季報唯物論研究 42号 1992.6.1 所収
「日本の<保守>を哲学する」 大阪哲学学校編著 三一書房 1994刊 所収
執筆1989年12月
 

「雇用」という言説をめぐって

‐−国鉄分割民営化反対闘争から−−

 
 「闘い」といわれる時、「敵」というのはいったい何なのだろうか。現在それが自明に思われている所では、むしろ「闘い」は退廃の別名にすぎなくなっているのではないか。
 旧来の対立の構成が希薄化しているという感受が新たな「真の」対立点を見いだせぬまま、旧型の縮小再生産か現状肯定しか道がないというような、衰弱感に連なっていないだろうか。
 私たちは具体的に何と闘っているのか。国鉄の分割・民営に至る過程を経てきた今、私にもようやくくっきりとその姿が見えてきたように思える。それは、人を支配しようという自己意識の形態そのものを、自壊、無効化させる方向性こそが我々の闘いであった、ということだ。対峙する二項のうちこちら側に「私」の身体があり、向こう側に、闘いの対象としての「相手」の体がある、という構成感はもはや失われていた。そこには、生きようとすること自体が、抵触してくるものとあらゆる領域、形態で格闘するその行程、ひとつの体感体勢だけがあった。
 なぜ「あのこと」に納得がいかないのか、なぜ「このこと」に怒りがおさえられないのか、それらについて考えぬく思考の膂力によってこそ、我々は自らにささえられたのだ。すなわち、自立したのだ。そのことによってこそ我々は、孤独地獄から現状肯定そして為されるがままに身をまかせる、という典型的な閉塞コースから逃れることができたのだ。
 一九八七年四月に行われた国鉄分割民営化の核心をつかむには、その資産処分や、公共交通体系としての問題ももちろん重要なこととしてあるが、国鉄職員であった私にとっては、職場内の関係として集約的に現れた様々な力の相互作用の展開について考えることが、もっとも本質的であるように思える。
 そこには、権力の諸相、戦略、抵抗と敗北のパターン、それらを超える道の入口などあらゆるものがあったように思える。
 ここでは、「全員を解雇し、新会社としてその内の一部の人間を採用する」そして「だれを採用するかは我々が決める」「さあ、おまえはどう行動するのか?」という構造の権力作用にさらされた中でどのような保守的な我々の姿か浮び上がってきたか、どのような思考と行動が可能であったか、また、こうした空間をどのような経路が無効化できるのか、について考えたい。
 
