「1809−ナポレオン暗殺」を読む。


第一章

フランス軍工兵大尉のアントワーヌ・パスキが1809年の春にスペインから呼び戻され、ナポレオン占領下のウィーンで二度に亘る架橋に携わるところから物語は始まる。

「私」と強調したのは、作者が前半250枚を書き終えたところでこれを破棄し、一人称で初めから書き直しているからである。このこと自体興味深いことであり、主人公が主題であるナポレオン暗殺に加担していくことになる後半にその理由があるに違いないのだが、私ごときにはその必然性はわからない。

さて、主人公パスキ大尉が架橋の為にやってきたのは、作者が「正確には」と断っているところによれば「ウィーン市街から数キロ離れたエーベスドルフ」である。「ドナウ川の支流を隔ててローバウの中州があり、更に細い流れを挟んで、我々はオーストリア軍と対峙していた」とある。エスリングとアスペリングの両村そしてローバウ島の位置関係を見ていただきたい。このあたりの描写は実に正確である。臨場感を読者に与えることに成功している。私はコッポラの「地獄の黙示録」の戦場の描写を思い出した。






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