第十交響曲をめぐって

 ベートーヴェンがもし第十交響曲を完成していたらどんな作品になっただろうという疑問は、ファンなら誰しも興味深いことがらのひとつだと思います。ここではこの幻の遺作をめぐってあれこれ論じたいと思います。


第五夜 証言その2

 ふたつめの証言は、ベートーヴェンの友人であり日常の雑用係であったカール・ホルツによるものです。 「第十交響曲は変ホ長調の序奏部、おだやかな楽章、そしてそれに続く力強いハ短調のアレグロからなり、ベートーヴェンはそれらを全く頭のうちに入れていて、私にそれを弾いてくれた」 「どの部分もスケッチはできあがっていたが、彼以外の誰にもそれを判読することはできなかった」  これが本当ならスケッチはどこかに残されていたはず。

第四夜 証言その1

 第十交響曲の計画に関する最初の証言は、ゲルハルト・ブロイニングの「黒スペイン館より」に記載されています。「第十交響曲はそれぞれ関連のない部分的なスケッチが残されているが、スケルツォと題された第一楽章の主題はシントラーが私に唱ってくれた通りであるならば、第五交響曲の第一楽章の主題に似ているらしい」  この譜面はノッテボームの「ベートヴェニアーナ」の中でも紹介されてますが、ピアノで弾いてみると面白いです。タタタターンというリズム音形は確かに「運命」の動機を思わせます。

第三夜 ミステリー

 「死のシンフォニー」(原題「BEETHOVEN CONSPIRACY」トマス・ハウザー著/田中昌太郎訳・創元推理文庫)という小説がありました。著者ハウザーはニューヨーク生まれで、ジャック・レモン主演で映画にもなった「ミッシング」でピュリツァー賞候補にもなった人ですが、この小説のプロットはざっとこんな話です。あるヴィオラ奏者が音楽エージェントと称する男から1万ドルの報酬と引き替えに初見の楽譜を受け取るのですが、同じ頃オーケストラの楽員ばかり連続して殺される事件があり、調べていくとある富豪の音楽狂がベートーヴェンの第十交響曲を発見し自分だけの為に演奏し、葬りさるという計画を実行に移そうとしていたという話でした。なんという大味なプロット。アメリカンそのもの。著者はベートーヴェンに関する資料などほとんど勉強せずにこれを書いたのが見え見えで、読んでいてあくびをかみ殺すのに苦労した作品でした。

第二夜 芝居

 ずばり「ベートーヴェンの第十交響曲」というタイトルの芝居がありました。これはイギリスの俳優ピーター・ユスチノフが書いて自らベートーヴェンを演じた舞台劇ですが、日本でも新橋の博品館劇場で坂上二郎が翻訳版を上演しました。二郎さんがベートーヴェンの役で、彼が思いを寄せる農家の女役を高樹澪が演じました。「アマデウス」が流行った後で二番煎じのそしりはまぬがれませんでしたが、ベートーヴェンの残した第十交響曲のスケッチから「運命」の動機に似たテーマをピアノで演奏した音が使われてました。奥泉光の「吾輩は猫である」殺人事件を読んでいたら、第六章「怪しい船中にての吾輩の冒険」の中で「ベトホベンも是を大いに愛して、交響曲第十番の緩徐楽章の主題に用いている」というくだりが出てきて驚きました。猫がでたらめを言ってるだけなのですが。

第一夜 プロローグ

 数年前、英国の研究家バリー・クーパー教授による第一楽章のスケッチ復元版スコアが完成し、初演と名うって演奏されCDにもなりました。御記憶の方もおられるでしょう。結果は、散々な出来で、キワモノとしての評価以上にはならなかったと思います。同じ復元版の第十交響曲でもクックによるマーラーの遺作とはまったく素性が違う訳で、あちらはまがりなりにもマーラー自身によるスケッチが全楽章にわたって残されていたから、作曲家が意図したことがきちんとイメージできる程度には完成されていましたが、ベートーヴェンの場合は事情が異なります。スケッチといっても正にフラグメントと言うべきものを無理にかき集めてそれを元にクーパー氏が作曲しましたと言うのが正味の中身だったんではないでしょうか。ベートーヴェンの楽想を基にしていながら全体としては冗長きわまりないおよそベートーヴェンらしくない貧弱な構成の音の羅列を聞かされたという印象でした。

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