「雇用」という神話
 
 「企業」とは、決して「経済効率」という単独の原理に従属する機械ではなく、ひとつの意志の貫徹、ひとつの支配、ひとつの世界認識確立への意志、それらの戦略総体を指すことばだと思えてくる。彼らが語るように、「分割・民営化」は確かに「意識変革」をめざす戦略体系であった。それらについては詳細に時空系列に展開したゲームの見取図さえ作成可能だろう。
 労働組合を消滅させることではなく、「分割・民営」反対の組合から、賛成の組合へ労働者を移すことに直接的な目標を彼らがおいていたのは、当然の行動であった。「組合」と「経営者」という二項の相互作用があってこそ、安定的で、柔軟で、深く「自己意識」に根ざした「支配」が構築されるからである。そこには、自らを一般的な意志であると確信している「支配者」と、自らを「支配者」に抗し「大衆」を指導する意志であると確信している「組合指導部」がいた。
 マスコミとは、規格化された複数の立場と意見による対立構成を作り上げ、それらが織り成す動態や情動こそ、この世界そのものであると主張し続けるイデオロギー装置のことである。それは規格化によって新たな立場や意見を組込み、再びこれが世界だと主張し始める。だからマスコミヘの批判は、そこにもう一つ新たな(真正の)立場や意見を加えよという要求ではなく、そこに登場している様々な立場や意見の規格化のされ方、それらの意味の形成構造自体、を解体してしまうテキスト批評、あるいは、直接その言説に質問したり対話を求めてしまうという態度そのもの、こそが有効となる。
 その様な状況の中で、支配のための言説のキーワードは「雇用」であった。支配というのは、論理の脆弱に依拠したあいまいさを含んで、彼支配者に自己規定像を作らせることで初めて成立する。その原理にもちろん「雇用」もあてはまっている。
 分割・民営計画では、国鉄職員の三、四人に一人が国鉄を追われることになっていた。すべてはこの枠組みから発してくる。雇用確保というとき、多くの国鉄職員にとってそれは鉄道で働き続けることを意味する。それは、今の仕事への愛着や、現状の維持という意味で、自らへの変化の強制を最小限に防ぎたいという意志の表現である。しかし奇妙なことに「雇用確保」というスローガンはその内容が、鉄道の仕事の確保ということなのか、とにかく就職できることが「雇用確保」ということなのか、常にあいまいにされたまま、それなのにそのスローガンを受けとめる者には鉄道での仕事を確保すると受けとられるように作られていた。採用要員枠を広げ、選別雇用をさせす、希望者全員をとりあえず新会社に採用するという要求を出すのでなければ、「雇用確保」といってもそれは選別されることを前提としたものにすぎず、労働組合としては、きわめて重大な問題のはすなのに、分割民営賛成の組合はむしろ積極的に選別を主張した。マスコミも「雇用確保」を、あいまいなまま、だからこそことさら声高に使い続けることで選別を前提とした判断空間を作り上げる要素として機能した。
  いったいどんな仕事なのか、その内実が問われぬまま、「雇用」はもっとも重要でしかし無内容な、それ故、価値に結びついたキー概念として一人歩きしていく。当局からしかけられた激変から現状の自身を守りたいという不安が、仕事としての内容を脱色して、「雇用」という価値に結晶していったのである。
「仕事」というのは、具体的な作業内容をもち、具体的な土地や人間とのつながりの中で構築される。だから、生れ育った土地や友人との関係、自分の能力の開発の履歴と展開、また、現にやっている仕事が自然の一部としてはどういう意味をもつのか、社会的にはどういう影響を与えているのか、等々について、常にどんな仕事をしている者でも、自身の「仕事」を入口として、考え歩み出すことができる。
 しかし、「雇用」は雇用する者とされる者という、当事者間の関係性内に循環せざるを得ない。「雇用」は「人が人にやとわれること」という以上の意味はもてない。それが「生きられる」と「生きられない」という価値判断に結合させられていればいるほど、「雇用」は抽象的な「自己意識」のドラマとして展開していく(そしてこの「自己意識」こそ我々が開うべきもっとも包括的な「敵」の「姿」なのである)。
 現実には、「仕事」と「雇用」は分割して考えられることなくあいまいな結合のまま流通している。その形態において価値は「雇用」の方に結びついている。だからほんとうは、様々な企業で「下からの」品質管理運動などが活発に行われていても、人々は自分自身の仕事について、社会的な意味など実感してはいない。いいかえれば他者をくりこんだ自己責任としては、その喜びとしては、仕事など考えることができない。重要なのは「雇用」であり、その系であるところの「会社の業績」であり、「収入」である。この過程はちょうど、企業経営者にとって重要なのは「事業内容」でなく「業績の拡大」であり、彼らからは、労働者はあくまで「人間的管理」の対象物としてしか成立しないのと対称的になっている。
 「雇用」という概念を含む人間了解の空間は、人が人と自らの腕でつながることから遠ざけ、その空間に生きる限り、我々は賃金を得られるか得られないかだけに限定される存在へと自らを追いこんでいく。
 あいまいに結託している「仕事」と「雇用」を切断すること。「仕事」は確かに「社会を支えている」かもしれないが、「雇用」なしでも「仕事」は可能なのだ。とすれば「雇用」されない「仕事」のあり方で別の社会を構成することも可能なのである。「雇用」という人の組織形態をとらずに人は共同の力を発揮することも可能なのである。「雇用確保」というスローガンはこういう点からも徹底的に「保守」的なものである。
 この「雇用」という関係をめぐる態度としては、「雇用確保」というスローガンと、「全員の雇用確保」というスローガンの間の差異こそが、決定的な対立を成立させる線分そのものであった。「全員の……」と言った時、我々は、全員でなくさせるものと闘わざるを得ない。我々は、「全員の雇用」というスローガンをかかげる限り、むしろ個別的事態としての「雇用」ではなく、我々を標的にして組成される、「政府や当局の施策」、という名の支配の分節そのものと、そういう、我々を操作対象として位置づける思想そのものと、闘わざるを得ない。それは、「我々」によって担われる「運動」とならざるを得ない。
