ハノイで食いまくる

6月20日(水)

 朝六時すぎに、なんとなく起きる。相方がNHKの連続テレビ小説の「ちゅらさん」を見ていた。日本とは二時間の時差のため、六時十五分からの放映となる。眠いよう。
 それにしてもNHK朝の連ドラの主人公は、どうしてみんな妙なアクセントの言葉を喋るのだろうか。わざとやっているのだろうか。日本のどこかに、あんな不自然な言語を話す一族がいるのだろうか。どうにも不思議でならない。本当にああいう喋り方をする人物がいたら、私なら撲殺している。

 七時にホテルで朝食をとる。なんせホーチミン随一の高級ホテルゆえ、朝食も豪華。行列のできるベーカリーの焼きたてパンが並び、南国ならではのフレッシュトロピカルフルーツ、フレッシュトロピカルフルーツ生ジュース(長くてゴメン。なにしろ高級なので興奮しているのだ)がずらりと並ぶ。むろん、中華の点心やら西洋のオムレツやハムソーセージ、日本のお粥からベトナムのフォーという麺類までも並んでいる。コーヒーもうまい。どうだ、羨ましかろう。ワシも羨ましいぞ。ああもう食べられない朝食よ。それにしても相方は、私のたっぷり倍は食べていた。

 九時半にチェックアウト。空港へ向かい、ハノイへの国内線搭乗の手続きを済ます。とはいっても、相方がなにやらベトナム語で交渉するのを、私はぼさっと見守っていただけだ。どうやらまた、荷物の重量のことでもめていたらしい。
 昨日のことですっかり信用を失っているので、私はパスポートも搭乗券も、財布すらも持たしてもらえない。相方がてきぱきと事務をすすめ、金を払い、進んでいくのにただついていくだけの哀れな存在だ。
 こんなのをどこかで見たことがあるぞ……そうだ、黒ずくめの小柄な秘書についていくだけの、垢抜けないデブ。成田の税関で偽造旅券が摘発されたあの男……北のやんごとなき長男だ。とほほ。

 国内線の待合室は、昔の日本のひなびた空港のような風情。おばちゃんがライチのでっかい籠を持って歩いている。半袖開襟シャツのおっさんがジュースを飲みながら歩いてゆく。天井の扇風機が、のろのろと熱い空気をかき回している。
 ベトナム人はまだ公共の場でのマナーを熟知していないとみえて、順番は守らない、行列に割り込む、飛行機の通路を平気でふさいで談笑や荷物整理をおっ始め、通行の妨害をする。関西のおっさんおばはんに似ている。
 飛行機は十一時半にホーチミンを発ち、二時間後にはハノイに到着。

 ハノイでは相方が住んでいたころの運転手、ベトナム人のTさんが迎えに来てくれる。昨日のこともあるので、ありがたいことだ。
 Tさんは相方を見つけると諸手をあげて歓迎し、大きなバラの花束を手渡す。実直そうな顔をして、なかなか気障なところもある、と思ったが、ベトナム男性はこのくらい普通なのだそうだ。男は優しく、女は働く、そういうことになっているらしい。
 Tさんの運転で市内へ。ハノイは空港と市内が離れていて、一時間近くかかる。空港のまわりは一面の田園。日本のと同じような水田で農夫が田植えをしていたり、水牛が耕作していたりする。道を歩く人間は、女性はベトナムの菅笠、男性はハノイ帽という軍帽みたいなのをかぶっている人が多い。

 チェックインの前に近くのスーパーに寄り、ビールや水など購入。ビールは六千ドン程度、煙草は一万ドン程度。ここはやや高級な店なので、輸入商品が多く、ビールは定価だが食い物や煙草は高いのだそうだ。あとで道端で買った煙草は、二千ドンから七千ドンの間だった。

 ダイウーホテルにチェックイン。ハノイ繁華街からやや西、ツ・レ湖畔に建つ、ハノイ有数の高級ホテルである。
 堂々たる五つ星がホテルのレセプションに飾ってあるが、これはダイウーの創立者である韓国の金満おばさんが勝手に称している「自称五つ星」なのだそうだ。しかしながら窓から見える風景といい、その客室といい、サービスといい言うことなし。相方の斡旋がなかったら、泊まることなど想像もできないホテルである。

