を見ただろう。さりげなく、誰にも気付かれないように、オレの様子を、見ただろう。
 彼女はとってもシャイな女だ。だから、彼女は自分がオレに好意を持っていることを、他の誰にも知られたくないんだ。それどころか、オレにその好意を打ち明けることすらできないでいる。でも、大丈夫さ。安心していい。キミがオレを好きなことは、ちゃんとオレに伝わってるから。オレにはすべてわかっているから、安心していいんだよ。
 キミはとっても素敵だ。キミみたいに綺麗な女は他に見たことないよ。ほら、キミの愛らしい口元がなにか言葉を発している。わかってる。オレにはキミが何を言いたいのかわかっている。大丈夫、何があってもボクがキミを守ってあげるよ。
 彼女とボクは同じ職場で働いている。いつごろから彼女がボクに好意を持ちはじめたのかは、ハッキリとはわからない。でも、実はボクもずっと彼女のことが気になってたんだ。だから、彼女がボクのことを好きだってわかったときには、ボクは嬉しかったよ、本当に。
 ただ、気になることがないわけじゃない。彼女はあまりにも素敵な女性だから、当然狙っている男共がたくさんいる。彼女は優しい人だから、まわりにウヨウヨやってくる男共を無視するわけでなく、ちゃんと笑顔を振る舞ってやっている。バカな男共め、彼女が好きなのは、このオレだ。オマエ達がいくらたかっても、彼女は迷惑してるだけなんだぜ。うっとおしいバカ共め、さっさと失せろ!!

 今日は深夜まで残業になってしまった。いや、残業がイヤだっていうのではない。それどころか今日に限っては彼女も一緒に残業しているから、嬉しいくらいだ。この部屋に彼女とふたりっきりになって1時間くらいだろうか。彼女もオレも何も語らないが、ふたりの心は通じ合っている。オレ達の間には言葉なんかいらないんだ。
 おやっ、彼女が席を立って部屋から出て行くぞ。どうしたんだろう。こんな夜中に彼女をひとりで行かせるのは心配だ。でも、出しゃばった真似をするのも良くないから、彼女には気付かれないように後をついていこう。

 廊下は一部の電灯しかついていなくて、かなり暗い。一体どうなってるんだ。彼女がまだ仕事をしているのに、こんなに暗くするなんて。
 彼女は暗い廊下を歩いていって、給湯室に入った。そうか、喉が乾いたのか。ボクに言ってくれれば、お茶ぐらいいれてあげるのに…。
  あれっ、向こうから誰かやってきたぞ。アイツは…そう、経理部の奴だ。あっ、アイツ、給湯室に入っていくぞ。なんてことだ。そういえば、アイツも彼女のところへよく来てたっけ。わかった、アイツ、オレの目の届かないところで彼女を襲う気だな。なんてヤツだ。彼女を守らなければ!!

 暗い廊下から給湯室に飛び込んだ。給湯室は蛍光燈の光でまぶしかった。男はオレの女を騙して唇を重ねていた。女は、優しいから、そんな男を拒否できない。オレは女を助けなければならない。
 オレの目に、果物ナイフが映った。女の目に恐怖が走った。大丈夫、ボクが助けてあげる。
 真っ赤な血が吹き出してオレを濡らした。妙に生暖かい。男は背中にナイフをつきたてたまま、床に崩れた。ほら…もう大丈夫だ。助かったんだ。もう、心配しなくていいよ。

 女が泣き叫んでいる。
 大丈夫、もう終わったんだよ。もう、泣かなくていいよ。ボクがキミを抱きしめてあげよう。ほら、もう安心だろう。そんなに身よじるなよ、もう恐怖の時は終わったんだ。
 あれっ、蛍光燈の光ってこんなにまぶしかったっけ。キミの肌は白くて透き通るようだ。本当に、キミは綺麗だ。キミがボクのことを好きなのは最初からわかっていたよ。ひとりにして悪かったね。もう離さないから、安心して僕の胸でおやすみ…。


(C) Tadashi_Takezaki 2003