世紀末!アメリカ横断ウルトラ出張記 中西部編(パート2) Update:1/17/99


Led Zeppelin 特別展示コーナー(肖像権の関係で加工済み)
Led Zeppelinの特別展示コーナーは、鉄柵で囲われた5メートル四方くらいのスペースで、 背後にはLed Zeppelinという文字をアートに描いた大型のキャンバスが下げられていた。 そこにびっしりと並べられていたものは、以下の貴重な品々であった。

Jimmy Pageの黒ドラゴンスーツ
  展示されていたのは白ではなく黒の方であった。1975年のEarls's Court、1977年の
  数公演で着ていたもの。色白のマネキンに着せられており、Jimmy Page風のクルクル
  パーマのカツラをかぶっていた。やけに唇が厚いマネキンで、顔は全然似ていない。
  製作から四半世紀経過しているが、スーツの保存状態は驚くほど良かった。
  良く見ると上着とパンツで生地が異なっており、上着はやや光沢のあるジャージ風で
  パンツは起毛したベルベット風であった。パンツの左右にはポケットが付いており、
  おそらくピックをここに入れていたものと想像される。
  ドラゴンの刺繍は左右の腕、左右の外腿、右胸、背中、そしてパンツの尻の部分にも
  入っていた(背中と尻はドラゴンの頭部のみ)。刺繍は非常に厚みがあり、色も鮮や
  かで、おそらく製作当時のコンディションそのままと思われる。ドラゴンは基本的に
  左右対称だが、それぞれで若干ディテールが異なる。例えば右腕の顔は緑でヒゲが紫、
  左腕の顔は紫でヒゲが緑である。また、腿は左右で尻尾の形が微妙に異なっていた。
  パンツの股間のあたり、右側には金糸でZosoマーク、左側にはなにやら星座マークが
  3つ赤糸(縁取りは金糸)で刺繍されていた。

