バトゥル山の噴火 (Gunung Batur)


 バトゥル山は、1917年と1926年に大噴火を起こしました。特に1917年の噴火の際は大地震がバリを襲い、島の生活に大きな被害を及ぼしました。

 1917年の大地震に伴なうバリの復興、とりわけブサキー寺院の復興と植民地下における政治的制約については、次を参考になさってください。

  • 永渕康之「1917年バリ大地震――植民地状況における形成の政治学」『国立民族学博物館研究報告』19-2 (1994/),pp.259-310.

 1926年の噴火の際、バトゥル湖の東北岸にあった旧バトゥル村は溶岩流に呑まれてしまいました。高台にあった寺は辛うじて難を逃れましたが、度重なる村の壊滅に業を煮やした村人は、キンタ・マニ地区に寺を移築し、その周囲に移住して新しいバトゥル村をつくりました。

 バトゥル火山の概容と俯瞰撮影した写真が次の文献にあります。

  • 白尾元理「バツールカルデラ/アグン」荒牧重雄・白尾元理・他編『空からみる世界の火山』丸善,1995/9,pp.47-49.

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NISHIMURA Yoshinori@Pustaka Bali Pusaka,1998-2000.