 一方、全員のという意味を含まず「雇用確保」といった時、「だれの」雇用を守るのか? という問は、任意の線分でかこまれた「身内」を指向することしかできない。それは「身内」でない「ヤツラ」を外に創出し続けてしか存続できない構造となっている。「雇用」が経営者と労働者との間で一対一対で結ばれる現象とされる以上、「契約」が「当事者」間で行われるものである以上、そのような近代的個人・人間概念が支配する空間内の系として「雇用概念」がある以上、「雇用確保」というスローガンは常に、「だれの」という問に対し、究極的には、「独立した個人」を単位とする空間内で、「私」の、という「自己意識」にのみ収斂するしかないからである。その「私」は、「私」を「雇用する」経営者という存在を前提とし、それを前提として成立している「私」を疑わないという意味で、現状を再生産する保守的意識である。さらにそうした構造自体を問題にすることなく、むしろ「現状を再生産する意識」=「自己意識」をきわだたせ強調するものとして「雇用確保」というスローガンは保守反動的なのである。
 「我々は今の仕事を続けたい。それがだめならどんな仕事でも現在の賃金が保証されればいい。我々は生きるためには雇用されねばならぬのだ。雇用を失うことはあてのない未来の不安感に家族もろともなげこまれることなのだ。いかにして私の雇用を守るのか、私はどう行動すべきなのか。」
 仕事の内容とか、労働条件でなく、ただ抽象的な「雇用」ということばのみが重く重く核と化していくこの間の遷移は、自閉し一人一人の人間が孤立していく行程でもあった。こうした個人の「核」となってしまった概念、価値を疑いだすのはむずかしいことで、自閉するこの「自己意識」を常に変容させに訪れる内外の現実だけがそれを可能にさせる。
 かつて一人で夜ずっと考えこんでいたことがあったように思う。まだ分割民営の声もなく、ただくり返す日々が、心のなかで蠢く衝迫のようなものにとっては疎ましい桎梏としか感じられず、とにかく何かから脱け出したかった、そんな「若」かった頃だ。国鉄を退職したとしたら、どうやって生きていけるだろうか。とぼしい貯金、家賃。どんな仕事をしたいのだという目標もなく、退職だけしたいという気持ちというのは、自分が社会的に抹殺されていく道行の入口に立ったように心細く暗い分岐感であった。集中して現われるのはここでも、どうやって「食う」かどうやって収入を得るかということだった。
 収入を得るということと、自分が手ごたえのある生き方をするということとは多くの場合対立すらするように思えていた。結局その時私は退職しなかったが、今にして思えば、そういう機会の訪れというのは、人が思索を進めていく上での壁を自壊させるべく、「現実」が必然的に送ってくれるもののように感じる。実際に退職するかしないかでなく、その訪れをどのように消化したかだけが、意味のある違いとなる。
 私は次のように考えたと思う。
 今決断しようとしている自分の将来への息苦しい不安感にもかかわらず、会社を退職したということのみをもって、死んでしまったという人はいないのではないか。もうだめだという思い入れにもかかわらず、どんな場合でも人間はそこでなんらかの方法で、たとえかっぱらいをしてでも生きていってしまうのではないか。病気で動けなくなったとしても、たとえ廃墟に一人残されたとしても、人はその現実を生きていくだろう。奇妙なことに、私が気にしている「収入」によってではなく、生物としての生死は米を食べるか食べないかということにのみ最終的に従属しているのではないか。
 とすれば、私が「収入」がとだえることに対して感じる「生・死」の分岐感というのはいったい何の「生・死」なのだろうか。「収入」・「賃金」・「お金」と「米を食うこと」のレベルの間には明確な断絶があるはずだ。それなのに、それらが直接的に連動して語られているのは全く不思議なことではないのか。人の思い込みや不安というのはひょっとしたらあてにならないものなのかもしれない。そういう、人の思い込みや不安はその時代の歴史的に形成されてきた層にすぎないのかもしれない。
 未来というものを、もし保証されたものとして考えられなけれは不安だというのなら、たとえ安定した職についていても、明日何か起るかわからないという意味では不安でなければならないのに、就職しているということはなぜその不安をほとんど感じさせず、退職するということが不安をかきたてるのだろうか。安定的に賃金を支給するという約束が安定的な生活に連結して考えられているというのはひょっとしたらきわめて特殊な状況なのかもしれない、いったいこれはなぜなのだろう。
 社会が人間の類としての共同性の確信である、として、では、今あてもなく会社をやめようとしている私の心のふるえは、その類としての共同の力から自身が追放されるおののきなのであろうか。いやそんなばかなことはあり得ない。「会社」とか「仕事」とかを超えたもっと広大なところで、類であることの確証たる社会というのはあるはずではないか。病人も身体障害者も生れたばかりの赤ん坊も皆含んでそこに、今ただここにすでに現存しているのが社会であって、そこから追放されたり、そこに加わったりは、原理的にできないものではないのか。この社会と、我々がそこから抜け出ることに「生・死」の不安をすら感じるひとつの構築物とは全く別なものではないか。後者をなんらかの「制度」と呼べば、その「制度」は作りあげられたものであり、それに関わって我々が感じる不安や安定感もその「制度」の内部のものとして、「制度」と同様、解体され得るものではないのか。
 その「制度」とは「会社」とか「労働者」とか「給料」とか「生きるため」とか様々な概念で構築された体系で、それが我々に重苦しい力を加え続けているのだ。「収入」を得るということでしか、「生きること」につながらないコードの束が、発想や身体の動きの可能性さえも萎縮させている。しかし「我々」は常にそうした「制度(コード)」よりはるかに広大な存在であることを運命づけられているのではないか……。
 結局、不安自体は解消されることはなかったように思う。しかし、そういう不安というものが解体可能な根拠に基づいているという確信的了解は確実に我々を変える、ということは言えたと思う。
 その何年後か、国鉄分割民営化のすさまじい労働者への分断攻撃の中で私がほとんど必然のように感じながら国労の分会長を引き受けたのは、こうしたことによっていたかもしれない。
 
