Forum 21  24号 1993年8月
  

「我々」という編成に向けて

四つの断章

 
 前号(二三号)のN.O.氏の「左翼改革派と右翼改革派」を読んで、この論争のスタイル自体に何かいわねばと思いました。
 私は、この論争の大元となった昨年の後房雄氏の講演以降いくつか掲載された、革命?改革?戦略をめぐる諸論考(N.O.氏、野村氏、宮地氏、S・N氏、、中川氏)の、良い読者ではありませんでした。野村氏や宮地氏の論文を読んだときも、「自分が経てきた経験からもう一度理論的な組み直しをしてみようという気持ちを持った人がここにいるのだな」とは思いながらも、一八号のN.O.氏の論文同様、読み流してしまっていたのです。いずれの論考にも「私はそうは思わないのだけど」、という思いはあったのに、それをすぐに論考として明らかにしようという気持ちには動かされなかった、という点で良い読者≠ナはなかったわけです。
 しかし、前号のN.O.氏の論文の冒頭、「一人目は宮地健一を名乗る人物で・・」というところから何やら不吉な予感がきざし、「一流大学の学者先生」、「知的・道徳的破産者」「そのような人間をただただ軽蔑する」「偽善者」にまで至って、これはいったいどうしたことかと、やりきれない気持ちに落ち込んでしまいました。
 これは何とか発言しなくてはならない、たとえ何の因果であろうと「市民フォーラム21」という広場フォーラムに身を置いてしまっている以上は、と思い、何度もこれらの論文を読み返し原稿にとりかかろうとしたのですが、いかんせん私の力量不足、こうした論考で使用されている、右翼的、左翼的、社会主義、社会民主主義、日本共産党、イタリア左翼民主党、といった数々の用語タームに直接組み合う形で、私の意見を述べしかも納得してもらうことなどとうていできそうもありませんでした。しかし、これらの論争、その論文の文体(文体とは思想そのものなのです)から私が感じとってしまう息苦しさ≠ノついてはどうしても述べておかなくてはならないという衝迫も日に日に強くなるばかりでした。
 そこで以下に述べることは、私の力不足ゆえの、これらの論争からの連想、あるいは感想といったものを書き連ねたものにすぎないことをお断りします。それでも、何かを感じとっていただけたらうれしいのですが。 

