未成年と報道:031210】

 最近の報道について、つい考え込んでしまう。
 ある日突然、何かの事件に巻き込まれれば、殆ど素っ裸に報道されてしまう。
もしも間違った報道がされた場合、生きていたとしたら、多少なりとも反論が出来たかもしれない。しかし、死んでいたらそれは不可能。
 たとえ間違っていなくても、私生活をこと細かに暴き立てられて、傷つかない人が果たしているだろうか、と。ここまでは老若男女全ての人にあてはまる。

 10月に、千葉県で、16歳の少女が殺された。
 22歳が主導の少年グループに殴り殺され、火をつけられた。
 メディアは、こぞって少女の周りを報道の餌食にした。

 報道関係者はのたまう。「国民がこの事件の全貌を知ることにより、今後の判断材料になれば、社会的公益となる。よって国民の知る権利の範囲にある」と。
 ちょっとまって下さい。少女が社会に対して何を侵したのですか。
 
 事件の全貌が知りたいだって?? なぜ自分の人権という宝物をはぎ取られ、さらし者にされてまで、社会に贈り物をしなければならないのですか。ましてや少女は未成年。この世に生まれてたかだか16年。自分の全てを差し出さなければならないほど、この世から恩恵を受けてはいません。

 今後の判断材料が欲しいって?? 自分のために?? 欲しいものは自分で手に入れろ。安全とて同じこと。少女から奪うな。
 国民の知る権利だって?? 少女の人権をむしり取って、自分たちがむさぼり喰っている姿こそ、知らしめ映し出すべく、本当の「知る権利」が国民にはありますよ。

 それにもう一つ、長崎で12歳の少年が4歳の男の子を殺した事件も、今年の夏にはありました。
 「そもそも、あれは加害であるから、社会に対して責任がある」と、厳罰主義者はのたまう。
 
 社会に対して責任ですって?  彼はわずか12歳。まだまだ、人間として発展途上であればこそ、選挙権も与えずに禁治産者として扱ってきたのではなかったのですか。
 
 事件当初は、「異常性的人間」として書きまくられていましたよ。最近になってようやく少年の未熟さが報道されました。けれど、冷静に考える人はわずかで、当初に植え付けられた異常な人間像だけが残りました。おかげで「少年の人権なんて、贅沢なたわ事」と豪語する風潮ができてしまったのですよ。

 少年は、被害者に対しては責任があるけれど、ほんの12歳の少年が、貴方や私にどのような被害を与えたというのですか。
 社会的制裁と称して、国民こぞって生殺し制裁をするのは恐ろしすぎます。

 誰が受けても深刻な報道被害。
 けれど、大人に加えて子どもは余分な課題を背負っている気がするのです。

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