2 攻撃の文体
 
 では具体的な国鉄分割民営化の過程における「雇用」をめぐる言説はどんなものであり、どうそれを解体できるだろうか。
 一九八六年一〇月一〇日の国労臨時大会で執行部案か否決され分割民営反対が堅持された時、新聞は次のように書いていた(傍点引用者)。
 
@ しかし、昨年十一月末に、国鉄当局から指名解雇に歯止めをかける「雇用安定協約」の再締結 を拒まれたことや当局から求められたスト自粛を含む「労使共同宣言」の締結を拒否したことから雇用不安が広がり、ここ数カ月は一か月に一万人以上の脱退者が続出していた。
86・10・11 読売新聞
A ……一方、「大胆な妥協」を支持していた主流派グループは……「執行部提案を同じ社会党党 員協議会の一員でありながら、革同(共産党系)と手を結んで裏切った特定イデオロギー集団(協会系)の暴挙を許すことはできない」とする声明を発表。今後、社会党と総評の指導を受けながら、国労の組織内で、雇用の確保と選別排除に力を注ぐ方針を明らかにした。
86・10・11 読売新聞
B 自民党、国鉄当局、他組合からの攻撃がこれまで以上に強まるのは必至。それだけに、いかに 雇用と組織を守っていくのか、新執行部のカジ取りが注目される。
86・10・11 朝日新聞
 
 これらの記事の中の「社会党」とか「共産党」とか「主流派」などという項目はこの筆者たちには有意味な弁別構成感をもたらしているのだろうが、我々には何の意味も構成することができず、単色である。
 読売の記事@にいう「雇用安定協約」というのも、実は、「国鉄における合理化にあたっては免職、降職はしない」という、合理化を組合が認めるための条件協定であって、分割民営時の新会社への採用が焦点になっているこの場合の「雇用」とは論理的には無関係なのであるが、なまじ「雇用」というキーワードが入ってしまっていたばかりに、(その上、なんといっても雇用を「安定」させてしまうのだから!)道具として十分活用されたもののひとつである。
 しかし、この読売@は、この雇用概念の素顔を実に的確に示してもいる。「国鉄当局から××を拒まれた」「当局から求められた××を拒否した」ことから「雇用不安が広がった」と述べている。雇用という語に内容が与えられている。すなわち、「雇用」とは「当局」に拒まれたり、「当局」を拒んだりすること、言い換えれば、当局の「意」に反すると、「不安」になり、危うくなるもののことなのである。正確にいえば、当局との関係意識の中で、当局への従属的存在としての自己規定、それが国鉄分割民営過程の中で集団として生きられた概念としての「雇用」なのである(もちろん法学者は別の対象化された「雇用」概念をいくらでも見いだすことができる)。
 この間の事情を「率直」に語りかけてくる文章がある。一九八六年春、昔から動労(国鉄動力車労働組合)寄りの発言行動をしていた国労内の活動家が作った新しい組合、「真国労」の機関紙「まこと」号外 86・5・25 より引用する。
 