ダイウーホテル内装ダイウーホテル外景

 部屋に入り荷物を整理する。
 相方のトランク整理を見ていると飽きない。
 さんざん苦労したあげくベッドの上にトランクをのっけ、鍵をはずすと同時に、ぼわっ、という感じでトランクの中から荷物が噴出する。それまで圧縮に圧縮をかさねて収納していた荷物が、圧力がなくなった瞬間に元の容積を取り戻したのだ。
 それから荷物が出てくる出てくる。
 衣類、まあこれは普通だが、しかしジーンズからワンピースまで用途に応じてさまざまな種類が取りそろえられており、とても私のパンツの比ではない。むろん下着も多数取りそろえられていると思うが、こちらは見ていない。
 靴。オシャレなサンダル、日常用のサンダル、ハイヒールと三足ある。
 化粧品。なんだかんだと数十種類を持参するので、ひと瓶は小さくとも、総計で数キロになるらしい。おそろしくて考えたくない。
 カメラ。一眼レフと望遠レンズ、コンパクトカメラ、ビデオカメラの三種類。画質にこだわる相方は、滅多にコンパクトカメラで満足せず、重い一眼レフを持ち歩く。それも、かならずでかい望遠レンズを持ち歩き、スナップ写真を撮るのにも七十ミリ〜二百ミリズームを使用する。
 薬。胃腸薬、風邪薬、坐骨神経痛の薬、絆創膏、虫さされ防止スプレー、かゆみ止めスプレー、日焼け止めスプレー。これはまあ、普通だろうか。
 調理用バサミ。これはシャコやカニを食うとき使うのだそうだ。ソムリエナイフ。これはワインを飲むときのため。
 残りのほとんどは土産物である。ベトナムに住む日本人へのそうめん、味噌汁、日本酒、水ようかん、雑誌から、ベトナム人へのシャツ、ひじき、昆布、オモチャまで、数と種類に限りない。
 ついにはトランクの底から広辞苑まで登場したのは仰天した。なんでも、むかし日本に留学していた学生の勉強用に、日本の先生からことづかってきたそうだ。それにしても平気で広辞苑を言付ける先生といい、それを平気でトランクに入れる相方といい、その情熱には脱帽する。

 ちなみにトランク収納には逆の過程が必要となる。
 空のトランクをベッドの上に広げる。開いたトランクは、ベッドとほぼ同じ大きさである。これに荷物を詰め込む。衣類はここ、書籍はここ、陶器はここ、米はここ、野菜はここ、菓子はここ、と収納効率を考えながら詰め込んでいく。
 しかしいかに収納効率を考えたところで、限度というものがある。トランクの上には荷物が盛り上がっている。あきらかに、蓋を閉じるのは不可能である。
 ここから相方の奮闘がはじまる。まず紐をからめて、荷物が崩落しないように押さえる。この紐は伸縮するとはいえ、これほどの荷物を押さえるようには作られていないので、大木に雄牛を縛りつけるほどの剛力を発揮して、弾性の限界を超えてぎりぎりと紐を引っ張り、ようやっとフックにひっかける。
 それからトランクの蓋を閉じる。紐で縛りつけた側を押し上げ、エイッとばかりに反対側に押しやる。普通ならこれで閉じるのだが、むろんそんな簡単ではない。ふくれあがった荷物が邪魔をし、ふたつの蝶番のあいだには二十センチ以上の距離がある。
 そこで相方は、ヤッとばかりに飛び上がる。トランクの上に落下する。ここ数年で十キロ増加した全体重をトランクの上にかけ、軽からぬ体重でじりじりと荷物を圧縮する。かろうじて三センチにまで近づいた蝶番を、さらに剛力をもちいてむりやりに押さえつけ、強引に鍵を閉じる。
 トランクというものがこれほどの酷使に耐えるものだとは、不明にしてこれまで知らなかった。かくして、ホテルマンも運転手も空港職員も、だれもひとりで持ち上げることかなわぬ、ブラックホール並の比重を誇るトランクが完成するのである。

