「国鉄詩人」155号 1985年1月
すでにOBが多くなっていた国鉄詩人連盟の「国鉄詩人」編集部から国鉄現場での現状を書くように依頼された原稿。今、国鉄は」の副題で掲載。
 
        

課題の変容

 
 A どうだい、元気かい。
 B なんとか生きてるよ。
 A 局*1から査察に入ったって。
 B ああ、例のブルートレインの飲酒事故*2以来、酒を飲んでるんじゃないか、とか、勤務が乱れてるとかいいがかりつけてね、毎週末に局の連中がやって来てるよ。あといままで電話点呼だったところを、10分近くも歩いて車掌区の助役と対面点呼するとかね。もっとも彼らじゃ何も列車運転のことわからんから、本当の点呼はいままで通り本区へ連絡するんだ。
 A じゃ、まるで面をつきあわせるだけだね。
 B ほんと、酒でも飲んだ顔色してねえかっていう、全く人をバカにした話さ。どんなバカげたことでも言われればやってしまう、みじめな官僚性のうらぶれた姿だよ。全く俺たちにとっては屈辱以外の何物でもないよ。
 A あの脱線事故だけど、機関士が動労所属だったということで、かなり動労もピリピリしてたらしいね。
 B うん、組合新聞なんかに、今まで動労が進めてきた運動がパーになってしまったとか、劣悪な労働条件だから酒飲まなきや寝られないなんていう甘えは通らない、そういう人は職種転換するのが身を守るためだって書いてたよ。
 A なんとなくそこまで俺なんか割り切れないけどね。
 B まあ、「階級的警戒心」とか、「労働者のモラル」っていうことになるんだろうが、俺はそういう言い方本当は好きじゃないんだ、まあ、分会役員として、自分でも他の人に向って同じことを言ったりもするけどね。何か本質的なところで問題をはしょってる気がしてね。
 A 例の首切り3項目*3はどうなの。
 B いやそれがな、56才以上の退職前提休職は国労も妥結したし全国でも対象者の半数が応じたっていうことでうちの区でも大半がもう年度末まで、休職中なんだ。問題なのは、若年退職、一時帰休、出向の方だよ。一人、一時帰休が出ちゃって。
A だって組合としては、あれは国労が団交を一方的に打ち切られてさ、当局は、他労組と妥結してから、労働協約じゃなくて通達の形で出してきたけど、就業規則の変更なのに労基著に届けてないし、過半数の組合の意見も聞いてないから、労基法八九条、九十条違反だ、もちろん絶対国労からは応募しない、っていうのが方針だったろ。
B うん、だからうちでも当局が例によって「局の方針ですから」って掲示出してから、違法文書‥撤去しろって抗議したさ、もちろん、区長は、法律論争しません、「局の指示でやってます」って胸はってたけどね、全く、ああいうあっけらかんとした姿をみると、日本の「戦後」民主主義なんてのは、どこの話かと思うよ、無責任だけは一人前で、戦前と変わらん。
 まあ、とにかくその応募した人は、59・2*4の基地廃止で転勤してきた50人ほどのー人なんだ。結局、二、三時間の通勤に耐えられない、もうやめたいというんだよ、いろいろ何とかあと一年がんばってみたら、なんて説得したけどだめだった。もう当局へも、組合へも、信頼を持てない、仕事自体に熱も人らなくなってしまったっていうことなんだ。
 これで、転勤させられてきた人が九ケ月で五人、一割が退職してしまったことになるんだよ。
 A 全くひでえ話だよなあ。基地廃止のいきさつ、赤字論のからくり、その他諸々考えあわせればあわせるほど、不条理だね、一人の人生が巨大な歯車に絞め殺されてくみたいな。
 B 「合理化」というのは、もちろん、人を減らすけど、結局人間の関係を破壊するものなんだね。お互いが自分白身のことしか考えられない、歯車のひとつにまで自分を卑めなくてはならないようにさ。経済効率上げるためのQC活動とか、お客様にスマイルスマイルなんて練習してるデパートの姿なんていうのは、人と人の距離を隔てる努力を一所悲命競いあってるとしか思えないよ、最後には自分で自分を他人にする練習みたいだ。
 今、国鉄をやめて別の仕事を始めた人が将来成功したとしても、空しいような気がするな。だって今言われる「成功」っていうのは、金をもうけたかどうかの別名みたいなもんだし、本当は俺たちを隔てるもので、それなのに、「よかったよかった」となるのは、せつないよ。たとえ別れ別れになってもそれぞれの場所でもっとやすらげるような関係を生み出そうと考えていくことだけが、俺たちを近づけててくれるような気がする。
 A なんとなく、しみじみとした話になっちまったな。
 B 個人的な解決というのはだめなんだ、常に「我々」として考えなければ。もっともそれがむずかしいんだよ。確信できる「我々」を発見することが既に窮極的な課題なんだから。
 A 与えられた多様な条件の中で何を選択するかの自由、それが「個人」の自由として強制されていて、その選択を行なうときにはとりあえず、「自己」が実現される「誘惑」に満ちてるからね。