一、「もの」と「関係」

  ものとは必ずしも物理的にさわったり目に見えるものとは限らない。
 とりあえず、文の中で主語の位置につくことができることばを「もの」と考えておきたい。すなわちすべての名詞である。
 「大企業は悪である。」という命題に引き続き「大企業は私たちの生活に必要なものを生産しているのだ。」という命題が対立性として重ねられる時、その二つの視線の交錯するところに初めて「大企業」は「もの」として立ち上がってくる。
 それは物理的に手でつかんだり網膜に像を結んだりはできないが、ある「かたまり」として、「それ」として指示できるある「物」(かたまり)として、すなわち可視性として、対象物性として存在している。さらにそれを見る者としての「私」、すなわちこれらの命題を陳述した「主体」も、同じく可視性として、ある輪郭を持った「者」(かたまり)として同時に成立してくる。
 しかし、この「大企業」というひとつの名詞、ひとつの可視性として集約されたこの「もの」とは、いったい何を指しているのか。
 「大企業は悪である」という陳述においては、その力の行使の仕方、その行動様式が責められるべき「ある主体」として「大企業」は可視化されている。一方、「大企業は私たちの生活に必要なものを生産しているのだ」という陳述においては、物の生産の主体として「大企業」は可視化されている。
 他にも「大企業は『・・・・』である。」という構成による様々な陳述が可能であり、そのそれぞれがその陳述における述部を成り立たせる主語として「大企業」という「もの」を置いている。
 この述部には、主語の位置に置かれた「大企業」(主体・もの)が引き起こすとされた様々な「働き」に結びつけられた、主語=「大企業」への判断・規定が置かれる。その「働き」の部分には、「ものを作る」とか「人を働かせる」とか様々なことが代入可能であり、しかもそのそれぞれの「働き」はその「働き」が作動すべき独自の問題構成の空間を持っている。たとえば、(大企業は)「ものを作っている」、という「働き」のことでいえば、どんなものが作られているのか、作られたものは使われた後どうなっているか、どんな思想でそれは作られているか、等々の問題空間に接続展開していく。一方、(大企業は)「下請会社に無理を強いている」ということでいえば、どのような言説とどのような取引慣行、制度等がそのような権力関係を可能たらしめているのかという問題空間内で展開は行われていく。(大企業は)「ひどい合理化で労働者を搾り取っている」というのも、(大企業は)「そこで働く労働者に比較的高い賃金を出している」というのも、同じように(大企業は)という部分を全く除いてそれぞれの「 」内の問題について独立して考えることが可能である。そうした様々な働き、すなわち、権力作用や活動がまず先にあり、その働きの主語として(求められるべき主体・起点として)、たとえば「大企業」というものが据え付けられているのである。だから、先に「大企業」が存在しその属性として、すなわち「大企業」が持っている諸性質として、様々な「悪」や「社会的生産」など相反するものが含まれているのではなく、順序は全く逆である。
 したがってそれらの言説での「大企業」とは(他のすべての名詞と同様)それ以上分解できない外部の「かたまり」、「もの」として考えられてはならないはずである。それなのに、それが「もの」として成立してしまうのは、自らをめぐる様々な力動を生きるにあたって、その自己に繋がる力動に出会うと、その力線のもう一方の極を必ず求めてしまう、ある「意識の様式」(私としてはそれを「自己」意識、自我=egoと呼びたい)が発動するのが現在のところ一般的だからだと思われる。その意識の様式の中では、自らが関わる力動のもう一方の端点としての根源、起点、原因、対象が目指される限り、その「彼方」への命名がなされなければならず、そのような行為の中で自己の対極として創出された輪郭として、陳述の「主語」は成立させられてしまうからだと思われる。だから、それらの力動が多様である限り、その内の一群の働きを一つの名前「大企業」で集約し、かつ、今度は「大企業は〜である」という一義的規定を同じ論理階梯内で求めるのはもともと理屈上の矛盾である。
 そこで、最初にあげた、
「大企業は『Aなので』悪である」と
「大企業は『Bなので』善である」という一対の命題に戻ると、これは主部におかれた同一(大企業)と述部における対立(悪と善)という構成によって、主語の位置におかれたある「もの」(大企業)の規定をめぐる「論争」の形になっているようにみえる。しかし、この命題の一対は、「Aなので」または「Bなので」という屈折によって善または悪という判断に分岐しているのであり、「大企業」という主語に対していえば、その主語が「A」または「B」と代置されるものだという判断が成り立たない限り二つとも同時に成立してしまう。言い換えれば、二つの命題に共通な一つの主語がまず「もの」として存在し、二つの命題が含むAまたはBという系列の述部の内どちらか一方だけが、その主語として置かれたある「もの」を全面的におおうと主張する型である限りにおいて、論理的には決定不能な、言い換えれば「信じること」によってのみ決着する、ひとつの「論争」となるにすぎない。
 もしどちらかを「信じる」ことに入っていけない場合は、「大企業は悪である」という反抗の論理と、それを回収する形での「大企業は「現在」を産出している必要物だ」という存在の論理との間に生まれる非決定ゆえの循環運動で自意識は発熱し「『大企業』にはいいところもあれば悪いところもある」という存在論的な現状肯定にメルトダウンした後、その廃虚には「『大企業』の悪いところを少しづつ直して行こう」などという再構成が息吹く。いずれにせよ現実に感じられ受けとめられた多様な問題構成は、「もの」(大企業)の属性として集約されてしまうために、その独自の脈路において解きあかされることなく閉じられてしまう。そのため、様々な「働き」の起点として設定された「大企業」という項目も解体されることなく、依然として「もの」のまま、思考と陳述内で主語の位置に君臨し続けてしまう。
 そして社会総体への変革の力動はそれらの「もの」によってせき止められ、「私」=「主体」はそうした「もの」への気がかりにおいて自己意識の保持動作を続ける。(1)
