マジャパイト(Majapahit)


 東部ジャワにあったヒンドゥー=仏教王国。1292〜1528年頃。ジャワ語ではモジョパイトという。建国者ウィジャヤ王子は、ジャワを襲った元冦に乗じ、前王の家臣に纂奪されていた政権を奪還した。14世紀中葉、アヤム・ウルック王時代に最盛期を迎え、当時編まれた史書によれば宰相ガジャ・マダの功により東南アジア史上最大の版図を誇ったとされる。1346年、バリも征服された。

 15世紀後半、ジャワ北海岸に興ったイスラム港市国家の連合により首都陥落。ジャワのイスラム化を嫌った一人の王子が、家臣や工芸師らを随伴してバリへ亡命したという。バリのブラーマナ僧(プダンダ)や王侯貴族(ラジャ)は、この国からの植民者「ウォン・マジャパイト=マジャパイト人」であることを自認する。後代のバリ文書では、ヒンドゥー時代のジャワを指して「マジャパイト」と呼ぶことが多い。


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