@ いま、国鉄に働く仲間のだれもが自分の雇用について悩んでいます。とくに国労の組合員であ るみなさんの場合は一段と深刻であると思います。なぜならば国労は、高い組合費を取るだけで、雇用対策をたてることも実行することも何ひとつできず、処分が上積みされるだけの「闘い」に組合員を引き回すという愚かな行為をくりかえしており、いくら仕事をまじめにやっても国労に所属しているだけで旧国鉄・指名解雇の対象になってしまうのは必至だからです。
A 「真国労の人のいっていることはわかるよ。だけどもう何をやっても遅いよ。俺はどうなってもいいんだ。クビになったら実家で百姓をやるんだ」とつぶやいているあなた! 本当にあなたはそう思っているんですか! あなたの妻や子供、両親も「どうなってもいい」のですか? 本当に家族を食べさせていくアテはあるのですか? 家族とそのことについて話し合っていますか?
 そうではないでしょう。あなたは自分の気持ちに真正面からむかいあっていないではないですか。だれもが国鉄に残りたいのです。それ以外に家族を食べさせていくアテなどないのです。生き残るために考え実行するのは苦しいことには違いありません。けれども、苦しいからといって目をそむけたり投げやりになるのではなく、一歩を踏み出すことが今あなたに問われているのです。
 