 これまでの「大企業」=「もの」の位置に「共産党」「自民党」「アメリカ合衆国」「キューバ」「うちの会社」「誰それという人物」「○×主義」等々を代入することもできるはずである。 ・・・・(そして、実はなによりも、「貨幣」!、「私」!といったものこそ代入してみるべきなのだ!)
 それら「大企業」「○×党」などが主語の位置で「もの」として想定されている場合必ず、論争はそれらへの全面的であれ条件付きであれ「支持」と「不支持」という分岐の形をとる。我々は、あたかもそれらの支持不支持によってのみ「我々」として実現されるものであるかのように選択を迫られる。その様子はまるで、我々がそういった形式とは違った独自の意見を持てることに気づかないようにするための巧みな罠ででもあるかのようだ。(選挙における言説や「君たちは何でも反対だ、反対するだけではなにも新しいものはできないのだよ」などという支配の言説を振り返ってみてほしい。)
 我々が課題とすべきなのは、主語としての「もの」(「もの」である限りの主語)が「どうであるか」「なんであるか」という規定の正しさを競うことではなく(もともとその位相では論理的には決定不可能で「信じる」ということによってのみ一義的な決定が為されるだけだ)、その主語に集約された個々の「力動」、「働き」の場面場面における論理展開に分け入ることなのである。
 その時、その解析過程において産出される、「〜は〜である」という構文において主語の位置に入るのは存在としての「もの」ではなく、ある「存在」ではなく、ある「関数」、「概念」である。その陳述は現に人々がその語を使用することによって実現されているその語の持つ関係、概念への新たな捉え返しの行為に他ならない。だからその場合の主語とは常に「 」(引用符、概念記号とでも呼ぶべき)の中に置かれていることになる。
 すなわち、「大企業は・・・・である」という言い方は「『大企業』という『もの』は、このような『もの』である」という、世界に向かっての存在規定、「自己循環」の様式であることを止め、「『大企業』という(我々が今現に使用している)『ことば』は、このように接続可能でありこのように限界を見いだせる」という「提起」、いうなれば「概念解析」の脈路((コンテクスト)に変化する。しかもそれは今現に我々が生き、思考するために使用しているものについての新たな理解なのであるから、それは「我々」を構成する要素の変化であり、そのことによる新たな「我々」の産出という行為でもあることになる。「規定」することではなく「変化」することの脈路の内で言葉は発せられるものにすぎなくなる。世界の変成と我々の変成は一元的なものとなる。
 ちょうど今世紀の初め物理学において、物質の概念が決定的な変成をとげたのと同じように、現在、言説における主語の位置を占める名詞の位相は塊(かたまり)としての「もの」から、「概念」、「関係性の束への名称」というものに変化させなければならなくなっており、(言い換えれば「もの」という概念をそのようなものへと変成させなくてはならなくなっており)、その自覚性を持ってしか何事も実効性を持っては語り得ないのではないか、と私には思える。
 この変化により、世界というのは様々に変わった様相を見せはじめる。
 それまで闘争における敵とは、肉体を持っている「だれか」が直接的に指されるか、一応制度や思想という観念の水準で敵が確定されていたとしても最終的にはそれは「だれか」という肉体に収れんした。某政府の構成員、某企業の経営陣、要するに某制度を担う某人物、某思想をその頭の中に持つ某人物、だから、闘争ではその肉体を抹殺することが一つの手段であった。その「もの」(者・物)が無くなれば、その否定すべき思想・観念・制度は、起点を失い、原因を失い、根源を失い、消滅すると信じられてしまったからである。言説における罵倒やその中での軽蔑などはその行為、肉体を動かし「相手」を打倒するその行為、の代表象といえるので、その場合の文体もそのような行為としての躍動感を持つことになっていた。(「右翼」であろうと「左翼」であろうと。)
 しかし、地上の問題はすべて「概念」「関係性」の水準だということになると事はやっかいだ。敵を、人を抹殺すれば、人を抹殺したという関係性が新たに「存在」してしまう。ウソをついてだませば、ウソをついてだましたという関係性が新たに「存在」してしまう。こうして「もの」を相手に自らも「もの」として闘う古典的力学の格闘場は、活発になればなるほど自らが解きえない新たな関係性の発生におおわれ無間地獄の泥沼となり決着はつかなくなる。
 概念は概念で乗り越えるしかないのである。敵対の関係性は敵対が解体するような新たな関係性を創出するしか無くせないのである。すなわち、敵を解体することが同時に自らをも新たな自らに変成、構築することであるような様相においてしか闘争は不可能なのである。
 その方法とは、前に述べたように、概念がそのようなものとして構成されたところのその脈路を解析することであり、その新たな理解によって自らも変成(編成)されることであるが、「概念」とは万人に開かれ、誰のものでもない、すなわち各人の「私」のものである、だから「概念」の解析は「私」の変成そのものであると同時に、他の「私」にも開かれ共有されうる行為なのである。そのことが、それまでの、「もの」という「私」の外に表象される「かたまり」によって構成される空間内での様々な説明や存在規定、言い換えればそこで構成される主体の様式、との決定的な断絶点である。
 こうして、闘争の場は、「もの」と「もの」の関係、という古典的力学の論理空間からいわば、ものそのものを自ら生み出してしまう場としての「力」の論理空間に移行する。すなわち闘争は、支配者と被支配者という二つの「かたまり」の間に構成される空間から、支配者と被支配者というような一対の項目はある関係自体がその両極に結節項として生んだものにすぎず、その関係力(権力)の働き方自体をこそ解析しよう、という空間へと移行する。そして、具体的な闘争の諸相も全く変貌する。
 闘争は誰か代理人を介してではなく、この今現にあるこの自らの行為そのものとしてしか現れなくなる。「○×党」とか「○○主義」「何野誰其」を「支持する」というかたちでは現れない。具体的な、個別的な、独自の、しかし人々を横断する「思想の内容」としてしか、闘争は現れない。