 ホテルの隣のオフィスビルにある銀行で両替。百ドルを百四十七万八千ドンに。ベトナムのドンはなぜか貨幣がなく、すべて紙幣である。十万ドンから百ドンまでの札があるが、すべてにホーチミンの肖像が描いてある。私は二百ドン札はいちどだけ拝んだことがあるが、百ドン札はついに見たことがなかった。

希少価値の二百ドン札(日本円にして一円ちょっと)

 ふだん流通している最低価格紙幣は五百ドン札で、それ以下の端数は切り捨てられるか切り上げられる。むろん、商人の都合の良い方針で使い分けられ、商品価格は切り上げ、お釣りは切り捨てられる。ま、日本円にして三円以下なのだから、どうでもいいが。
 ちなみに屋台やタクシー、バイクタクシーなどでは、五万ドンや十万ドンの高額紙幣は拒否される可能性が高い。タクシーの運転手も、たとえば一万八千ドンのところに二万ドンを出すと、お釣りがないといって金を返さないことがある。やはり「お釣りをください」はベトナムで必須の言葉のようだ。
 したがって五千ドンや二千ドン、千ドンといった細かい紙幣を常備している必要があるが、そのため財布はふくれあがる。だからベトナム人で日本式の二つ折り財布を使用する人はいない。たいていポケットに裸札を入れるか、あるいは高利貸しの持つようなチャック付きの袋に入れている。

 ダイウーホテルの左隣はオフィスビル、右隣はアパートになっている。オフィスビルには相方の夫君がかつて勤めていたODA関係の事務所がある。その横にはボランティア組織の屯所があって、ハノイ近郊で日本語や柔道、空手を教えたり、医療や出産介護をおこなう人々が来ている。もう少し専門的な、農業土木コンピュータなどの指導を行う専門家もここに来ている。彼らの一部は、向かいのアパートに住んでいる。

 なにしろ相方にとっては旧知の人々なので、いろいろと挨拶をして回る。相方の夫君の後任者の方にも挨拶する。この人が運転手Tさんの雇い主なので、空港出迎えや、後日のハロン湾までの運転に車と運転手を貸してもらえることを、丁重に礼を言う。
 そして相方は、おびただしい土産物を渡してまわる。これほどの人数だったから、あれほどの土産物が必要だったのか。
 もうひとつ私が誤解していたことは、ベトナムをバンコクなどと同等に考えていたことだ。
 ちょっと金を出せば、日本の食品だろうと書籍だろうと、手にはいるだろうとたかをくくっていたのだが、ベトナムには日本製品はほとんど輸入されていないのだそうだ。ベトナムは自国産業育成のため関税障壁を置いているので、輸入品の値段は高い。外国産の煙草、ビールが店頭に並んでいるのは、あれはライセンス生産でベトナム国内で作ったものだ。
 ごくわずかの高級スーパーに、日本人需要をあてこんだあやしげな名前のメーカーのワサビやウドンが置いてあるにすぎない。グリコのポッキー、JTのセブンスター、サンガリアのミルクコーヒーといった、由緒正しい日本ブランドの商品など、どこでも手に入らない。日本の書籍も本屋では手に入らず、日本から持っていった教材をコピーして生徒に配っているくらいだ。
 だから日本からの旅行者が持ってくる雑誌、日本食、煙草、菓子などはとてもありがたいのだ。とはいっても、「井川遙、生ツバごっくんの究極ヌード!」などという見出しの雑誌を抱きしめて感激することはないと思いますよ、ボランティアのNさん。