Jimmy Pageの生ギター   ZEPP初期にステージやレコーディングで愛用していたHarmony H-1260 Sovereign。   1971年の初来日公演で使用していたことで、日本のファンには馴染み深いのでは。   写真では今まで気がつかなかったのだが、エンドピンを使用しないでストップテール   ピースのようにブリッジの下の方から弦を通す仕組みになっていた。Ovationなどが   後年この構造を採用しているが、当時としてはなかなか斬新な構造である。   全体の形はMartin等に比べるとややずんぐりとしており、ペグは金属カバーなしで   歯車剥き出し。経年劣化のせいか、黒いピックガードがボディから剥がれて浮き上が   っていたのが悲しげであった。
Jimmy Pageの小型アンプ   Supro社の真空管方式のコンボアンプ。説明には「Stairway to Heavenをこのアンプ   で演奏した」とあった。保存状態はかなり悪く、前面のサランネットはあらかた破れ   ており、大型スピーカーがほとんどむき出しになっていた。モデル名は不明だが、ノ   ブが6つ、ジャックが4つ付いている、やや大ぶりのものであった。
John Paul Jonesのボンボリ付きステージジャケット   1973年のMSG公演で着ていたピンク色のジャケット。映画「永遠の詩」でその姿を確   認できる。よく見ると様々な布地をパッチワークで繋いだものであり、胸には小さく   ドラゴンの刺繍が入っている。また、背中には黒地に銀糸で椰子の木とフラミンゴと   思われる南国風の刺繍が入っている。腕には片方に2個ずつ、色糸でくるんだ飾り玉   がぶら下げられていた。これまた、非常に保存状態が良かった。   バックスキンで腿のあたりに切り替えが入っているグレーのパンツを履いていたが、   説明には「ジョンジーのジャケット」とあっただけなので、これは本物でない可能性   あり。こちらのマネキンは金髪でもみあげまであり、ジョンジーに似せようという意   図は感じられた。
John Paul Jonesの8弦Bass   1977年から1980年までステージで使用してたもの。   ボディが想像以上に薄く、多分2cmくらい。ボディ表面に丸いケルト風の文様がペイ   ントされてたが、縁取りの縄模様はボディを直接削って描かれていた。
John Paul Jonesの電気ピアノ   ドイツHOHNER社製。木目調のアップライトピアノ型で、膝が当たる部分にスピーカー   が内蔵されていた。説明によると「1970年製。Stairway to Heaven/No Quarter/   Misty Mountain Hop/Down By The Seaside等のレコーディングで使用された」との   こと。
BonzoのDrums Set   グリーンシャンペーン(緑色のラメ)のLudwig社製セット。説明には「IVthのレコ   ーディングと1971年のツアーで使用した」とあった。(実際は1970年6月28日のBath   Festivalから1973年の欧州ツアーまで、非常に長期間使用されている)   タムホルダーが正面から見て平たい板状になっているのがこのsetの特徴。バスドラ   の周囲は傷だらけであり、ツアーでかなり酷使されたことが伺われる。   バスドラ正面にLudwingロゴ入りの透明な皮が張られていた。Bonzoが当時ステージ   で使用していたのは当初は白地のLudwigロゴ入り、後には白地に「Bonzoマーク」入   りであり、この皮は後からつけられたものである可能性あり。   ジルジャンのシンバルもセットされていたが、ピカピカで新品同様であり、これは本   物でない可能性あり(ロゴマークはBonzoと同じ黒であったが)。背後にパイステ社   のゴングもセットされていたが、これも本物かどうか不明。
そういった至宝を目の当たりにし、私は感動のあまりに嘔吐感を覚えた。ありていに言う と「オエオエッ!」とその場で吐きそうになったのである。 人間、興奮が高まるとそういうこともあるんだなぁと、妙に悟りを開いた心境であった
私はこれらの展示を嘗め回すように見まくり、至福の時間を過ごした。このままここに寝 泊まりしても良いくらいであったが、そこは大人の判断で、残りの展示を見て回った。 エスカレータで1階から4階まで見て回ったが、残りはロカビリーとかヒップホップなど の展示で、私の趣味ではないので説明はパス。3階の壁に写真家Ross Halfin氏が寄贈し たZEPPのポスターが数点貼ってあった。5/25/69のTHE WHOとのジョイントや10/31/69の フェスティバルのもの、75年のEarls Courtのもの等が確認できた。 下りのエスカレータで1階に戻ると、売店の中に降りるようになっていた。Tシャツ/ トレーナーの類が豊富であり、思わずカードで散財してしまった。(ちなみに自分用に買 った長袖Tシャツを帰国して着たらブカブカであった。アメリカサイズは要注意である) 地下のZEPPコーナーを再び眺め、興奮覚めやらぬ状態で私はHall of Fameを後にした。
すぐ近くに巨大なスタジアムを発見。ガイドブックや地図にまだ載っていない新しい建 物であり、Cleveland Stadiumという看板が出ていた。
Cleveland Stadium
建物の外周を歩いていると売店らしきものが営業中であり、中を覗いてみた。 どうやらこのスタジアムはアメフトチームBrownsの本拠地のようで、この店はBrowns のグッズショップであった。トレーナーやTシャツの種類が驚くべき豊富で、アメリカ におけるアメフト人気の高さが窺い知れる。私は昨夜の寒さを思い出し、防寒のために ニットの帽子($12)をしっかり購入した。 店の奥はスタジアムの通路につながっており、トイレに行くふりをしながらスタジアム の中を覗きに行った。すり鉢状になった観客席で、緑色の芝が目に鮮やかであった。 街中を歩き回る。基本的にはオフィスビルが多く、お店の類はほとんどない。 やがて巨大なスタジアムに出くわす。(この街はなんとスタジアムの多いことか!) 映画「メジャーリーグ」で一躍有名になった野球チームCleveland Indiansの本拠地、 「Jacob's Field」である。
Jacob's Field
ここはさすがにシーズンオフの真っ最中で、売店の類も開いてなかった。金網越しに中 を覗いてチョンである。球場の周りの石畳には、歴代選手の名前がレリーフになって埋 め込まれている。石橋貴明の名前は、当然ながら見当たらなかった。 既に日が沈みかけており「そろそろホテルに戻るかな」と思った矢先、私はその建物に 突如出くわしたのである。それは....。

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