二、思想とは誰のものか

 『共産主義という言葉はある忌まわしさを帯びている。なぜか? 共産主義という言葉は文字どおり労働を集団的創造の可能性として解放するということを示唆するが、今や、人はそこに集団の重圧による個的人間性の圧殺の同義語を読み取っているからである。ところで我々は共産主義を次のように解する。共産主義とは個人的かつ集団的な特異/固有性(サンギュラリテ)を開放する試みである。・・・かつて批判勢力は正当な理由をもって資本主義的な市場の概念に攻撃を加えた。現在はといえば、外傷に傷ついた魂たちは市場のくびきに受け身に従属し、それを資本主義そして/あるいは社会主義的計画経済の要素の中でともあれ最も非攻撃的な要素であるとして再び公認している有り様だ。
 すべてを発明し直さなければならない。同盟、諸々の権利、自由の配置を、そしてそれ以上に労働の諸目的を発明し直さなくてはならぬ。われわれは共産主義を次の様に呼ぶことからはじめよう。共産主義とは労働の解放のための集団的闘争である。いいかえれば、共産主義とは第一に現在の物の状態(エタ・デ・ショーズ)の廃棄にむかう集団闘争である。・・・・・労働について今や資本主義そして/あるいは社会主義的形態による専制の道しか人間には残されていないなどということをわれわれは認めない。・・・われわれは共産主義を諸意識と諸現実の変容へと向かう社会的実践の総体であると呼ぼう。」  (F・ガタリ/A・ネグリ)(2
 
 「なるほど、「現在だれが産業資本家なのか、政治にかかわる連中がどのような生まれで、どのように養成されるのか」ということなら、現に存在している社会学の研究がわたしたちに教えてくれます。・・・しかしわたしには、そうした既成の研究があつかう一般的なうわべの下で、事態ははるかに複雑に動いているように思えるのです。・・・一九世紀につきまとっていた、「この生活の苦しさは何とかならないか」という窮乏の問題は、私たちが生活している現在の西欧社会では、もはやまず第一につきつけられる深刻な問題ではなくなりました。それにかわって、「だれがわたしのかわりに決定を下しているのか、だれがわたしにあることをやるのを禁じ別のことをやれと命じているのか、だれがわたしの時間の使い方、一挙手一投足までプログラム化しているのか、だれがわたしにどこそこの場所に住みどこそこの場所で働くよう強いているのか、わたしの生活時間はある決定によって完全に区切られているが、そうした決定はどのように行われているのか」現在ではこうした問い すべてが、根本的なものになっているように思えます。しかも、『だれが実際に権力を行使しているのか』という問いに答えるには、同時に『具体的にどのようにそれが行われているのか』という問いにも答えなければならない、と思うんです。」
                    (M・フーコー)(
 長々と、行きあたりばったりで引用してみたのは、いずれもフランス現代思想と呼ばれる思想家たちの文章だ。ここで引用した人に限らずG・ドゥルーズにしろJ・デリダにしろ、彼らについての日本語の解説ではなく、その翻訳を直接読む限り、彼らの思想は真っ向から現在における権力とか政治とか主体にかかわろうとした徹底的な思考の足跡に他ならず、我々にとっては実に強烈なインスピレーションと力を与えてくれる巨大な「道具箱」だとしか思えない。まさに「現在では哲学とは政治的であることしかできない」というのを地でいっているようだ。知識を与える教科書としてではなく共感性を引き起こすことによって我々が共通の闘争を闘っているのだと力づけてくれるそういう種類の本(思想)が可能なのだということを、一九八〇年代半ばの国鉄分割民営化反対闘争のさなかに、私は彼らによって確信した。私にはなぜ彼らの著作が日本で、具体的に諸闘争を闘おうとしている人々に広く読まれ利用されていないのか、わからない。
 目を見開けばそこに膨大な思想の資産があるのに、誰かが付けたラベルだけを見てそこを通り過ぎてしまうのはバカげたことだ。人間が生み出してしまったもののすべてを知ることはもちろん不可能だ、しかし、すべてに開いた態度で物事を論じようとするのでなければ、それは党派的な部分思想に止まってしまう。それでは息苦しいだけだ。マルクスもレーニンも、信じられたり破棄されたりする教典としてではなく、その思想において、その内容において、他の様々な思想と接続され展開される一つの歴史の内に開かれなければならない。
 人の思考内容とは、結局だれのものでもなく、だれもが利用可能であり、すべての「私」のものなのである。私がそれを読んだこともなく聞いたこともなく見たこともなかったとしても、歴史の中で考えられてしまったこと、行われてしまったことは、すでにこの「私」の構成要素となってしまっている、そのようなあり方としてのみ、「私」というのは矛盾なく可能になるにすぎないのではなかろうか。だから、そのような「私」が任意の別の「私」に呼びかける時それは「我々」として呼びかけるしかないのだ。「我々」は全く同じ要素(宇宙というすべての物質の集合)で構成されながらそれぞれの固有の位置からそれ(宇宙)を統合して理解するしかないために、それぞれが別の「私」として弁別される固有の編成として作動するのである。ある「私」がその固有の編成(歴史、環境等といわれる)の中である思想を生み出す。それは物質(宇宙)の新たな展開である。なぜなら思想とは、考えられたり書かれたりしゃべられたりしたものであるがそれらは必ずある物質的な過程を伴ってしか行われないからである。後に別のある「私」がその固有の編成(既に生み出された思想=新たな物質の編成を前提とした)の中である思想を生み出す。こうして「我々」が生み出してきた様々な思想に「私」は新たな一つを重ねるにすぎない。
 世界は「我々」の集団的作業の現実、そのものとなる。
 