 夕食は現地企業のSさんの案内で、屋台の食い物屋をはしご。最初は西友の近くにある炭火焼き鳥店。道路にテーブル(ちゃぶ台もどき)と椅子(銭湯の椅子のようなもの)を並べ、店員は店の中で肉を金網のようなものにはさみ、炭火の上でひっくり返している。
 ここの腿焼き、鶏足も美味かったが、掘り出し物は自家製のどぶろく。確かレとかリーとかいったような気がするが、もち米を炊いて麹をつけ、瓶で数ヶ月発酵させるのだそうだ。焼酎もどきの味かと思っていたが、意外とアルコール度数は低く、濃厚で繊細、やや甘めの味わいは、日本酒の濁り酒そのものだった。とにかく口当たりがいい。口当たりが良すぎて、たいがい酔いつぶれるそうだ。侮るべからずベトナム。酒と料理ぜんぶで、三人で五万八千ドン。
 そこから線路沿いにしばらく歩き、次に行ったのが旧市街の居酒屋通り。かまびすしい呼び込みを逃げながらひとつの店に入り、ルアモイというベトナムウォッカ(とはいいながら米で作った蒸留酒なので、ウォッカとは何の関係もない。タイの米ウィスキー、メコンと同じだ)とハノイビール、それにタニシの炒め物と白身魚の炒め物、イカフライを注文。タニシは日本のものよりはるかに大きい。サザエくらいの大きさがある。三人で十三万ドン。
 どれも美味しかったが、どれもこれも大皿山盛りで出てくるので、無念なことに残してしまった。もっともベトナムでは料理を残すほうが礼儀正しい行為だそうで、出された料理を食べ尽くすことは、この家では餓死寸前なほどちょびっとしか食わせてくれない、と侮辱することなのだそうだ。

 もっとも相方は、その大量の料理を食べ尽くさんとする勢いで食べている。あまつさえ、もっと他の料理を頼もうとメニューなど眺めている。その食欲には限りがない。
 そもそもこの相方、ベトナムに来てから、ずっと手帳になにごとか書き付けては溜息をついている。恋でもしているのかと覗いてみたが、それはベトナム滞在中の日程表で、毎日の朝、昼、晩のごはんをどこで何を食べるか、きわめて詳細に予定を書いている。そして
「あああああ、二十日なんて短い日程じゃ、ベトナム料理食べ尽くせない。でもこれとこれはどうしても食べたいし、これとこれも落とせないし。ああああああ、いちどに二回食事ができたらなあ」
 などと呟いている。
 ベトナム料理といえばあっさりした味付けとヘルシー感覚で有名だ。ベトナムのアオザイ女性がいずれも細身の美人であるように、ベトナム人で太った人はあまりいない。それが相方は、ベトナム滞在中になぜか五キロ太ってしまった。これは仲間内でも謎とされていたが、その理由の一端がここでわかったような気がする。ちなみに、相方は日本に帰ってからさらに五キロ太った。

 もうひとつ残念なことは、ハノイではたとえばバンコクに比べ、ビールを冷やそうという精神が希薄なことである。平気でぬるいビールを持ってくる。ぬるいと言うと、氷を持ってくる。これだけが残念だ。
 メシがフィリピンより美味く、ビールがタイより安いベトナム。ここで、ジョッキまで凍結させ、ちょっとでも余計にビールを冷やそうとするタイの精神をすこしでも受け継いでくれれば……残念でならない。

 ハノイの夜は、昼にも増してバイクが多い。司馬遼太郎が書いたような、一台に5人も6人も乗るバイクこそないが、三人乗りは当たり前。最高で四人乗りがいた。それに拮抗するのが自転車で、無灯火のくせに(ハノイで売っている自転車には、そもそもランプがない)バイクと互角に戦いながら街を走る。
 ハノイもホーチミンも、排気ガスは相当すごいらしく、マスクをしている人をよく見かける。それにしても、アオザイ姿で顔の下半分をすっぽりスカーフで覆っている女性を見たときは、さすがにその異様さに驚いてしまった。ゲリラかあんたは。

