●クリード・テイラーとウェス・モンゴメリー(前編)

ウェス・モンゴメリーの最高傑作は、最後のレコードとなった『ロード・ソング』だ。断
じてリヴァーサイド盤ではない。理由は簡単だ。音楽として、圧倒的に優れているからで
ある。リヴァーサイド盤も確かに素晴らしい。しかしその素晴らしさの要因というのは、
殆どがウェスの”驚異的”ギターによるものである。『ロード・ソング』とは、そこが異
なっている。『ロード・ソング』が最高傑作となったのは、ウェスのギターだけではなく
、アレンジャーのドン・セベスキー、”ブルーノート”で有名な録音の名手ルディ・ヴァ
ン・ゲルダー、そしてプロデューサーのクリード・テイラーという人々の大きな貢献によ
るものだからである。ヴァーブというレコードレーベルに始るこれらの人々のコラボレー
ションの音楽的な成果が最も高みに達するのが、この『ロード・ソング』というアルバム
である。このアルバムについて書く前に、そこに到るまでの過程も少し記しておきたい。
何故ならその過程こそが、『ロード・ソング』を傑作たらしめた大きな要因だからである。

プロデューサーとしてのクリード・テイラーは、オルガンのジミー・スミスや、テナー・
サックス奏者でメロディックな即興演奏の名手スタン・ゲッツのボサ・ノヴァのレコード
で、ポップ・チャートでも既に成功していた。そんなクリードの次のインスピレーション
の源として、ダイナミックに歌うウェスのギターがあった。クリードは”信じられないく
らいに素晴らしい”と言われ、かつよく”歌う”ウェスのギターに、一般大衆にもアピー
ルできる新たな可能性をみていたに違いない。クリードが手がけたヴァーブというレーベ
ル時代のウェスのレコードには、そんな試行錯誤を垣間見ることができる。ジミー・スミ
ス等のレコードと同じように、大衆にアピールしやすいよう通常のコンボ編成にオーケス
トラやストリングスを加えてみる。クリードは考える。”素晴らしいが何かが足りない”
と。時代は既に60年代になっていた。ヒットチャートのアルバム部門で売れているのは
、主に映画のサウンドトラックやビートルズを中心としたポップスだった。ビートルズ旋
風と共に、時代は確実にロックの時代になろうとしていた。クリードは、ウェスのヴァー
ブ・レーベルで最後のレコードとなったアルバムで、ママス&パパスのヒット曲をカヴァ
ーしてみる。アルバムタイトルにもなった《カリフォルニア・ドリーミング》だ。他にも
、映画音楽やハーブ・アルバート&ティファナ・ブラスなどのヒット曲でアルバムを飾る。
恐らくクリードは、この手法に手ごたえを感じた。ヴァーブからA&Mレーベルに移った
ウェスと共に移ったクリードは、この手法を徹底的に推し進める。それが冒頭にあげた『
ロード・ソング』を含むウェス・モンゴメリーのA&M3部作だ。ちなみにA&Mの”A
”は、ハーブ・アルバートの”A”である。アルバム『カリフォルニア・ドリーミング』
でA&Mの創設者の一人であるハーブ・アルバートのティファナ・ブラスのカヴァーを入
れたのは、ヴァーブからA&Mに移ることが決まっていたからかも知れない。少し話しは
横道にそれたが、このA&Mの3部作では『カリフォルニア・ドリーミング』同様にビー
トルズやサイモン&ガーファンクル等の最新ヒット曲、「アラモ」や「シェルブールの雨
傘」などの映画音楽、《ウィーロー・ウィープ・フォー・ミー》や《フライ・ミー・トゥ
・ザ・ムーン》などのポピュラー・ソング、そしてウェス自身のオリジナルで構成される。
ウェスのオリジナルは、おそらくウェスに気をつかってのことだろう。もしかするとウェ
スはポピュラー・ソングのカヴァーに、そんなに乗り気ではなかったのかも知れない。そ
してこれらの様々なタイプの曲にアルバムとしての統一感を持たせるために、クリードは
2つの方法を用いた。一つはヴァーブ時代の試行錯誤の中で恐らくはベストと判断したド
ン・セベスキーのアレンジ、もう一つは、演奏のベースとなるコンボ(素晴らしく趣味の
良いハービー・ハンコックのピアノとグラディ・テイトのドラムス)である。『カリフォ
ルニア・ドリーミング』では通常のジャズのビッグ・バンド的なアレンジの枠を出ること
のなかったドン・セベスキーも、クリードの用意した題材に発奮したに違いない。ウェス
のA&M第1弾としてクリードが用意した曲は、発売されたばかりのビートルズの最新L
Pの中で強烈なオーケストラが印象に残る《ア・デイ・イン・ザ・ライフ》だった。

(次回に続く)