生命・個人・家族 −− 人工生殖技術が切り開いたもの

 
           
1994.08.20 季報唯物論研究/大阪哲学学校夏季合宿 於 高野山 
 
T. ある関係の仕方への呼び名としての「家族」
   1) 中世以前における血族、<氏(うじ)>      資料(1)
鎌倉期の武士・百姓は夫婦別財制、夫婦別姓。機能していたのは<家>でなく<氏(うじ)>
 
   2) 柳田国男の「イエ」についての意見  資料(2)
・自身がその中に含まれる、過去から未来への連鎖としての家=国家への連接。
・先祖、子孫という用語が使用されるが生殖による親子関係とは関係なくなっている。
 
3)「自然(性交の一対性、生殖)によって基礎づけられたものが『家族』であるからヒトが自然である限りそれは太古から永劫に続く」、とするのでなく、現在実際に「家族」として生きている関係について考えてみる。
 
U. 生殖と「家族」
   1)養子縁組    資料(3)
・拘束としての自然(血族)に対する、編成企図としてのイエまたは家族の優位−−イエの連鎖自体は親子という生物的連鎖を連鎖自体として抽出・古くからの制度。
・歴史上の、生殖に関わらない様々な「親・子」関係  ex 烏帽子親
・むしろ現代だけが親・子の関係を自身の精子・卵子・子宮といった要素に密着させて考えているのではないか。
               
   2)人工生殖技術の現状   
     @ 人工生殖技術の例       資料(4)
     A 争点となった事件
a)誰が父か誰が母か?の問題
b)凍結保存された精子・受精卵は「親」が離婚したり死んだ後も出生可能であることによる問題/ヒトの概念の再輪郭付けの問題=胚をどう扱うか
 
   3)個人化された身体をあふれでてしまう事態への2つの対応
     @家族・夫婦・個人という表象への再規則化
       a) 対偶外の関与者の匿名化・契約による、手段化。
・配偶子(卵子と精子)の提供者の匿名性は、それを提供してもらった夫婦の一対性の中に他者の像が入りこむのを防ぎたいためである。それは必要とする配偶子を機能実現のための部品として取り扱うことを促進する。
       b) 誰を父母とするかについての新たな法制化   資料(5)
 
     A新たな主体化
      a) 身体の非個人化
      b) 共同性の新たな位相  資料(6)
1)自立した個人の連合というアメリカの夢の徹底。
2)身体次元での、(契約というような、分割された個人を基体とす
る関係性でない、ある連続的な)共同的な行為。身体の共有性の感受。
      
   4)技術の自己増殖/資本主義
技術は、「これは他者の欲求を満たすためである」として、自己合理化をしたがるが、そうした欲求自体がどういうことなのだろうかということを、技術は自らに繰り込まなくてはならない。
 
V. 「社会」との対比項としての「家族」
     @「死」に限界づけられた「生命」が構成するものとしての家族
      a) 限界付けとしての<収入>(雇用、賃金)
      b) 未来という<不安> 生命保険等
     A「公」←→「私」という対比が「個人」の「自由」を構成している
     B社会は、「家族」の社会との闘争を組み込んで支配を構成する
        ・生命保険のファンド
     C社会の「個人基体」制と家族の共同性(溶融性)
        ・身体接触の許容  ・私有観念の破れ
 
W. 価値の創造空間としての「家族」
     @<子供>を迎えるということ
 ・生まれるということの意味、決定されていないこと、今と別のものに「成る」ということ。
     A「家族」はなぜそれを独占できると主張するのか
・家族・社会・個人という分割配備は歴史的な形成物である。
・「対象」の設定とその否定、ではなく、諸事件の解析が我々を運んで行くところに就こう


                                以上

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※ この発表に 至る経過と、完成出来なかった断片については以下の通り。

  「家族論」構想 1994/02/17
  生命・個人・家族  B稿 断片  1994/08/20
  生命・個人・家族  C稿 断片  1994/08/20
  生命・個人・家族 準備断片   1994/08/20
  家族NOTE 覚書断片 1997/02/05
  家族と「我々」の編成  ― 「自然」という地平を転覆する 1998/08/23