三、構成する力としての「我々」

 六月(1993年)に皇太子が結婚した。
 一人の日本国民が国民であることから追放され、「象徴」という規定を受ける存在の系列に移行させられた。彼女は国民のリストからはずされ、象徴の系譜に書きあらためられた。その憲法を定めた国民の力によってだ。
 彼女は選挙権を失い、職業選択の自由も、居住の自由も、移動の自由も、信仰の自由も、なにより自ら発言する自由を奪われた。彼女が奪われたもの、これらは皆、憲法によって我々が自らに定めた「力」の定義(権利)ではなかったか。
 いや、皇太子、天皇という存在こそさらに悲惨だ。
 ただ、そのある人の子として産まれてしまっただけで、最初に産まれた男の子であったというだけで、彼は他の弟、姉妹とも違い、その、「国の象徴」という「国民」ではない存在の系譜から、離脱することさえ、拒否する選択さえ、奪われているのである。憲法と法によって。
 およそ、人の平等と自由を定めた思想がこんな凄じい生まれによる差別を同時に定めているなどとはとうてい信じがたいことだが、現に、我々の日本国憲法は「国民」という人間とそれらの権利義務すべてから疎外された「象徴」という名の人間との二種類の人間を規定してしまっている。
 「元首」ならまだよかった。「リヒテンシュタイン公国の元首であるハンスアダム二世」なら、「十二日、国民に対し、君主制を廃止する権利を与えると提案」することもできたからである。(朝日新聞1993.5.13) なのに我国で天皇という役柄を務める男性は、自らのその境遇について、なんら変更するための手だてをもたないばかりでなく・・・なぜなら彼の「存在」は憲法で規定され、かつその「憲法」は彼がそうでないところの「国民」によってしか改定されないと自らを定めているからである・・・自らの境遇についての発言さえ、今度は法によってではなく彼をめぐる国民たちの正に権力の諸効果によって抑止されているようである。(それとも、彼が自らの地位について語ることは、天皇の象徴としての地位は国民の総意に基づく、世襲とする、という憲法の規定に反する、という理屈なのであろうか)
 彼は発言する、彼はメッセージを語る、しかし、それが、彼の妻や子供や母に対するものである場合、あるいはごく近い使用人や友人とのものである場合以外には、彼は語る機械、読む機械、どこか諦念を表情にうかべた腹話術の人形である。
 「通常は外務省が原案を作成。宮内庁と調整した上で最終的には内閣の責任で決める」(朝日新聞1992.8.25)お言葉を彼は語り、テレビニュースは彼の唇がその言葉を発するために動くのを何度も放映する。新聞は、彼にもっとこう語らせるべきだ、語らせるべきでない、それはできない、できる、と論評する。「天皇訪中時の「お言葉」には訳語にも心をつくした努力が必要だ」(朝日新聞1992.10.8)
 国民と政府は、語る生身の象徴の肉体の上にまどろむ。自らの責任と倫理を、柔らかな母のむねのような「彼」の存在、その規定の条文の中に溶け込ませ、できるだけその秘部にふれないようにしている。「世論調査では、「天皇は今と同じ象徴でよい」、が一貫して八割」(朝日新聞1993.7.23)
 彼の年間二億九千万円の生計費と、緑深い住居、いくつかの別荘といったものは、彼の、人生を放棄させられたような苦渋とつりあうだろうか? いっさいの自由を奪われた一族の孤独は「国民」の彼の利用方法、すなわち威力として、また反抗の標的として、意識の子守歌として、等々と、つりあってしまっているのだろうか?
 我々は主張すべきだと思う。
「天皇」を解放しなくてはならない、我々は我々の憲法を改正し、人間が行う象徴=天皇という残酷な役割を廃し、彼を我々と同じ地平に迎え入れなければならない、同じ地平に定められる「自由」に彼らを迎え入れなければならない。