6月21日

 朝、豪雨が窓を叩く音で目覚める。
 ちょっとのどが痛い。ハノイの排気ガスか煙草の吸い過ぎか、ホテルの冷房で風邪を引いたのか、原因はよくわからない。
 元気な相方はホテルの下に朝食に行くが、私は遠慮して、そのまま寝る。
 すこし元気になったところで、ダイウーホテルに勤務するHさんを誘い、十一時半に近所で昼食。近くの大衆レストランのようなところへ。相方のハノイ駐在時代(なんか磯村さんみたいでエラそうでよろしい)の行きつけの店だったそうだ。
 ビール、酔海老(活き海老を灼熱した鍋に放り込み、焼酎をそそいで蒸したもの。ぷりぷりしている。ライムと塩で食うとうまい)、野菜炒め(各種色とりどりの唐辛子味の野菜炒め)、ウナギの香草炒め(香草がうまい)、マーボー豆腐(唐辛子に頼らず、地道にダシの味があってうまい)など。海老が高かったが、それでも総計で十六万ドン。
 定食屋では、料理を注文する前に、つけあわせの野菜をかならず持ってくる。これが日本の感覚ではナマで食べないものが多く、レモングラス、わけぎ、ショウガ、バジル、ミント、ドクダミ、コリアンダー、梅の葉、得体の知れないツル植物、などなど。しかしながらこれらの香草を生でかじるのは、毒消しにもなり、前の料理の後味を精算したり腹をすかせる作用もあって、慣れると心地よい。私は旅行中にすっかり気に入ってしまい、日本に帰ってからも道端の雑草にかじりつきたい衝動と戦っている始末である。

ダイウー前の通り

 ダイウーの向かいには、社会主義の発展を目指すようなスローガンの看板がある。このての看板はどこにでもある。どんな田舎だろうが場末だろうがある。ホーチミンの肖像や、未来の理想国家を夢みる少年少女やらが、看板に描かれている。さすが社会主義国である。その看板に見おろされながらも、ハノイ市民は別になんということもない表情でバイクを走らせてゆく。

 食後、近所のお茶屋さんに寄る。ここも行きつけの店だったそうだ。いったいいくつ行きつけていたのだ相方よ。
 むかしの田舎の駄菓子屋、という感じの店舗の前に古びた木のテーブルがあり、そこに缶ビール、ジュース、煙草、ホビロン(孵化直前のゆで卵)、お茶などの商品を並べている。そのテーブルの前の、やはり古びた木の椅子に座る。
 ルーキー新一を好人物にしたようなオヤジが出してくれたのは、かなり濃いめの熱いお茶。龍井茶のようにお茶っ葉をコップに入れ、熱湯を注ぐ。満腹がすっとする。さらにオヤジのサービスで、蛇酒も出してくれる。焼酎のレモン割のような味で飲みやすいが、蛇のなごりは浮いている白いもやもやのみ。
 ここのオヤジは、小太りで白髪混じりで、顔をくしゃくしゃにして笑いながらなにごとか話しかけてくれるが、ベトナム語なので皆目わからない。店の奥には、このオヤジが若い頃にとった写真が飾っているが、これがなんというのか、派手な背広を着てなぜかマイクを持ち、ポーズをとっている。一昔前の売れない演歌歌手のようだ。聞けばベトナム人は、写真をとられるときポーズをとるのが好きだそうで、やたらと七十年代の週刊明星のようなアイドルポーズをとりたがるらしい。

茶屋のオヤジと孫娘

 二時ごろ出発し、ハノイ東端に近い革命博物館に行く。ここには平成ガメラの監督、金子修介の父親がベトナム戦争時に毎日つけて会社に通勤していた、「アメリカはベトナムから即時撤兵せよ!」というゼッケンが保管されているそうだ。みうらじゅんが書いていた。ちょっと、情報源としては疑わしい気がするが。
 パンフレットはいい紙を使っていて中の写真も綺麗なのだが、どうやら開館以降メンテナンスを怠っていたようで、実際には三十年前の日本の木造の小学校のようなものとなっている。冷房もなく、扇風機のみ。なんとなくカビ臭い。
 植民地時代から現代までのベトナムの独立運動の歴史を、写真や物品で解説している。写真が多いのは、戦災で焼けたからしかたないか。最初ゆっくり見て回ったので、米軍との戦争に突入したころに閉館時間が迫ってしまい、あとは駆け足で。金子父のゼッケンは、残念ながら見つからなかった。やはりみうらじゅんのフカシか。

