西南海観光鉄道
私説・乗工社盛衰記

・終焉
 90年代は乗工社の最盛期だったといえるでしょう。本稿では、ナロー(HOe)の製品に限って記述を進めてきましたが、HOj製品や三田模型名義の16番製品の展開も活発でした。筆者はこの時期、模型を中断していたので、現役モデラーとして乗工社隆盛を同時代で体験できなかったのは、返す返すも残念でなりません。

 新しいミレニアムに入って最初に発行されたTMS誌2000年2月号が、乗工社の最後の広告掲載でした。最後のHOe製品となった「木曽Cコッペル」の新発売が告知され、同月号の「製品の紹介」でも取り上げられました。そして、同誌3月号から広告が姿を消し、同月号のコラム「編集者の手帖」で、乗工社の廃業に触れています。出版元の機芸出版社には、2000年1月12日に乗工社の代理人から廃業(破産申し立ては1月11日付)の連絡があったそうですが、その時点では、2月号はすでに印刷が始まっており、差し替えられなかったということです。一方、とれいん誌では99年終盤の広告から発売予定のNゲージ蒸機の受付告知だけとなります。1月号にはすでに広告がありませんが、2000年4月号までを見る限り、乗工社廃業の経緯に触れる記事は見当たりません。

 乗工社の廃業後、乗工社に生産を発注していた関係からモデルスイモンが仕掛かり中だった遠州鉄道奥山線のDCなどを引き継いで発売したり、新たなHOe製品の発売に乗り出したりしています。かつての乗工社のナロー用パーツを乗工社ブランドで再発売も始めています。

 2004年9月、乗工社の創業者が亡くなられました。筆者自身はまったく面識はありませんが、模型の世界に足を踏み入れるきっかけを与えてくれた「恩人」であり、国鉄型や一般の非電化私鉄でも1/87 12mm gauge(HOn3 1/2)を採り入れることになったのも、彼の影響といえます。ご冥福をお祈りします。(2004/10/09加筆)


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