 B 与えられた条件の中で多様性に淫することが「自由」と惑じられるような「自己」しか存在してないんだ。 そういう 「自己」から出発する闘争はみんな今無力化されてるよ。だっで、すべて本人がいいというのなら、そこには問題は存在しないという結論になってしまうからね。どんな「圧政」でも、被支配の本人が、しかたない、そこそこの生活なんだから、って思ってるところに重ねて、君は怒らねばならぬ、なんて説教しても全く無意味だというのは、このことを意味してるわけだ。少なくともそういう、「満足」したり「不満足」したりするものとしての「個人」、「自己」を対象として呼びかける限り、現状肯定の消極性しか返ってこないはずで、もう問題設定自体がまちがってるんだ。むしろ、そういう「個人」「自己」、すなわち、「私」という檻を無化して「世界」の中に直接ことばが登場しなければならないんだ。もっとはっきり言っちゃえば、現在、日本語で「自己」「私」と呼ばれるもの自体、「個人」概念自体が、被支配の産物であって、そういうものを闘いの原基にしようとしても、最初から無意味なんだ。だから、その本人が満足してようがしてまいが関係なく、そこにある構造がもつ問題点を指摘し、それを解体してしまう、すなわちそれが同時に、「自己意識」の解体であるような批評的な文体が必要なんだ。政治だろうが文学だろうが。
 A 言いたいことはいずれもっときっちり展開、実行してもらうとして、もっと職場のふんいきでも紹介してくれよ、心配してくれてるOBも多いんだ。
 B しやべりだしたら、ここーケ月だけのことを話すのにも、十年はかかるよ。 (笑)
 A せめて五分にまとめてくれ。
 B まず、当局側、すなわち管理する思想が全くむき出しになってきたということだ。今まで、一定程度現場管理者というのが緩衝材になっていたのが一挙に吹きっさらしになってしまった。もちろんこれは、一人の「個人」としての現場管理者の責任ではなくて官僚性の機構全体の勤きの結果だけどね。だから管理者自体もほとんど裁量の余地がないくらいしめつけられてるみたいだ。かくして、全体がひとつの機械のようになって作動することを期待されるわけだけど、もっとも上手で高度な管理は、管理されてることを感じさせない管理、「自主的」な被管理だという点からみれば、いかにもこのやり方は古風だし、一分出場遅延で電車を遅らせて乗務停止なんていう重箱の隅つつくようなことに夢中にさせられたら、だれだって白けてくるし、全体的に無責任さというのがかえって増大するんじやないかと思うよ。「恐れ」による思想改造というものをねらってるのかしらんが。
 でもこういったことによって、強力な上位の権力に対して下々の我々が労使一体でうまくやっていこうみたいな、日本的な感性がふきとばされつつあるのは、けっこうなことだ。
 「自己意識」の解体であるような批評的な文体が必要なんだ。
 支配というものの姿がこれほど露骨に見える場所というのも今時めずらしいよ。
 A 皆の意識はどうなの。
 B いや、さっきも言った通り、誰がどう思っているかなんていう問題設定したら、もうそこで終りだよ。出口なしだ。お前や俺自身がどう思っているかを考えるんではなく、「どう思うか」は直接的な、ライブの問題なんだ。そういう意味では、意識は常に可能性に向って開いているよ。
 A 59−2以降遠距離通勤者がずいぶん増えたらしいね。
 B 各地で検修基地や乗務員基地が統廃合されたから、うちの区だけじゃなくて全国的なはずだよ。前から国鉄っていうところは、常識外の超遠距離通勤があったけど、今回のは集団的に強制されたんだからね。二、三時間は普通、うちで一番遠い人は、200kmを通勤してるよ。週に二、三回ね。他の日は東京の親類宅に泊るしかないから。
 A「合理化」だって急ピッチたしな。
 B まあ「合理化」というか何というのか。とにかく、国鉄職員という名のつく者をへらせばいいってことなんだ。駅の営業体制の「近代化」でも職員が「余っている」にもかかわらず、民間委託して二重支出したり、混乱してるとしか思えないよ。人をへらして、夜間は集札もしない駅では、集札箱の中に清算金なんか入っていたためしがない、ただ乗りのしほうだいらしいよ。なんてったって赤字の力は岩をも通す、こんな不条理くらい、何てことないというわけだ。
 A 公共的な交通体系の問題について何も論議されないまま、どんどん地方線が廃止されたりして、しかも第三セクター化されたほうがうまくいくみたいなことを宣伝するっていうのは問題じゃないの。線路もタダ、その上一キロあたり何千万かの交付金うけて、運賃をうんと上げて運営してる「第三セクター」の姿が、「正常」なのかね。
 B 国鉄のことを「一般の人」はちっとも知らないなんて、よく仲間内で言いあうけど、それは別に驚くに値しないよ。俺たちだって車の品定めを熱心にやったって、その車がどういう人の手によってどういう体制のもとに作られ、どういう問題を持っているのか、なんて、興味さえ待たないんだから。消費者、利用者という存在と、生産者に回った時の存在と、トータルでひとつの主体性に結合できないというのは、解決すべき重大な政治課題じゃないかと思うね。
