世紀末!アメリカ横断ウルトラ出張記 東海岸編(パート1) Update:1/16/99

5th Place:Washington DC


恐怖のプロペラ機、再び
プロペラ機は定員15名程度で、この日はほぼ満席であった。 怖いのは外人も同じのようで、乗客誰もが不安そうな面もちである。 前に座った白人のビジネスマンが「今日の映画は何ですか?」とスチュワ ーデスに質問して笑いを取っていた。(映画設備どころかトイレすらない!) 普通のジャンボ機はゆっくりと離陸するものだが、このプロペラ機はほぼ45度くら いの角度で急上昇する。背中がシートに押しつけられ、いかにも「空を飛んでる」 という気分になる。エンジン音がうるさく、ヒーターも効かないので寒い。 一睡もできないまま1時間を過ごし、タイヤを軋ませながら飛行機はWashington のDulles(ダレス)国際空港に到着した。 Washington DC(District of Columbia:コロンビア自治区)とは、ガイドブックに よると「全米50州のいずれにも属さない、連邦政府直轄の地区」とのこと。 合衆国の首都であり、クリントン大統領が葉巻で遊んでいたホワイトハウスがある。 しかし、ここではわずか1時間の待ち合わせのみ。買い物する暇もなく、さっさと 飛行機を乗り換えて出発になる。今度はちゃんとしたジャンボ機で一安心した。

6th Place:Boston

2時間程で飛行機は高度を下げ、Boston Logan国際空港に到着する。
時刻は夕方17時過ぎ。スーツケースを受け取って、タクシー乗り場に向かう。

外はすっかり暗くなっていたが寒さはそれほどでもなく、雪も積もっていない。
渡米前、誰に聞いても「Bostonは厳寒の地なので完全防寒で望むこと」とい
うアドバイスを受けていたのだが、この温さは全く拍子抜けである。
タクシーの運転手に「全然雪がないんですね」と声をかけたところ、「あんた、
カリフォルニアから来たんだろ?」と笑われてしまった。

目指すのはBoston郊外のWellesleyにあるBabson大学。今回10日間のビジネス
研修を受ける場所である。車は寂しげな山道に分け入り、人家が途切れてしばら
く走ってようやく到着した。時間にして1時間弱の距離である。

宿舎はルームサービスが無いことを除けばホテルそのもので、全く快適な暮らし
であった。研修そのものは皆様の興味の無いことであろうから省略して、土日に
繰り出したBoston市内観光について記述したい。


12/18/99の土曜日、研修生4人でタクシーに相乗りしてBoston市内に。 まずはマサチューセッツ工科大学、通称MITを訪ねる。スタンフォード大に比べ ると規模の小ささは否めない。生協でTシャツを仕入れ、記念撮影しておしまい。
MITにて
市内を分断するチャールズ川に架かるハーバード橋を歩いて渡り、Back Bayと呼 ばれる繁華街に出る。Sheraton Hotelのロビーで一休みし、ここで19時に集合す るまで自由行動となった。
さて、私はBostonに来たら行ってみたい場所が2つあった。 ひとつは Boston Garden。高名なコンサート会場であり、我がZEPPも数回 そこでステージをこなしている。しかし、この会場は1999年春に取り壊しにあい、 今は跡形もないことがInternet情報で判明している。 もうひとつは The Boston Tea Party。1969年にZEPPが演奏し、アンコ ールに次ぐアンコールで大人気を博した会場である。特にジョンジーが「ここで の観客のリアクションを見て、アメリカでの手応えを実感した」というニュアン スの発言をしており、ZEPPファンにとってはある意味聖地とも言える場所である。 渡米前に後者会場のことを調査したが、Internetではほとんど情報が集まらなか った。唯一「ロックンロールトリップ/アメリカの旅」という本で、この会場が 1960年代後半に教会を改造して作られ、一度移転してから1970年に閉鎖されたこ とがわかった。 「ひょっとしたら、その教会が残っているかも知れない....」 私は淡い期待を込め、The Boston Tea Partyの跡地探しに乗り出すことにした。
まず、本に載っていた2つの住所を元に、「15 Lansdown St」という方を探す。 地図で見るとそばにFenway Parkという地域があり、これを目印に歩き回る。 なかなか見つからずあきらめかけた頃、古い野球場に出くわす。なにげに壁を見 ると「Fenway Park」という看板が掲げられていた。 なんと、目印のFenway Parkとは、野球場の名前だったのだ。 (後でガイドブックを読むと、Boston Red Socksのホームグラウンドだった) 急いで住所を確かめる。15番地に相当する場所は、黒い板張りのダンスホールで あった。本に載っていた「1970年撮影」の写真には、会場の裏口で観客が朝日を 眺めている光景が写っているが、このホールの裏手は確かに線路に面している。
The Boston Tea Party?(15 Lansdown St)
おそらく、ここが1970年に営業を停止した方、つまり移設後のTea partyと思わ れる。建物はかなり古く、ひょっとしたら当時と同じものである可能性もある。
ここで既に時間は16時を廻っており、日が陰ってきた。急いで次の住所である 「53 Berkley St.」を探しに出かけた。 繁華街から外れ、すっかり暗くなった道を1時間近く歩く。途中で休憩したくて も喫茶店もない。ようやくPizza屋を見つけ、コーラを飲んで一息ついた。 さて、元気も出たところで調査の続きを.....と思いきや、探す住所はPizza屋の すぐそばであることが分かった。番地をひとつずつ確認すると、Pizza屋の向かい 側が53番地である。なんとも拍子抜けしてしまった。 古めかしいレンガ造りの建物で、1階は現在コンビニ風の雑貨屋になっていた。 「1911年設立」というレリーフが壁に刻まれており、建物の3階あたりにはユダ ヤ教の星マークの飾りがつけられている。雰囲気からもここが元ユダヤ教会であ った可能性は高く、本の「教会を改造して」という記述ともぴったり符合する。
The Boston Tea Party?(53 Berkley St.)
コンビニの中に入ってみた。奥行きは7メートルくらいで、その先はコンクリート の壁で遮られていた。おそらくこのコンビニの敷地は当時のロビーと客席最後部あ たりまでに相当し、その先に客席の大部分とステージがあったのだと思われる。 建物の裏に回ってみたが、コンビニの奥は住居になっていた。意外に奥行きはなく、 せいぜい100席程度の小さなライブハウスだったと思われる。 さて、ここで「どちらの会場を我がZEPPが使ったのか?」という疑問が残る。 帰国してから資料をチェックしたが、Robert Godwin氏の「The Press Report」 なる著書に唯一の手がかりがあった。 この本は活動期間中にZEPPについてかかれた雑誌/新聞記事を抜粋したという超マ ニアな内容であるが、1/23/69のBoston Globe紙の広告に以下の記述があった。 「What's Going on? Led Zeppelin, The Boston Tea party, Berkley Street,  through Saturday Only, Admision $3.50...」 つまり、1969年1月のLIVE時には、Berkley St.の方で演奏したのは間違いない。 ただし、5月のLIVEに関しては資料がなく、どちらかは特定できなかった。これは 今後調査を進めて行く必要があろう。 とにかく、ZEPPが最初にアメリカでブレークしたと言われる会場は、非常に小さな 元教会であった。1月の寒さの中、狭い控え室でストーブにあたり、彼らは闘志を 秘めて颯爽とステージに上がっていったに違いない。 私は成果に大いに満足し、集合場所へと急いだ。

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