能登の城
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言っちゃ悪いのですが、能登はかなり辺鄙なところで、まさに陸の孤島といったところでしょうか? 電車、バスで回るには少し不便です。
そんな能登半島ですが、守護大名が戦国大名化した畠山氏関連の城が、結構あるようです。そのうちメジャーですが畠山氏の本城であった七尾城。 その次に大きい遺構であろう穴水城などを紹介します。
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小丸山城 |
所 在:石川県 七尾市 馬出町
地図[MapFanWeb] 交 通:JR能登線 七尾駅下車 徒歩10分 種 別:中世 平山城 1581年、信長より能登一国を与えられた前田利家は、七尾城に入城しますが、まもなく、交通が便利で港にも近い小丸山に居城を移します。当時は実戦の山城から、統治の平山城、平城へと移行している時代で、利家も時代に習ったといえるでしょう。 1583年、秀吉から加賀二郡(石川、河北)を加増されると、利家は金沢に移ります。小丸山城には、実兄の前田安勝が入城。以後数代にわたり城主をつとめますが、一国一城令で廃城になっています。 城は、七尾の市街地にある標高22mの独立した丘で、遺構らしきものは見当たりませんが、小丸山公園として完全に公園化されています。 写真は山頂にある碑で、”前田利家小丸山城址”とあります。見学した時は桜の季節で、夕方にもかかわらず人がたくさんいました。 |
穴水城 |
所 在:石川県 鳳至郡 穴水町川島
地図[MapFanWeb] 交 通:JR能登線 穴水駅下車 徒歩20分 種 別:中世 山城 能登の有力国人であった長氏の居城で、戦国時代中期以降は畠山氏の重臣となっていたようです。 1576年の上杉謙信による能登攻略で、七尾城落城ともに、穴水城主の長続連以下一族は殺害されますが、謙信無き後、織田信長の支援を受けた長続連の遺子である長連龍が、穴水城の奪回に成功します。 のちに長氏は前田利家に従い、加賀藩の重臣となり血筋は引き継がれました。 上写真は穴水城の遠景で、写真の右側(山の西側)にはすぐ穴水湾が広がっていて、山の東側から南にかけては五つの谷があり、自然の要害をなしているようです。 下写真は最高位にある本丸から、二段に突き出た細長い曲輪を撮ったもので、奥に穴水の街が少し写っています。 その先端にも小さな曲輪があり、穴水湾が一望できる位置になっています。 また、本丸の北側には、整備されてませんが本丸より大きそうな曲輪(二の丸とされている)も確認でき、その他、西側の傾斜にたくさんの曲輪があるようです。 現地では縄張図の看板が無く、本丸を含めた2,3の曲輪しか整備されていないので、麓の歴史民俗資料館で”穴水城跡 調査概要報告書(500円)”を買って、縄張図を参照しながら歩くと良いでしょう。 |
七尾城 |
所 在:石川県 七尾市 古府
地図[MapFanWeb] 交 通:JR能登線 七尾駅下車 徒歩30分で登山口 種 別:中世 山城 能登畠山氏の初代は、1408年に能登一国の守護大名に任ぜられた満慶で、三代義統は応仁の乱で京から逃げてきた公家などを能登に入国させ、京風の能登畠山文化が栄えることとなります。この応仁の乱以後に、七尾城が徐々に築城されたとされています。 七代目の義総は統率力にすぐれ、もっとも安定した時期を迎えますが、八代目の義続になると指導力を失い、重臣達の権力争いがはじまり、畠山七人衆体制による合議制が始まります。しかし、権力争いは絶えなかったようです。 義続と九代目の義綱は重臣らに追放され、守護職は嫡男の義隆が継ぎます。こうしたゴタゴタが続くうちに、越中からは織田、越前から上杉、国内では一向一揆の勢力から孤立し、織田、上杉どちらにつくかで協議を重ねた結果、織田方について上杉の兵を迎えることとなりました。 1576年に上杉謙信率いる越後軍の能登侵攻が始まり、畠山軍は七尾城に籠城、織田軍の援軍を待つ作戦を取ります。謙信は七尾城の支城をつぎつぎと落城させ、七尾城を孤立化させます。 年が明け、後詰めの織田軍は、加賀で一向一揆軍に阻まれ、城内では伝染病が流行り、若干五歳の城主義春も病死、畠山有力重臣の遊佐続光の裏切りで、ついに1577年の九月七尾城は落城しました。 遺構は良く残っています。道路が整備されて本丸付近まで車で登れますが、麓の七尾城史資料館から古道を歩いて見学するのがお勧めです。 このコースだと順番に、蔵屋敷跡、妙国寺跡、時鐘跡、番所跡、安寧寺跡、沓掛場跡、袴腰跡、を経由して、調度丸、桜の馬場、遊佐屋敷を経由して最高位の本丸に到達できます。 上写真は安寧寺跡の曲輪で、現在は七尾城攻防戦の慰霊碑が建っています。 中写真は遊佐屋敷、桜の馬場の北側に当たる石塁で、三段程度で構成されており、本丸直下にもこれと似た石塁が構築されています。 下写真は最高位の本丸で、櫓台跡のような土塁上に簡素な神社があります。そこからは能登島が一望でき最高の景色です。ここで詠んだ謙信の”露は軍営に満ちて秋気清し...”の詩は有名?らしいです。 |