 いったんホテルに戻り、六時からボランティアの人たちと山羊料理屋に行く。ロ・ゼとかいう店。
 最初に山羊の血の酒(残念ながら、焼酎の味しかしない)で乾杯した後、山羊のミミガー、薄切り焼き肉、肝焼きそばなどをつけあわせの香草と一緒に春巻きの皮で包んで、ゴマダレや塩辛ソースにつけて食べる。春巻きの皮は乾燥したものを水で戻さずそのまま巻くのだが、とても薄いので素材の水分でちょうどよい食べ頃になる。
 最後は山羊鍋。山羊の皮に近い脂の乗った肉を煮込んだ土鍋が、炭火こんろに載って登場する。これに苦みのある青菜や豆腐、フォーなどを放り込んでいただく。スープが美味い。山羊肉のほかに豆鼓らしきものも入っていたし、カレー味もすこし足してあるようだが、これが複雑な味わいでうまいのだ。
 それにしても、山羊がまったく臭くない。ヨモギで匂いを消しても臭みが残る沖縄の山羊汁とはまったく違う。よほど調理方法に苦心しているのか、それとも沖縄の山羊とベトナムの山羊では品種が違うのか。八人で腹いっぱい食ってビールも飲んで四十万ドン。なんか居酒屋の広告のような台詞だが。

 このあと屋台のカフェでアイスコーヒーをいただく。コーヒーがうまい。本物の豆だ。これだけはタイが逆立ちしてもかなわない。なにしろ豆の産地だからなあ。ただ、やたらに甘い。べとべと、といっても過言でないくらい甘い。もうちょっと甘みを抑えた方が、コーヒーのほろ苦い香りを生かせると思うのだが。

6月22日(金)

 ちゃんと朝に起き、メシを食いに出かける。
 旧市街近くのフォー屋へ。これまた、相方行きつけの店だったそうだ。フォー・ガーを頼む。薄味の鶏スープの中に米で作った平麺が浮かび、茹でた鶏ささみが載っている。これに香草を入れ、揚げパンをちぎり入れ、ヌクマムやチリソース、唐辛子酢などふりかけて食する。八千ドン。
 ホーチミンのミーや日本のラーメンが、他になにもつけくわえる余地のない完璧な味だとすれば、ここのフォーは客と協力してつくりあげる味。鶏ガラのダシがよく出たあっさりスープも美味いが、これにチリソースや唐辛子酢で味付け、揚げパンをひたして作りあげる味はもっと美味い。残念なのは香草の中に、私の好きなコリアンダーがなかったことで、聞けば北部ではコリアンダーはあまり使わないとか。

 旧市街の中にあるハンコ屋へ行く。ここでは注文通りにハンコを彫ってくれる。主人は日本語が読めないので、日本語の場合は、書いたそのままを彫るので誤字に注意しなければならない。
 二十八日夕方完成。小さいハンコは九ドル、大きいハンコは十二ドル。
 こういうのを見ると、つい楽しくなって作ってしまうもので、私もこういうのを作ってみた。ううむ、日本語の方は、本当に私のヘタな字をそのままに彫ってしまっているなあ。本当は、勘亭流のぶっとい字体にしたかったのだが。なんだか、ナンシー関の消しゴム版画のようだ。

ハンコ

 このあとTシャツを買う。
 最初から現地調達の予定だったので、シャツが早くも不足を来したのだ。ホーチミンの柄とタイガービールの柄二枚で四万ドン。
 実はパンツ事情も逼迫しているのだが、こちらは見あたらなかったので、今ある四枚でローテーションを組み、なんとか乗り切るしかない。
 なぜか私が、旅先でいつも後悔することは、「パンツ、もう一枚持ってくればよかった」ということだ。なぜ私は、たいして重くもないパンツをケチるのであろうか。あと一枚パンツがあれば、心に余裕を持って旅ができるのにと思ったことが、これまで何回あったろうか。我ながら情けない。
 死ぬまでに一度くらい、パンツが潤沢な旅行をしたいものだと思うが、かなわぬ夢かもしれない。
 しかし、この私の現地調達が、次なるトラブルを引き起こそうとは。