 それが、「彼らの結婚式にかけられた二十三億円は国民の税金だ、庶民はつつましく暮らしているのに・・」などという従属性、現状肯定の「くりごと」から自らを離陸させ、絶対的な「力」としての、憲法を制定する力としての、「我々」を文字どおりの意味で「現実化」させることなのだ。
 押し寄せる圧力と長い苦悩の後、自らの力で、国民であることから象徴の一族への飛躍を決意した女性は、そのとてつもない決意の後の思いとして次の意味のことを述べている。「こう決意したからには、相手の男を幸せにしてやりたいし自分自身も「いい人生だった」と振りかえれるように生きたい!」
 そして、象徴の一族のその男は、悩むその女性に向かって、「あなたにはぜひ私のところに来てほしいが、自分は本当にあなたのことを幸せにできるのか悩む」と、打ち明けていたという。
 そのやりとりの言葉だけを見て、婚姻関係に入るどこにでもある男女のやりとりと勘違いしてはならない。この苦しみに賭けられているのは、すべての自由すべての自発性なのである。それを失うのか、どうかなのである。
 そして、それは憲法にかかっている、我々が、我々だけがそれを改定し彼らの自由を回復させることができる、その憲法にかかっている。
 いや、もっと正確に言わなくてはならないだろう。ここまで「我々」という語はあたかも憲法に定められた、したがってそれによって憲法改定の主体として定められた、「国民」、というものと同義であるかのように語ってきた。しかし、「我々」だけが憲法を改定できると言うのは「その手続きが憲法にそう定められているから」では、全くない。憲法が定める憲法改正の手続きとは全く関係がない。
 「<構成する権力>(=憲法制定の権限)は<構成される権力>(=憲法によって制約を受けた権限)によってのみ規定されるという法の逆説」(A・ネグリ)(4)を我々もまた受け入れない。「憲法」と「国民」が演ずるそのような相互規定循環の外部に「我々」はいる。その我々の地平線の内部において初めて、「憲法」もそれが規定するところの「国民」も構成されるものにすぎない。すなわち、「憲法」、「国民」、そこに定められた「権利」等々は、我々の限界・規定ではない、むしろ逆に「我々」だけがそれらを包摂しそれを設立する「力」なのである。()
 そしてこの時、「憲法」を制定する力としての「我々」は「国民」とイコールであることを止め、「国民」とは別のものたとえば「象徴」として現憲法では定められてしまっている彼らをも、また「外・国民」をも含むことになるのである。要するに、「我々」はここに至り、諸「国家」の諸「国民」ではなく、地上に分布するそれらの差異さえ自らの上に生成してきた唯一の「我々」にすぎず、その制定する「憲法」も国民国家の諸「憲法」ではなく、全地上を覆う構成(constitution)というべき唯一の憲法(constitution)なのである。そのような主体としてのみ「我々」は可能なのである。(6)地上にすべてを構成する唯一の「力」として、その倫理を引き受けるものとして。
 もはや、彼ら(象徴も外国民も)は、個別の憲法や法で疎外された無力な存在ではない、「我々」(国民)と「彼ら」(象徴・外国民)という分離は終わった。彼らは、我々は、自らの境遇について個別の憲法や法の定めにかかわらず、それらを超える存在「我々」の一部として、抗議の声をあげるばかりでなく、新たな構成を、憲法を創出する「力」そのものとなるのである。
 その「我々」が現日本国憲法の天皇条項の廃止を主張するのは、現在「天皇」の位置にいるその男の意向への斟酌によるものではもちろんない。「我々」のあり方自体が「国民−象徴」といった「我々」の分割による「他者」への相互依存(もたれかかり)というあり方を許さないからであり、またその倫理を地上に打ち立てようとする構成的な「力」としてこそ「我々」があるからにほかならない。
 

