大和の城1
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高安城は、古代城と中世山城が共存している、めずらしい城だとかってに思っています。
この古代高安城の存在は、日本書紀でも明らかなのですが、他の古代城とくらべ遺構が乏しく、神籠石か朝鮮式山城かで論争があり、一般的には朝鮮式山城ということになっているようです。また古代高安城の縄張は、信貴山を含めた広範囲なものなのですが、詳細についても論争があり、最近になって倉庫跡と見られる礎石が発見されたことにより、当初の縄張より大きなものであることが有力とされています。
小泉城は近世の陣屋がありました。近くの慈光院の山門は、大阪の茨木城の城門を移設しためずらしい茅葺きの櫓門があります。(茨木は私のホームタウンなのだ(^O^))
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高安城 |
所 在:奈良県 生駒郡 & 大阪府 八尾市
地図[MapFanWeb] 交 通:近鉄信貴線 信貴山口駅からケーブルで高安山駅 徒歩15分 種 別:古代城 & 中世 山城 663年天智天皇が、唐、新羅の侵攻に対して防衛する城郭の一つとして築きます。672年の壬甲の乱で吉野軍に攻められ落城し、701年には廃城となっているようです。 上写真は唯一?の古代高安城の遺構で倉庫礎石とされています。全部で六棟分発見され、二号棟と三号棟が公開されています。写真は二号棟で、見づらいですが礎石が並んでいるのが分かると思います。 この礎石は昭和53年に「高安城を探る会」が発見し、古代高安城の縄張について一応の決着がついているようです。(くわしくは分からない。) 高安山山頂にあるのは中世高安城の遺構で、戦国末期に松永久秀が、信貴山城の出城として築きました。 古代高安城にも、のろし台があったとされています。 城は道により大阪府側と奈良県側に分断されており、大阪府側に最高位と本丸がありますが、遺構の保存状態は今一つです。 奈良県側は二の丸、三の丸があり、特に二の丸と二の丸掘が良く確認できます。 下写真はその二の丸の空堀です。 |
信貴山城 |
所 在:奈良県 生駒郡平群町
地図[MapFanWeb] 交 通:近鉄生駒線 信貴山下車 バスで信貴山口 徒歩20分 種 別:中世 山城 信貴山は、高安山から西へ1kmほど山続きにあるところで、途中で倉庫跡にも立ち寄れるハイキングコースにもなっています。 大和、河内両国を治めるに最適な要所となっいており、本格的城郭は1536年木沢長政によるものが最初で、1559年に松永久秀が入城してから、今日見られるような大規模な城郭になります。1577年松永久秀は織田信長に背き、大軍の攻撃を受け50日の籠城戦のあと落城、廃城となっています。 信貴山の遺構はすごそうです。大小120ほどの曲輪が存在し、北側斜面に人の手をひろげたように、曲輪の列が尾根状に展開しています。ただし曲輪には名前が1つもついてなくて、城に関する看板も山頂と南側麓にあるだけで、現場での看板、標識はありません。でも、この山は登山客が十分にいるのです。城見学ではなく参拝客としてですが... 現在は山頂に毘沙門天をまつる空鉢堂が鎮座しており、南側中腹の朝護孫子寺までの登山道はたくさんの鳥居が掛かっています。平日なのに異常に人が多いので、もしかしたら宗教団体も関係しているんじゃないかな? 上写真は南側から撮った信貴山の遠景です。写真右側は雄嶽で本丸?があったところです。左側は雌嶽です。出丸らしき曲輪があるみたいです。(私は見てない) 下写真は、北側斜面の三丁目石碑近くにある整備されていない道を、ゴソゴソと入ったところにある名も無い曲輪の写真です。写真奥に土塁が走っているのが確認でき、南北に大型の曲輪は列をなしているのが確認できます。空掘りなども随所に見られます。縄張図によるとこのあたりの曲輪が一番大型のようで、山頂看板には松永屋敷と書かれています。 |
小泉城 |
所 在:奈良県 大和郡山市 小泉町
地図[MapFanWeb] 交 通:JR関西本線 小泉駅 徒歩15分 種 別:近世 陣屋 中世のころに土豪小泉氏が館を構え、1580年ごろに豊臣秀長の家老羽田氏が入城し、1633年に片桐貞隆(且元の弟)が陣屋を構え、明治に至っています。 陣屋ながら十分に城郭の構えをしていたようです。駅から北西600mほど行ったところに高台があり、水掘を彷彿させる池が4つほど残っています。 交番すぐ横に城跡の碑のあたりに、小泉城はあったようです。現在はすぐ南側の掘池で、かつての城を想像するしかありません。 上写真は長刀池(ナギナタ池)から、片桐邸高林庵にある模擬櫓を撮ったものです。なかなか雰囲気が出ている写真でしょう。 高林庵横の家には宗家 片桐の表札が建っているお宅がありました。このあたりに近世の陣屋が構えられたようです。 下写真は城からすぐ南にある小泉神社に、城門が移築されています。 |