 帰りに旧市街の近くで客待ちをしていた運転手と交渉したのだ。メーターでOKと言ったのだが、その運転手、車を動かし始めてすぐ、二ドルよこせと言ったのだ。冗談じゃない、そんなら降りると乗車を拒否。するとその運転手、初乗り料金の一万四千ドンよこせと言うのだ。おいおい、五メートルも動いてないぞ。
 話にならない、とタクシーを出て歩き出すと、運転手が凄い形相で追いかけ、私のリュックの紐をつかんで話さない。こら、なぜ相方でなく私を捕まえるのだ。こっちのほうが与し易しとみたか。そんなら、残念だが、あんたの人物眼は正解だ。
 相方と運転手でなにごとかベトナム語で言い合う。言い争いになると、わらわらと近くの住民が寄ってくる。なんだか険悪な雰囲気だ。外国人とベトナム人、どう考えてもベトナム人に加勢するにきまっている。ああ、石もて追われるのだろうか。
 しかしここで、ラーメンマンのごとく救世主が出現する。同じ会社の運転手が仲裁にかけつけ、双方の話を聞いて、それはおまえが悪い、ちゃんとメーター通り走れ、と同僚を叱る。マシンガンズ対宇宙凶悪コンビの一戦で見せた名レフェリングのような裁定で、どうやら一件落着。ほっ。

 ホテルに帰り、犬を食いに行く。
 相方は所用あって行けないということなので、ベトナム人の知人にガイドをお願いする。
 むかし日本に留学していたTさんと、こんど留学するCさんだ。Tさんとは日本で飲んだこともあり、日本語は達者。Cさんはうら若き美人で、ややたどたどしいながら、立派に日本語を使いこなす。日本ではヘンな男にひっかからないよう、ご注意を。
 ハノイの北にある西湖(ややこしいなあもぅ)を越えたあたりに、犬料理の店が多数並んでいる。ベトナムでは、月の初めは犬を食べないらしい。なんでも犬を食うと、その月いっぱいはツキがないという、駄洒落のような信仰があるそうだ。  ちなみに今日はベトナム旧暦で二日。ということで、西湖の先にある犬料理屋街は、ほとんど店を閉めていた。おそるべし信仰。閉めた店のすき間から、未来の食材たるお犬様が吠えついているのが恐ろしい。

 ようやく開いている店を見つけ入った。高床式住宅のような建築物の二階にござが敷き詰めてあり、そこに新聞紙をひいてテーブルとし、そのまわりにあぐらをかく。まずは付け合わせの香草とヌクマム唐辛子、ライムと塩、マムトムという塩辛のような汁が運ばれてくる。
 犬料理は七種類の調理法があるそうだが、そのうちの四種類を食べた。犬のレバーとバラ肉を茹でたもの。犬肉のターメリック・レモングラス風味炭火焼き。犬肉煮込み。犬の腸に血や臓物を詰めて炒めたソーセージ。これらをライム塩かヌクマム唐辛子、マムトムなどにつけて、香草と交互に食べる。香草はレモングラス、ショウガ、空芯菜、梅の葉、ネギ、ドクダミなど。予想していたのと違い、まったく臭みはない。Tさんが言っていた通り、豚肉と区別がつかない、というか豚肉より臭みがない。
 ただし、マムトムは臭いよ。ナンプラーと腐乳を混ぜてさらに発酵させたような臭い。もっとも、これをちょっとつけて食うと、茹で肉がおいしい。朝鮮にツユクという豚の水煮にアミ塩辛をつけて食べる料理があるが、あんな感じ。
 これらを「ネー」というもち米から作った濁り酒とともに食う。私はわからなかったのだが、「この店の酒はできが悪い」ということなので、途中からビールに切り替える。ほろ甘くてやや酸っぱくて、私好みの味だったのだが。ううむ、できのいいレーは、どんなに美味しいのだろう。それとも世界各地の観光地で囁かれている、「来週来れば最高だったんだけどねえ」と同類の言葉なのだろうか。