四、説明の言葉と行為の言葉

 いや、どんな「説明」もそれは説明という「行為」だ、といわれるならば、しかし、そこには我々の力として、我々を励まし、我々に自ら考えさせ、自らの責任において行動させようと働きかけてくるそういう言葉と、そうはならない言葉とがある、と言うことにしよう。
 日本における「企業社会」という概念があり、その問題について様々に語られてきた。資本の増殖の論理に対抗する論理が他の社会に比べて弱々しすぎるのではないか、というわけだ。なぜそのようなことが現象しているのか、様々に論ぜられ、処方箋も書かれてきた。しかし、もしそれらが読むものに力を与えないとすれば、とりあえずそれらの言説はいくら論理内の構成として整合的でも、「力」としては充分でなかった、と言ってしまいたい気がする。
 「自立した個人」「市民社会」「仲間意識」「人権」「憲法」「市民」「差別」「欠如」「過剰」「自己実現」「前近代的」等々の用語の上で、我々がなぜ「働きすぎてしまうか」が説明されてきたと思う。依拠すべきもの、日本社会にこれから打ち立てなければならないもの、乗り越えなければならないもの、が数え上げられた。それらは皆その脈路においてすべて妥当だったと思う。
 しかし問題なのは、では、今、現に、ここにいる私が考えるときにそれらの言葉が役に立つかどうかということではないか。役に立つということは、その言葉が「身にしみる」「自らを変成させうる」ということだ。
『日本人は自立した個人が確立していないために企業の力に抗しきれずみんな横並びでサービス残業をしてしまったりする』
 この言い方のような、「『日本社会』はこうであるから、こういう現状が結果している」という構文は、「日本」と弁別される限りでの「ロシア」「ドイツ」「フランス」などといった社会との類型対比として設定された抽象空間内でのみ成立し、そのことに自覚的に発せられている限りは正当である。しかし、その、類型として抽象された「日本社会」という「概念項目」と、今、現に、ここで生きる「私」「我々」という「価値」とを同値にあつかい、「私・たちは」を主語として、たとえば「自立した個人を持っていない者である」「成熟した市民社会に至っていない者である」という述部によって完結される一つの言説を作り上げてしまうとき、それは第一章で述べた「自己循環 」となり、むしろ従属的な主体化の作用そのものとなる。それはこういう状況だ。
「『日本人は自立した個人が確立してないからみんな横並びでサービス残業しちゃうんだよなあ』と言い合いながらサービス残業をしている日本人」
 そしてまさにそれこそが「日本の状況」ではないのか。この自己循環のサイクルに落ち込んでしまうとそこからつむぎだされてくる現状に対する「理解」「説明」は精緻であればあるほど自らの全身を固着させる。世界について「〜は〜である」と精緻に言明すればするほど、ちょうど繭にこもるように、自らは、世界を創出する主体のあり方とは別の従属物となる。
 私は構図としての整理が無効であるなどと主張しているわけではもちろんない。「構図」を成り立たせているところの「概念」の位相がはっきり理解されている限り、時系列あるいは空間的弁別を軸としてある様相についての変成の分布を見いだそうとする努力は、我々の「現在」に対する別の理解の仕方をもたらすことにより、「その現在とは別の未来」のあり方へと我々をいざなう「力」そのものに他ならない。ただそうした「説明」という分節的なことが行われる位相と、「今、現に我々が生きている」という連続的な「価値」の位相とを混同して一つの言説に練り上げてはならない、ということを主張しているだけである。
 構図の中で「どんな主体が欠けているか」を数え上げてみせることは、直ちにそれがその欠如状態への解決策、というわけではない。その自らが指摘した欠如が満たされた主体の状態を体現して見せて初めて、その現実への一つの提案となりうるのである。(7) 現在まで日本の企業社会への説明と処方として語られてきた様々な構図の中で欠如として登場する、たとえば「自立した個人」とは、「市民」とは、あるいは「産別的な労働組合運動」とは、実際の具体的な場面ではどんなことを語りだすものなのか、その具体的な言葉が、その具体的な思想こそが語られなければならないのである。
 「会社の繁栄こそが労働者の繁栄に繋がるのだ」という言い方に、もし、心から納得できる対抗ができないのであれば、それに従うしかないのである、その規範に従ってその社会総体の編成は構築されていくしかないのである。その規範をより強化し、それに適合的な編成へと日々変成していく道しかないのである。(この「会社の繁栄」という概念を解き得ないところで、それに対抗する「人間の繁栄」というのを分有させた社会像として構想されたのが「社会民主主義」ではないかと思う)
 それらに対して我々は「会社の繁栄」、「資本の増殖」という概念、規範性自体に敵対する。彼らの発する息苦しい、すべての言葉や行動にまったをかけ、それを無力化したい。
 その過程、それは新しい「私」新しい「我々」を作り上げる主体化の過程そのものであるが、その過程とは、日常の何気ないやりとりから様々な理論に至るまでを貫徹するすべての思考、(経済、性、家族、身体障害、科学等々)の内容を内発的に組み直すことに他ならない。
 それはあらかじめ前提された理念的枠組みの内での概念項目の生成という行為によってではなく、日常現実にやりとりされる具体的な言葉との対抗という権力の関係の内でのみ生成展開される、まさに「力」の行使そのものの軌跡となる。それは過程であり軌跡であるが故に「完成」されてしまうことはない。また具体的な言葉と対抗して生まれるものであるが故に、より多様な場面でより多様な人が、考え語りだすことが多ければ多いほど、その「力」は強くなるはずである。
 それはたとえば具体的な会社の中で語られる言説への対抗であり、解析である、地域社会の中で一方的に作られようとする道路への抗議でありその行動の仕方の発明である。「言論の自由」と匿名で語るということの間で自らに働いた力の解析である。
 私としてはこの会報には、そうした様々な人の具体的な闘争の過程が掲載され、それがまた他の人への励ましやインスピレーションになるということを願いたいと思う。「具体的」ということは、たとえ抽象概念を扱っていてもそれが内発的であるということだ。 
 するとそこには、(具体的な選択としてである限り)、「社会民主主義かそうでないか」、「革命の可能性はあるかないか」などという争点はもともと構成され得ないのではないだろうか。具体的にどう変えたいのか、具体的にどんなことが許せないのか、という提起と錬磨の中では、あらかじめ限界などはあり得ない。また、未来の解放の夢からの分節として現在を貧弱にあるいは空想的に規定することもあり得ない。
 そこでは、「政党」との関係で自らを規定するやり方、「何党を支持するか」という表明も詰問も無効である。「市場」という謎、個人化された自我単位を前提とした限りでの「自由」と「均衡」の原理としての「市場」という謎も、前提ではなく解析の対象である。そして、「権力」(人に〜させる力の作用)が実体化したもの、対象物化したものとしての「貨幣」、その働きもやはり、解析の対象でしかなくなる。
 