 自らを、すこしでも安けりやいい消費者、または、売れなきや生きられない生産者、として了解している限り、国鉄問題なんか一般的なものに、なりようがないんじゃないか。値段、に従属した見方しかできない意識が、交通も含めた、人間活動を評価できるわけがない。
 A かなり、悲観的だね。
 B 問題を本質的に見たいだけなんだ。この間、国鉄をめぐる様々な事柄を考えてきたけど、労−使という問題、交通政策の問題、すべて、単独でどうにかなる問題じゃない、それこそ、単なる政権交代でない、政泊的な改革、社会イメ−ジの転換を必要とするものとしか思えないんだ。労働組合としてやるべきこととしていままで考えられていたことを、どんどんはみ出して発想していかざるを得ないと思うよ。
 A 何か、とてつもなく大きい問題が、国鉄闘争、の中には含まれているように思うね。今までのいわゆる「革新」的運動みたいなものの総決算、到達点と限界がすべて入っていて。
 B 怒りというものをうまく論理化できないんだよ。いままでの論理に乗ると。みな、しかたない、におちついてしまう。民間会社の組合なんかみんなそうだろ。会社赤字じやしょうがない、資源小国日本じやしょうがない、おまえひとりが文句言っても皆が中流意識なんだからしょうがない。その「しょうがない」の束が、少なくとも日本における、「私」、「自己」、なんだ。一度、その「私」とかかわりだすと、もう何を言っても、どんな批判をしても、すべて、「私」というフィルターにブラックホールみたいにすいこまれちゃって現状肯定の殼の内部と外部に固定されてしまう。
 だから「私」になる前の直接的な怒りみたいなものの中にこそ、発展可能性があるんだ。そこを、論理で切り開いていくことによって従来の「私」、「自己」でない、「我々」という主体性が生成できる可能性があるんだ。
 俺たちが闘争課題として考えている内容だって変容せざるを得ないと思う。たとえば雇用を守るという要求も、自分たちが、国鉄で働かなければ生きていけないという素朴なところから、なにも国鉄でなくていいはずだ、こんな暗い職場よりもっと別の、通勤時間も短い職場をさがせばいい、というふうに移り変っていく「自己意識」によって無力化されちゃうんじやないかな。だけど、やっぱりそれじゃ納得できない、っていうのをつきつめてくことによってさ、要求も単に「雇用守れ」っていうことから、なぜ我々が一方的に職場を這われなければならないのか、なぜ、交通体系の在り方を無責任なある者たちだけが決定できるのか、というような疑問を経て、我々自身がそういうことを決定すべきだという要求、宣言へと変貌するはずだと思うよ。この「我々」っていうのは、社会全体の様々な決定すべてに対して、平等で、自然条件その他に無理のない、平和的な決定をしていこうという主体性に対する名前なんだ。
 A たしかに、そういう要求は、もう全く、社会体制としての、法律にも定められたものとしての、労働組合の圏、を超えてるよね。そういう法律自体を問題にしちゃってるわけだから。
 B だから、現実の労働組合の活動としちゃどういう形になるかわかんないんだけど、少なくとも思想性としちゃそれしか勝つ道はないよ。たとえ、国鉄がつぶされようが、どんなむちゃくちゃやられようが、そのことと最終的な勝利とはとりあえず別問題だよ。国鉄首になってもそのことだけで、死んでしまう人はいない、必ず復讐できるさ。
A 結局、とうとう、国鉄の現実的実態のスタンダードな報告にはならんかったけど、こういうような抽象的なことまで考えなきゃならんほどきついんだ、しかもそのきつさは、今の世の中に普遍的なもので、偶然、国鉄に集中的に負荷されてるにすぎないってことがわかってもらえばいいと思う。

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*1 局:鉄道管理局。国鉄は全国をいくつかの管理局に分けて現業機関を管理していた。当時東京の場合、東京北、東京南、東京西の3局が個別の電車区、駅などを管理していた。

*2 1984年10月19日山陽線西明石駅で発生。飲酒していた機関士が運転する寝台特急「富士」がポイント通過時に脱線。
*3 首切り3項目:国鉄当局がもちだしたリストラ策。「余剰人員対策」と称していた。当時国労内では通称「首切り3項目」と呼ばれることが多かった。@55歳以上者の退職への誘導A退職前提・復職前提休職制度B派遣制度拡充、といった内容。
*4  59-2:「ごーきゅうに」 昭和59年(1984年)2月ダイヤ改正のこと。貨物列車の運行体系を従来の操車場で列車編成を組み替える方法から、コンテナ、専用列車のみの発着駅直行体制に変更し、貨物関係では多くの職場の統廃合が行なわれた。