 この文体のねばりつくような息苦しさはどこから来るのだろうか。おそらく、それはこの筆者が、想定している「労働者」の泣きどころをピタリとおさえているつもりでそれに向って書いているからである。その対象との距離空間が、「存在を規定しつくす」とでもいう、対象への支配の重力によって成立しているからである。呼びかける対象とされた、この文体を読む者は、自分が、おまえはこうなのだ、こうなのだ、と勝手に決められて、体をなめまわされるような気持ち悪さを感じるだろう。
 別の言い方をすると、この文体は、彼らが想定した「労働者」像から離脱してしまいそうな組合員や労働者を必死で彼らの労働者像に閉じこめるべく作られた政治宣伝の文体なのである。
 この「労働者」は次のように規定されている。雇用されてしか生きられない存在=労働者、という自己了解、国鉄以外での仕事をする能力、可能性の否定、夫は妻子を養わなければならないという家族像の金型での圧迫=家族への支配者としての出現。そして、当局の要員枠、新会社の採用枠は不動の先験的前提として、この「労働者」というシステムを動かす隠しファイルのように潜まされている。むしろそれを変えてはいけないというように。
 この文体の饒舌な攻撃性は、この文章が「一組合員」のものではなく、「大衆を指導する」世界観を身につけた(それが革命的でも進歩的でも保守的でも同じことだ)組合指導者のものであることの印である。「大衆」が、「自身」との実体的弁別惑で成立しているという一点において、「自身」か彼ら「大衆」をコントロール、または導かねはならぬと考えることで、「組合運動指導者」も「当局」も同じ保守性(人が人を支配しようとする)を体現しているということがありうるのである。
 さて、この文体の中の保守的な「労働者」像のままでも、もし新会社の採用粋が不動のものではないと考えたとすれば、全く反対の、抵抗の方向が考えられるはずではないのか?
 「雇用されてしか生きられず、国鉄でしか生きられず、妻子を養わねばならない」からこそ、新会社の採用粋を広げるために闘うべきだ、と。
 しかし、現実にはそれはだれにも聞かれた抵抗の端緒にすきず、この保守的な労働者像を保持したままでは抵抗は持続することはできない。なぜなら現に採用粋があり、当局はそれを貫徹しようとしていたからであり、闘いの中での言説の中で、我々は常に、「採用粋は変えない、おまえはどう行動するのか」と迫られ続けたからであり、まさに、「雇用されてしか生きられす、国鉄でしか生きられず、妻子を養わなければならない」という労働者としての自己規定像を変容させずには抵抗の根拠を見いだせなかったからである。いいかえればこの全くの保守的な「労働者」から始めて、はげしい闘いの過程で、それをどう変容させていくのか、どれだけ、今までの日常生活の中であいまいにしていた概念を峻別し、豊富な言説を、行動のしかたを、発見していくのか、その思想的な闘いこそが、我々にとっての国鉄分割民営化反対闘争であった。
 さらにいくつかの、国労脱退をせまる他の組合からの言説を見たい。もちろんこうした言説は、当局、国労、マスコミの言説や行動配置に連結するものとしてその時々に、発せられている。
@ 選別は国労役員から組合員へ
 ついに、余剰人員の選別が開始されたのか? 国労役員はなにひとつ「闘う」ことなく次々と人材活用センターヘ送り込まれています。
 国鉄当局は十一月までに五万五千人を人材活用センターに配属するといっています。国労役員にだまされて「闘い」にひきまわされてきた国労組合員も、このままでは役員と同じ道をたどることは火を見るより明らかです。……中略……役員は職場からいなくなってしまいます。
 国労は組合員を守る方法も力も完全に失ってしまったのです。
 国労にいるだけで 選別されるかも……?
真国労機関紙「まこと」47号 86・7・22
 「人材活用センターという名の、作業のない収容所に配属すると言っている当局と、それに連動してこういうビラを配る組合」という構成が、ひとつの支配の形態なのである。ひとつの意志の貫徹(支配)のための典型的パターンであり、登場する役者を入れ換えれば各地の行政と住民の対立場面、すなわち、現実世界の具体的方策のほとんどを占有している「行政」に対して賛成・反対どちらが「得」か、という展開と同型になる。支配する者の意志はそれを読みとる者を必要としており、彼らによって支配者の意志は受動形で内面化され、「彼支配者」が成立するのである。
A 国労丸はあてのない航海に旅立とうとしている。……中略……
 真面目な国労組合員の皆さん!
 残された時間は、あとわずかである。だが、いまならまだ間に合う。「活性化した鉄道事業体」をつくりあげることをとおして、自分と愛する家族のその輝かしい未来を切り開いていこう。わが動労とともに!
  一九八六年七月二十六日
国鉄動力車労働組合東京地方本部
 これは、国労脱退届用紙、動労加入届用紙とセットで国労組合員宅に配られたビラの一部である。一九八六年七月二十二日から二十五日は、国労の全国大会であった。
B とりわけ反対派の旗頭、わが国労東京の「死導((ママ))」にいつまでもつき従うことは、「きわめて不幸な事態」を招来させることになる。もちろんそうしたい人にはその自由があることはいうまでもない。残された時間は限られている。そして、すでに国労の組織率は過半数を割った。「このままでもなんとかなる」という、ささやかな「期待」や「希望」に身をまかせることは、「最後のチャンス」を逸っした国労と心中する道を選ぶことである。
 さて残された「最後のチャンス」は貴方自身の「決断」である。
 
 一日も早く、わが動労の旗のもとに!
一九八六年十月九日
国鉄動力車労働組合東京地方本部
 これは、国労の臨時全国大会、一〇月九日、一〇日に合せて職場にまかれたビラの一部である。

