国労八王子支部機関誌 暁雲27号 1984年1月 
 

呻吟する「言葉」を超えて  =特に処分について=

                        
 支部大会というのはいつも、こんなに静かだったろうか。そんなふうに思った。
 動員に積極的でない、分会役員のなり手さえ少ない、職場集会で丁々発止やりあうことが少なくなった。そんな情勢の中で、まずだいいいち、専制的支配に負けてはならない、今こそ頑張りどころだと思い、皆にもそう言っている自分自身が、具体的なことになると何か全力をそそぎこめないのは、いったいどういうことなのだろうか、そんなことを考えながら、下関の全国大会を傍聴にいき、また、支部大会にも臨んだ。 情勢認識の内容やそれが導く行動指針の当否ではなく、「情勢認識」を導く理念的わくぐみ自体が、すでにどこかで無力化されてしまっているように思えてならない。
 決めたことが実行されない、その責任追及、あるいは上部機関の強い指導力を望む声が全国大会の時と同じく出された。もし決めたことを、たとえば自分のところはまだ労使関係マアマアだから「実行しない」方が得だと考えてのことなら、それは徹底的に批判されねばならない。しかし、「実行しよう」としてもなぜか体の方が動かないのだとすれば、それは支部や本部の指導を求めるのではなく、なぜ自分が実行できないのか深く考えていくことが一番重要なように思える。というのは、たぶん、私たちは、心の底から納得したことなら、それこそ、たとえ火の中、水の中もいとわないし、当局の処分攻撃にもひるまないはずで、納得しきれないので体も動かないのだと思うからだ。
 もちろん宗派ではないので、あらかじめ提出された教義を疑問をねじふせて信ずるということはできず、むしろ、考える中で、教義ならぬ方針も、より本質的な理解によるものへと変わっていくはずだ。
 ポーランドの労働者たちがたちあがった時やはり彼らにも今の私たちに対すると同様、当局側から、そんなことすると自分たちのためにならないぞというおどかしがあったと思う。しかし彼らはそれをのりこえてしまった。彼らの組合「連帯」が革命的か、反革命的かの論争には全く興味がないが、なぜ彼らにそれができたかには大いに興味がある。
 結局彼らは世の中のしくみというものは、変りうる、変えうるということ、即ち、どんながっちりした支配の体制より先験的に、すでに、自分のこの体というものは存在しているのだというようなことを、身にしみて理解していたために「処分」などという言葉が無意味になってしまったのだと思う。
 私たちに必要なことはなんだろう。非常に局限された現場の労使関係内で処分か否かというゲームの規則の内で苦しむのではなく、処分か従属かという二者択一論理を超えたひろい原っぱへ論理を展開していくことが必要ではないか。闘っているのはあなたの分会だけですよという、当局の、昔の「癒着」労使関係を逆手にとったなかなかたくみなささやき戦術のことも報告されたが、どうせ他を気にするのなら、国鉄だけでなく、日本の他の労働現場、他の国々、戦前の日本とかまで視野を広げて今の私たちの迎えていることの意味を考えてみたらどうだろう。
 当局の「これは局の指示ですから」とか「そうしなければ自分が処分されますから」という行動原理の無責任さは、おどろくべきことに、あの戦争を招いた庶民の論理となんら変わることがない。−−もう四十年近くもたつというのに!−−そして、たかが○○くらいで処分されちゃかなわない、という「理屈」で無原則な支配への服従を合理化していく思想も全く同様だ。たぶん今も日本中に充満しているそれらの思想に反対し続けること、たとえばワッペンをめぐる攻防は、だから、自己責任を確立する本質的な反戦闘争そのものではないだろうか。また、ヨーロッパにおける公共交通体系のまじめな論議を知るにつけ(フランス社会党「社会主義プロジェクト」合同出版、など読んで下さい)赤字、黒字というしょせん数字合わせで人間の生活を破壊してしまい、しかもそれに疑いをはさむ声が表面に出ない私たちの世の中を放っておいたらいったいどうなってしまうのか、と思えてくる。
 そう思ったとき、少なくとも私には当局のいう処分や賃金上の不利といったものをこえてでも歴史の中で、私たちには守らなければならない、確立しなければならないものがある、ということが実感できたように思う。なにかその覚悟性のようなものは、やはり、現在の組合の言葉の水準とは少しずれていて、そこが、私がいまいち運動に全力を出しきれない苛立ちにつながっている。もっと一般的にいえば、たとえば「当局のいいなりになれば金をやるが、ならなければ金を出さない、金がなければ生活できないだろう」というような、支配者、当局のいう言葉−−それらはすべて神話にすぎない−−を、冷静に考えぬくことによって無意味化することが闘いの根幹なのだ。

 大会を通してまじめな論議がなされたと思う。しかし、氷山のように、言葉としてあらわれない、呻吟する部分にこそ、その運動を決するものが含まれている。直接組合運動の行動力にはなりえないかもしれないが、私には、いま露骨な形でみえてきた私たち日本社会のもつ負の遺伝子のようなものと格闘し、自己責任と、支配者がいなくても存在する、主体性としての「我我」とを確立することが一番大きい財産になると思える。

1984年1月1日

 

国鉄闘争の目次に戻る