 帰りに西湖畔の、いわゆる「オシャレなカフェ」に寄る。ハノイのカップルがよく立ち寄るところだそうだ。上の階に上がり、湖を見下ろす席に座る。
 たしかに湖畔の景色が美しい。昼だというのに、激しくいちゃついているカップルが一組いた。昼間にしては、そのむしゃぶりつくような愛撫はいかがなものか。ここは社会主義国だぞ、と憤慨しながらも、「未熟な米でつくった濁り酒」というのを飲む。もち米のどぶろくとは違い、未熟なせいか植物の味、そう、さとうきびの香りがかすかにする。そら、こんな甘くて美味い酒を飲まされたら、たいがいの女はイチコロだ。あの濃厚カップルも、この酒を飲んだのだろうか。

 Tさんは三時から用事があるというので、早めに戻り、ホテルのプールで泳ぐ。プールサイドの寝椅子に寝そべって、自分の部屋があるあたりを見上げるのは、とてもゴージャスな気分。うふ。

ぞんざいなメリーゴーラウンド

 五時頃、相方が戻ってきたので、しばらく湖畔を散歩する。
 千ドンの入場料を払って入ると、中は遊園地兼動物園になっている。鹿や象の形に切り抜いただけの板を針金で天井から吊したような、えらくショボいメリーゴーラウンドや、どこに運ばれていくのか不安いっぱいの園内遊覧汽車などに混じって、インド象、ニホンジカ、カニクイザル、マレー虎、なんだかよくわからない食肉目の動物などがいた。
 園内の売店では、日本の縁日などで売っているオモチャをさらにいかがわしくした商品や、戦隊物ヒーローやミッキーマウス、ピカチュウなどのキャラクターを凶悪な顔に改悪したような風船などが売っていた。雨が降り出してきたので、急いで退散。あっという間に、物凄いスコールとなった。

 ODAの仕事をしているS夫妻に招かれ、六時からホテルの中華料理屋で夕食。豪雨なので、ホテルから出ずに済んでよかった。S夫妻も隣のアパートに住んでいるので、外に出ずに済んだし。
 いくら注文しても定額料金という、オーダーバイキング方式の店だが、あっさりした味付けで美味だった。中でも干し海老と干しシイタケでダシを取ったスープと、食後のココナツプリンが美味だった。ココナツが新鮮だからこその味だろうか。ひとり十五ドルくらいだったかな。

 ホテルや高級レストランでは英語が通じるとはいうものの、普通の店ではもちろん、デパートの店員やタクシーの運転手にも、英語は通じないことが多い。英語を喋る人間でも、ベトナム人の英語は癖があって慣れないと聞き取りにくい。本当は私のヒアリングに問題があるのかもしれないが、強引にベトナム人のせいにしておく。
 やはりベトナムは、バンコクやマニラほど国際化されていないので、最低限のベトナム語くらいは覚えていったほうがいいようだ。さて、最低限とはどのくらいだろう。

 1から10までの数字、千、万。
 こんにちは、ありがとう。
 おいしい。
 このレシートの、これは何なんだ。
 こんなもの頼んだ覚えはないぞ。食わない。
 このぶんの金は払わない。
 これはいくらですか。
 高い、まけろ。
 話にならない。
 そんな高いならいらない。
 ふたりで一万ドンだと、最初に言ったじゃないか。
 釣りをちゃんとよこせ。
 冗談じゃない。ふざけるな。いいかげんにしろ。
 オレは怒っているんだぞ。無礼者。
 その手を離せ、馬鹿野郎。
 上等じゃねえか。警察でもなんでも寄んでこいやゴルァ。
 嘘です、冗談です。警察は呼ばないでください。なんとか穏便に。
 お金は払いますから、命ばかりはお助けください。

 ちなみにベトナムは本当はいいところです。ここに書いたのは笑いを取るための誇張です。ベトナムは安全です。命までは取りはしません。たぶん。おそらく。ひょっとしたら。でも。


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