(1) 他と弁別され相互に関係を持つものとしての「もの」とは、それらの「弁別作用」によってこそ初めて、輪郭を持ち関係を持つ「一項目」として成立したのにすぎない。しかし、それらの「項目」のそうした成立過程、すなわち弁別という作用そのものを貫いた脈路、が解析されることなく、それ故に弁別によって生成したにすぎない諸項目が、自明性として、解析不能な非可逆的な結節として、現象の起点として、設立されてしまい、そのような先験的項目として「外部」を一人歩きしはじめた時、「自己」にとっての限界としての、規範としての、地平線としての、そしてそのようなものである限りにおける、「もの」という概念の位相が成立することになる。
(2) 『自由の新たな空間』朝日出版社1986
() 「権力について」『M・フーコー 1926-1984』新評論1984
() ドゥルーズへのインタビュー
   ドゥルーズ著『記号と事件』河出書房新社1992所収 p288
() 体制内、反体制というような概念が意味を持つのはこうした水準でだけだと思われる。
 「憲法」と「国民」の相互規定、自己循環性の内ですべてを構想しようとするのが「体制的」な態度であり、自らを「憲法」と「国民」の構成自体を創出する(外の)力だと確信しているのが「体制・外的」、あるいは「反・体制的」態度だ、と区分してみることができる。けっしてどれだけ貧乏しているかとか、社会保障を受けてしまっているかとか、そういった形式が分岐線なのではない。
() この絶対的な創出する「力」としての「我々」は、もちろん、「憲法−国民」の循環規定構成からそれを乗り越える脈路でのみ成り立つものではない。現在「経済」と呼ばれている空間で作動している「貨幣−労働」の循環規定性、その他すべての、「自己」意識が内包する循環規定的な概念構成の内の力動において、この「我々」は必然的に生成してくる。

() 欠如として、「主体」の様式ではなく、たとえば「労働時間短縮」というような制度があげられる場合には、その必要をいかにして労働者や経営者に納得させられるか、自らをそのような言説として編成できているかどうかが、書くことの現実的な効力として問われる内容となる。


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