旧日本軍によって過酷な労働を強制された或るインドネシアの男性の手記には、『日本人を恨んでいない』、『全てあれは戦争の狂気が行った行為だから』と書かれていた...
だが作者は、当時の日本軍の残虐な行為をたとえ被害者のだれかが許しても、我々、今生きている日本人は許してはならないような気がする。それを許すことは、「戦時にはその種の行為も仕方がない」という考え方を自ら認めるのと同じになると思うからだ。我々が将来どこかで同じ行為を繰り返すことを自ら許すことになる。
実際の話、もしどこかの国と戦争状態になったら現代の日本人はどんな行動をするのだろうか?そして私個人はどうだろうか?今回ピース大阪を訪問しての作者の関心事はこれらの点につきる。
戦争では何でもやって良し、という発想はどこから生まれるのだろう?「戦争は非常時だから、平常時とは違う常識があってしかるべき」という考え方が支配的になったとしても、平常時だけのヒューマニズムはヒューマニズムではないだろう。 質問1:戦闘行為をお国のためでやっていたのなら、民間人の殺りくや暴行もお国のためでしたか? 質問2:したい筈もないこわい戦闘を、鬼のように恐ろしい上官に、国家に強いられて仕方なくやったから、暴行はそのお駄賃として許される必要があったのですか? 質問3:日本民族は他よりも優れているという感化を真に受けて何でもやって良いと感じていましたか?そういう感化政策は実在したにせよ、その政策に便乗するあさましい気持ちがなかっただろうか?(政策の一人歩き) 質問4:ヒットラーがユダヤ人を虐殺したから、日本人も同程度のことをしても罰は当たらないという論理ですか? 疑問は尽きない。
もちろん、太平洋戦争の最中、一貫して他国の兵隊を敬う気持ちを持ち続けた部隊もあったかも知れない。する方もされる方も侮辱される陰惨な行為に加わらなかった勇敢で憐れみを知る兵隊もいたかも知れない。また、兵隊による戦争相手国の兵隊や民間人に対する残虐な行為は、太平洋戦争での日本軍の例が初出ではなく、古今東西枚挙にいとまがないかも知れない。ベトナム戦争でも民間人を(スパイ容疑としてだけではない)殺りくした例はあった。でも、それならば、人間がそんなにまでおぞましい面を普遍的に抱えた怪物ならば、そこから目をそらす訳にはいかない。何故フィリピンの高校生の絵に標されているような常軌を逸した行為に走らねばならなかったのか?その時の兵隊の集団心理を憶測してみる必要がある。逆に、過酷な気象条件に苛まれ、ろくに食べ物もない生地獄のような遠隔の地にいながら、人の道を踏み外さなかった部隊が、兵隊が一人でもいたなら、彼等を支えたのは何の力だったか?作者はそれを知りたい。
私が訪問した1月18日は女子高校生が多く訪れていたようだが(現代社会科の自由研究だろうか?)、もし戦争体験者から有志を募ることができれば、彼等が自分の体験談を交えながら、昨日までは互いに見知らず年齢層も大きく違う若者達と館内を歩き、お互いの考えを述べあうという企画はどうだろうか。
ピース大阪へは、地下鉄中央線「森ノ宮」駅下車、1番出口より地上に出て、大阪城公園への入り口を右にやり過ごすと、『このまま西に2分歩けばピース大阪』という看板と出会う。施設の入り口は建物の2階にある。
ところで、今回の特別展見学以来、日本人の得意な集団行動とお祭り好きが作者には何だかおそろしいものに思われてきました。