西南海観光鉄道
「井笠鉄道と産業遺産」シンポジウム

全般的感想など

 シンポでは、今田保さんという鉄道関連の出版業の方も講演なさいました。2002年という年は、鉄道にとってはターニングポイントの年ととらえられるということです、青木さんのお話との関連でいえば、ローカル線まで含めて国が建設すべき鉄道を法律で規定した鉄道敷設法による最後の鉄道である「土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線」が開通した年でもあり、東北新幹線の八戸延伸完成の年であったことを挙げておられます。また、鳥取県米子市と西伯町を結んだ日の丸自動車鉄道線(通称:法勝寺電車)の古典客車を保存している米子市教委の方も、保存の経緯を説明されました。青木さんらの調査で、現存する日本最古の木造客車と認定され、保存の理由付けにもなったそうです。また、中国産業遺産研究会の野原建一さんは、考古学や美術偏重の博物館の学芸員養成課程に近代遺産や産業考古学を採り入れるべきだと話されました。

 パネルディスカッションの議論の焦点は、日本の標準的な軽便鉄道の姿を伝える井笠鉄道の遺産、遺構をどう保存し、どう活用していくかでした。講演者の方も指摘されていますが、井笠鉄道記念館のように、井笠鉄道の企業としての自覚的努力がなければ、あのような形の保存展示もなかったといえます。鉄道記念館を含めた遺構探訪マップの作成などの提案も十分にうなずけます。ただ、現状の遺構をただ訪ね歩くだけでは、鉄道を趣味とする人以外の興味はひかないでしょう。野原さんが指摘されたように、各自治体が井笠鉄道記念館のような企業博物館を地域の博物館として継承することも必要です。井笠鉄道の社員さんでも鉄道を実際に知る人は減る一方なのは間違いないですので、モノだけでなく、吉川さんが言われた鉄道職員の技能とともに、日常生活で井笠鉄道を利用した人々の記憶自体も伝承していく必要があるのではないでしょうか。福島県の磐梯山麓を走っていた沼尻鉄道については、近年、地元の人たちが当時の写真や思い出をつづった文章を出し合って「懐かしの沼尻軽便鉄道」という本を出し、廃線跡を訪ねるツアーも催しています。し、まずは沿線住民を巻き込んだ仕掛けが求められるのではないでしょうか。鉄道を利用した経験のある地元の人が鉄道を愛し、遺産や記録を残していこうという機運が盛り上がることが大事だと思いました。シンポの最初にあいさつされた笠岡市の教育長さんは、中学・高校時代の通学に井笠鉄道を利用されており、保存していた廃止の日の切符をお持ちになられました。そうした人たちが意識的に集まって井笠鉄道の伝承のためになにかやろうということになれば言うことなしですね。そんなことを考えながら、会場を後にしたのでした。(02/12/10)


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