中国生活雑感


その1(2001年1月)

中国語 対 日本語、「大丈夫?」

 怪我や病気などで「大丈夫じゃなさそう」な人に対して、日本語では「大丈夫ですか?」と声をかけます。これが中国語だと『没事[口巴]』となります。『没』は否定を表し『没事』で「無事」「大丈夫」というような意味となり、口編に巴と書く『[口巴]』は「〜でしょう(?)」という推量を表します。

 さてここで、「日本語を勉強したことがある中国人」が「大丈夫じゃなさそうな日本人」に対して何と言うかというのが問題です。

 私は酒を飲まされてクラクラになっているときに「大丈夫でしょう」と言われ、「大丈夫じゃないわい、人が大丈夫かどうかが何でアンタにわかる」と腹を立てたことがあります(その時は怒鳴る元気もありませんでしたが)。そして後になって、これが『没事』と『[口巴]』をそれぞれ直訳したものだと気が付いたのです。

 日本の「大丈夫ですか」も普通は「大丈夫」という答を期待しているのではありますが、一応は大丈夫かどうかを苦しんでいる本人に訊ねる日本。一方で自分の推量・希望を直接口にする中国。これも文化の違いなのかなぁと思うのでした。


その2(2002年2月)

「我ら」の範囲

 2001年10月上旬、私が暮らす広西はやっと夏の終わりに来て、昼の最高気温が30度前後になり、最低気温は20度くらいまで下がってきた頃の話です。そのころ、中国の東北部はもう氷が張ったり雪が降ったりしていました。

 その寒い東北瀋陽で、中国は初めてのサッカーワールドカップ本大会出場を決めました。この試合はテレビで生中継されていて、試合終了の瞬間「我們出線了」の文字が画面いっぱいに大きく映し出されました。「我們」は中国語で「私たち」という意味、「出線」は予選などを「勝ち抜く」という意味です。ちなみに2008年のオリンピック開催地が北京に決まったときは「我們贏了」と、これまた画面いっぱいに表示されました。「贏」というのは勝負に勝つという意味です。

 この「我們」と言ってしまう所が中国です。これが日本なら、予選を勝ち抜いた代表チームに対して「おめでとう」というような言い方をするでしょう。ところが中国では、勝った人たちを祝福するのではなく、自分達もいっしょに勝ったことにしてしまうのですな。勝った自分に自分で、あるいはチームメート同士で「おめでとう」と言ったらちょっと変ですから、放送局も「勝ったぜ!」とは言っても、「おめでとう」とは言わないのですね。

 日本が予選を勝ち抜いたとして「自分達が勝ち抜いた」と言えるのは、代表チームの選手と監督やコーチくらいで、サッカー協会の人間でもこうは言わないんじゃなかろうか。もしかしたら監督でさえ言わないんじゃなかろうか。こんなところが日中の文化の違いなのかな〜などと考えたりしています。文化……なのかな?