このページの主旨


ここに置かれることになるのは、1976年以降「私」が書き連ねてきた、様々な結果です。

18歳から働いた国鉄の現場での、労使間の諸闘争、友人との会話、また「自分たち」を対象にしたマスコミの言説、そうした日常をめぐって考えさせられたことというのは、結局のところ、現在の「私」たちがどのような「主体の様式」で作動しているか、ということの解明であり、それは言い換えれば、「権力」という効果がいかにして成立しているのか、という問題について考えることに他なりませんでした。考えさせられる発端となった当時の国鉄という、男ばかりの職場が持つ濃密な意志による相互関係は、思考の徹底を強制し、加速した、と言ってみることもできます。しかし、いずれにせよそれら過去の生産物を陳列するためにこのページを設けたのではありません。

今の世の中でわたしたちが期待できる伝達形式は、伝言を瓶に詰めて海に投げるというアドルノのモデルか、ひとりが矢を放ち、別の人がそれを拾うというニーチェのモデルでしょうね、というドゥルーズの言い方にならえば、このささやかなページをインターネット上に置くということも、まだ見ることのない繋がりに向かい何事かを始めたということであり、この設置形式がもらたす、「行く先も結果も見込まない」、という決意が、これからここに置かれることになる諸文章の力動と射程をより遠くまで伸ばしてくれると信じます。

読まれることを望む限りでの「書く」という行為は一つの機械の中での出来事なのであり、書けと言ってくれる人、発表する媒体の存在、物理的な時間の確保等、諸々の条件の充足において初めて、そのような書くこと、言い換えれば諸概念の精緻化平面上での徹底が、ようやく現実の出来事となります。日常においてそれらの装置からは縁遠い者にとって、このようなインターネット上のページを自身で開設するということにより、そのような書くための装置内に自らを組み込み、そこでの作動を強制する自律性にしたいと考えています。

様々な縁によりこのページを訪れてくださった方々が、ここに書かれた事柄にさらにそれぞれの場所からの徹底した思考の結果をもって批評して下さるなら、それは「私」の深い喜びです。

2002年1月


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