 これらの脱退をせまる言説において語りかけられている国鉄労働者は、
A 当局の言うことをきいて新会社へいく=生きられる分節の連結可能図
B 当局の言うことに反対して解雇される=生きられない
 の「二者択一」しかない空間に規定されている。ここでは、分割民営案の要員数は、だれかが選別されるということだけが意味をもち、具体的な数は無視されている。なぜなら、全国鉄職員が、Aの「当局の言うことをきいて新会社へいく」を選んでしまうと、その命題自体が無効になってしまうからである。
 論理的に見ると命題を構成する三つのレベルは独立である。
 A・Bどちらから始めても、どの項目とも連結可能のはずではないのか。
 それらの二者択一がそもそも成立しない事情が明らかでありながら、なおA列・B列の二者択一を迫るというのはどういう意味があるのだろうか。
 この、国労脱退のプロパガンダの意味は、「労働者は雇用されてしか生きられない」「雇用は、当局の意志が決定するものである」「この状況は絶対に変えられない」「そして私は労働者だ」といった自己規定の循環系をしっかり刻印すること、なのである。
 そして、この、当局の言うことをきくか、きかないかの二者択一の設問を承認することは、「だれかが選別排除されるが、そのだれかに私はならない」、ということを選択したのであるから、当然それ以降「仲間」という連帯は成立しない。
 こうして見ていく限り、国鉄分割民営の過程における、当局、分割民営推進の労働組合、マスコミの文体はすべて、こうした「閉じた労働者像」のおしつけであり、そこから自分の頭で考えようとするもの、そこから抜け出ようとする者に、おまえたちはこうしてしか生きられないと押しつけるものであった。「大衆の指導者」たちが、いかに保守的なそれらの「労働者像」に執心しているかも我々は思い知らされた。
 
