2004年の春から夏にかけて、このサイトでソウル・ミュージックについて連続で書いた。 自分の中のソウル・ミュージック観を、ドバーっと一度吐き出してみたかったのである。 その中でこれはと思う人たちについては概ね書いたつもりだが、全体構成の関係で書かな かったり(例えばスライ&ザ・ファミリー・ストーン)、さらっと書いてすませてしまっ たグループがいくつかある。スタイリスティックスは、後者に属するグループの一つだ。 ぼくがちょうど洋楽にはまりだしたころ、彼らの《キャント・ギヴ・ユー・エニシング( バット・マイ・ラヴ)》がラジオでよくかかっていた。そのせいか、スタイリスティック スというと、この曲の煌びやかなイントロのイメージが強かった。しかし《キャント・ギ ヴ・ユー・エニシング(バット・マイ・ラヴ)》は彼らの最後の輝きのようなヒット曲で あり、本当の珠玉の名曲がそれ以前の時期にあると後になって知ったのである。 スタイリスティックスは、1968年にフィラデルフィアで結成された。そのため、ソウル・ ミュージックの中ではフィリー・ソウルと呼ばれる範疇に一応入る。しかし初期のサウン ドは、フィリー・ソウルを代表するギャンブル&ハフのフィラデルフィア・インターナシ ョナル系のグループの煌びやかなサウンドとは異なっている。最初のヒットは、1970年の 《ユー・アー・ア・ビッグ・ガール・ナウ》。この曲でのスタイリスティックスは、まだ ゴスペル・コーラス・グループっぽいサウンドだ。モータウンのテンプテーションズから の影響も少し感じるが、この時点ではとくにこれといって特徴のないグループである。唯 一印象に残るのが、クセのないラッセル・トンプキンスのスムースなファルセットくらい か。彼らはこのレコードのそこそこのヒットのあと、アヴコ・レコードと契約する。ここ から、彼らの黄金時代がはじまるのである。 この時期の彼らをバック・アップしたのが、トム・ベル&リンダ・クリードによるソング ・ライター・チームだ。トム・ベルは、既にデルフォニクスの《ラ・ラ・ミーンズ・アイ ・ラヴ・ユー》などのヒットの実績のあった人物である。その彼が、女性のリンダ・クリ ードと組んでスタイリスティックスに提供した曲が、これがもう、本当に珠玉の名曲揃い なのだ。どうやれば、このような素場らしい曲を量産できるのだろうというくらい素場ら しいのである。例えば《ベッチャ・バイ・ゴーリー・ワウ(邦題:ゴーリー・ワウ)》。 ワーナーを離れたプリンスが最初にシングル・カットしたのが、このスタイリスティック スのカヴァーであった(ぼくのフェヴァリット・ギタリストのグラント・グリーンも名演 を残している)。他にも、ダイアナ・ロスとマーヴィン・ゲイがデュエットでヒットさせ た《ユー・アー・エヴリシング》など本当にたくさんあるのである。 よくまあ、こんなにも珠玉のメロディの名曲を連発できたなと思うが、これらの曲のサウ ンド・プロダクションがこれまた絶妙なのだ。ベル&クリードがスタイリスティックスに 曲を提供していた1970年代初頭は、ビートルズの解散、ストーンズの”オルタモントの悲 劇”といった出来事によって、ラヴ&ピースの時代の終焉という雰囲気が色濃くなってい た。音楽の世界では、内省的な世界を歌うシンガー・ソング・ライターの時代に変わって きていた。アレンジャーでもあったベルは、ジェイムス・テイラーやキャロル・キングと いった人達のアルバムのサウンドにヒントを得たに違いない。例えば《アイム・ストーン ・イン・ラヴ・ウィズ・ユー(邦題:愛のとりこ)》に聴けるように、シンガー・ソング ・ライター系の人達のアルバムと同様のシンプルなサウンドを土台にして、クセのないラ ッセル・トンプキンスのファルセットを上手く活かすようにしているのだ。 トム・ベルがもう一つサウンド創りの参考にしたのが、おそらくバート・バカラックのサ ウンドだろう。B・J・トーマスの《雨にぬれても》、カーペンターズの《遥かなる影》 、フィフス・ディメンションの《悲しみは鐘の音と共に》といったヒットで、バカラック ・サウンドは当時注目を浴びていた。1965年にジャッキー・デシャノンの歌でヒットした バカラックの《愛を求めて》にインスパイアされたような《ブレイク・アップ・トゥ・メ イク・アップ(邦題:涙の試練)》を聴けば、バカラックの影響が実感できると思う。シ ンガー・ソング・ライター系サウンドとバカラックの影響が、スタイリスティックスの名 曲の秘密だと思う。その中の”1曲”といえば、永遠のキラー・チューンの《ユー・メイ ク・ミー・フィール・ブラン・ニュー(邦題:誓い)》か。あの娘とキメタイときに、強 力なバックアップをしてくれるだろう。きっとトロけてしまうこと請合いだ。