3 「労働者」の解体
 
 次々と、当局、マスコミ、分割民営推進の労組がくり出してくる、「雇用」を分岐とする、人々を分断固定する戦略にさらされて、ひとりひとりは、生れてからこのかた養ってきたあらゆる概念を揺さぶられるという僥倖に出会うこととなった。今まで疑うことなく、生きられてきた様々な概念がはげしく波うち、幸運な場合には、それを疑い、対象化するということができた。
 「労働組合」というのがわずらわしいものと感じられるのはなぜか。それは、組合員を指導されるものとしての像にとじこめる組織のことをさしている場合である。指導者は「組合員」に、これに従わなければお前のことは保証しないといい、組合員は「指導者」に、俺たちをどうしてくれると子供のようにダダをこねることが互いへの力の及ぼし方であるような関係の組織の場合である。
 「分会長は闘う闘うって言うけど、俺の雇用は守ってくれるのか」「組合が俺たちを守ってくれるのか
 日夜全国の国労の分会でくり返されていたにちがいないこの詰問に私はどう答えていただろうか。この設問に適合する回答などあり得なかった。この設問自体を解体するというところにしか我々が生きる道はなかったのだ。
 「組合という抽象的なものが俺たちに何かやってくれるとか、くれないとかいうことはないよ。今まで俺たちは同じ乗務員として一緒にメシを食い、互いに助けあい、一緒に仕事をしてきた。だけど今、当局はその俺たちに、当局のいうなりになれば新会社に行かせるけど、そうでなければクビだといっているんだ。しかも人数制限をしてだ。そんなふうに仲間を裏切れるかい。自分だけは、って考えたとしたら、今までの俺たちの、仲間とか友情とかいうのはいったい何だったのかい。組合だ何だはほとんど関係ないよ。今、俺たち自身が、こういう、当局や第二組合の連中のいうことにどう思うのか、それが自然に俺たちの行動を決めていくんだ。その結果が、組合の為したことだよ。
 少なくとも俺は、みんなを裏切りたくないよ、そんなんだったら国鉄なんかやめたほうがましだ」
 説得するマニュアルなどあり得ないのだ。私自身が国労の分会長であるということも関係ないのだ。ただ、この今、この瞬間、我々は同じ「生」を生きているのだとでもいう実感と共に、私の口から、私ですら初めて間くことばがあふれてゆく。それはある意味で何という幸福な時間だったかと、今は思う。 その時々、その相手によって、その場所によって我々の会話はひとつとして同じことばを発することはなかった。その場で言われ、そして消えていく、無数のことば、それらがひとつの「我々」というものを構成し始めていたのだ。
 おそらく、私が言っていたことばを文字に書きとめ読み返せば、その一言一句に反論は可能だったはずである。いわく、仲間だなんだかんだ言っても結局は自分一人じゃないか、いわく、きれいごと言いながら裏じゃみんないろんなことやってんだ、いわく、自分の人生は自分で拓くしかない、俺は当局も組合も関係ない、自分の判断で生きていく(と言いつつなぜか第二組合に加入する)といったように。こうした主張のそれぞれのバリエーションは無限に考えられた。しかし、結局はただ一点に収束することが見えていた。それは、「自分は自分」であり、絶対不可侵として逃げこめる価値としての「私」、「個人」、「自己」という了解であった。それは仲間とつなげる肉体の腕をもたず、ただ、鏡のように何でも映し出すことができる規範性とのみ、一対となって向い合っている無内容な視線であった。その時の体は、鏡である「規範性」からの視線によって自由な動きを殺され、一方向にのみ切迫して畏縮していた。そして、対話を終わらせる究極的なせりふ、「お互いの価値観の相違」、と、同じく究極のすてぜりふ「俺の人生は俺が決める」、に会った時、我々は別れるしかなかった。
 こうして「自己」という意識は、発展や変容への道を自らとざし、だれも、どんな論理も入りこめないひとつの完結した世界として、奇妙なことに自由や自主としての「自己」でなく、むしろそれと正反対の、制度や脅迫の正当化(それへの従属化)のために「自己主張」しはじめるのであった。正確に言えば、「自己」や「個人」の系であるところの自由や自主は、自らの従属的判断の正当化・絶対化のために「他者からの不可侵の価値」として使用されるそのようなものとして、むしろひとつの、「制度」の構成要素そのものだというべきなのである。これらのことは、「自己」という意識の形態が、ひとつの動かし得ない前提ではなくむしろ、他の「労働者」や「雇用」などという概念と同様、歴史的な層の中の単なるひとつであることを確信させてくれる。ことばが、こうした、孤立した、他と共有結合する単位をもたない「自己」という自己規定、自己循環のワナにはまった時、どんなことばも人々の互いの間に、信頼という解放や展開を起こすことはできなくなる。そこでは他との「関係」は孤立という共振を互いに引き起こすことにおいて成立するだけだ。その中で人々を同じ行動へかりたてるのは「自己」によって正当化された共通の恐怖だけであって、孤立した粒子が同じ力によって同じ方向に動いているので、「共同」しているように見えるだけだ。そのような所では人々は根拠を失い、その時の制度の規範力の指す方向に右でも左でもなだれをうっていく。
 先程、我々のことばはその時々の現実の時間の中で一回限り我々の間をつなぎ、我々を形作り、また別のことば、行動がそれらを展開していったと言った。そのように、自己循環しないことばや行為によってこそ人は生きているこの現実の無限の可能性を見失わないことができる。仲間ということの直接性に生きることができる。それは様々に制度がしかけてくる二者択一や何やら、我々の思想を貧しく刈り込む概念を無効化してくれる。
 これらのことは、人が、選別に反対する組合から脱退して選別を主張する組合に加入したか、そうしなかったかは、その人個人の責任として称えられたり裏切として卑しめられたりすべきことではなく、その人がいた場所でどれだけ集団的に相互信頼が築かれたか、逆に「自己」に分断されてしまったかの結果にすぎないことを意味する。それは、脱退しようとしている人に、それは裏切になるのだと説得することと矛盾しない。そういう説得が、それをしている我々が、彼らと信頼を作り得なかった時、事態は決せられるのだから、我々は彼らと信頼を作り得なかったことを、そのなぜだったかを省みなければならないのだ。単に、個人の「勇気」を称えたり「裏切」を非難する運動であったとすれば、それはそうしている我々自身がまだ、「個人」「自己」の絶対性という虚構にとらわれた敗北への道を歩んでいることになるのだ。
 我々は、ひとつの運動の中で、「我々」として仲間を確信する。この「我々」というものこそ、「私」や「自己」がたとえどんな不毛の絶望感にさいなまれた夜を過ごしても、翌朝、おはようと言って皆と声をあわせた瞬間から、再び敢然と世界の中へ踏み出させてくれる原動力なのである。そして、流通している様々な概念を疑い新しい世界了解へつれていってくれる母体なのである。ひとつの職場の中でその中のごくささいな日常の出来事の分析が、我々を世界的な普遍性にまで連れて行ってくれる、今はそういう時代に突入したのだと思われる。
 
その時、この「我々」のことを、我々はなんと呼ぶべきだろうか、「労働者」?「市民」? もはやいずれの呼び名もふさわしくない。なぜなら、「我々」は、まさにそれらの概念をのりこえる過程で成立しているのだから。

※2020/09/23:1次資料へのリンク作成

 

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