ホーチミンの洗礼

6月19日(火)

 成田空港で午後三時に待ち合わせ。懸案のパスポート問題も解決し、チェックゲートでは旅行予定表を見せれば通れた。意外と簡単なものだ。あれなら自分でプリンタから「猫の森ツアー。六月十九日成田発イスカンダル行き銀河鉄道出発。途中冥王星で機械の身体を各自購入のこと」などと書いて見せれば通るのではないか。どなたか、試してはくださらぬか。

 待ち合わせ場所に姿をあらわした、相方の風体が尋常ではない。別に変な格好をしているわけではないが、荷物の量が多すぎるのだ。手提げバッグがひとつ。機内持ち込みであろうか。大きな手提げバッグがひとつ。これは持ち込むのか預けるのか、微妙なところだ。大きなトランクがひとつ。まことに大きい。そして重い。さらに大きな段ボール箱。なにごとであろうか。ショッピングバッグに日本酒二本。これは土産物だそうだ。
 さらにそれぞれの荷物の重量が、また尋常ではない。相方は、
「羊羮とかカメラとか入ってるし……」
 と言い訳するが、人工でこれほどの比重を達成することができるのであろうか。

 ともかくチェックイン。機内持ち込み以外の荷物を預ける。私は布バッグひとつ。相方はトランクと段ボール箱。その合計重量は、六十七キロであった。私の布バッグは、七キロ。確認したのだから間違いない。空港職員を拝み倒して、重量オーバーをなかったことにしてもらう。
 空港で両替。円安傾向が続くので、そのうち円が上がったとき両替しよう、と時機を待っているうちに出発当日になってしまった。しかも、また昨日より一円下がっていた。シクシクシク。とりあえず、八万円をアメリカドル634ドルに両替。
 出国審査を終え、免税エリアに入ると、相方がさらに買い物をはじめる。土産物がまだ足りないとかで、タバコ六カートン、煎餅一箱、そして自分用に化粧品を買う。これでさらに荷物が増えた。

 午後五時過ぎごろ、搭乗。今回のフライトはベトナム航空とANAの共同運行だそうで、機体はANAのものらしい。スチュワーデスも日本人が多く、期待していたアオザイ姿のスチュワーデスは、ひとりしかいなかった。
 さすがにANAの機体だけに、私がいままで乗ってきた格安航空会社とは違う。シートがちゃんと倒れるし、頭上の手荷物入れがわけもなく開いたりもしない。イヤホンからはちゃんと音声が聞こえてくる。なによりも各席に液晶画面があり、ビデオ、映画、音楽、ゲームを自由に楽しむことができる。もっとも私はずっと、機内寄席で故枝雀師匠の落語を聞いていた。
 私にとってみればこれ以上ない豪華座席なのだが、相方は「狭い。きつい」と不平をいう。いままでは職員夫人ということで公用のため、ビジネスクラスに乗っていたのだそうだ。そりゃ、ビジネスクラスと比べたら、あんた。

 現地時間の九時半にホーチミン着。二時間の時差があるので、約六時間の飛行となる。
 ベトナムの空港職員は平気で賄賂を請求してきたり、渡すべき書類をわざと渡さなかったりハンコを押さなかったりして、出国の際に書類不備で金を巻き上げようとする、などと事前にさんざん脅かされてきたが、そんなこともなく、すんなりとチェックを過ぎる。大量にして超重量の荷物も、ぶじ戻ってくる。
 時間が遅いので、事前にホテルのリムジンを頼んでいた。リムジンといっても、普通のタクシーと同じ。もっとも普通のタクシーは、もっと壊れていたり汚かったりするのだそうだ。ソフィテル・プラザ・サイゴンへ、空港から二十分くらい。
 夜のホーチミンは意外と涼しい。Tシャツ一枚では寒いくらいだ。

 ホーチミンに着いてから、ホテルの手配、タクシーの交渉、すべて相方のひきまわしに従う。こんなに楽でいいのかしら。と思っていたら、やはり後でバチが当たった。
 われわれは現地通貨を持っていない。時間が遅かったので、空港でも両替ができなかった。とりあえずホテルで、相方が百ドルを両替。私は両替せず、翌日のハノイまでは相方の財布から支払うことにする。
 あとになって考えると、これが幸いした。

レックスホテル

 まあ一杯いこうやということになり、相方おすすめのカラベルホテルのオープンエア・バーへ行く。王冠で有名なレックスホテルから、歩いて数分のところ。
 もう十二時近いというのに、通りはけっこう混みあっている。暑いので外に出てくるのかもしれない。カップルが抱き合ったりキスしたりしているのは、どこの国でも変わらないのか。
 ベトナム国産ビールは、333(バーバーバーと読む)とハリダが有名な銘柄で、タイガービールはそれよりちょっと上等らしい。タイガーを頼む。冷たくてうまい。
 さらに当店オリジナルカクテル「グッドシクロドライバー」を頼む。たいした味ではない。トロピカルドリンクとラムを混ぜた、ロングかショートか中途半端な味。それにしても、いま思えば、なんて予言的な皮肉な名前だったことだろう。
 生ビールとカクテルを飲み、ふたりで25万ドンくらい。ベトナムの通貨ドンは、おおまかに1円=120ドンのレートなので、日本円にして二千円くらいか。これでもベトナムでは高い部類なのだそうだ。
 やや腹がすいたので、ホテル前の屋台でミークァン(ラーメン)を食う。四千ドン。これが絶品だった。鶏ガラ主体のダシなのだろうが、日本で流行の「サンマでっす」「トンコツでんねん」と強固に自己主張するのではなく、はんなりと控えめに、でもしっかりとダシが出た、淡い塩味のスープ。ロース系の焼き豚。ニラとモヤシ。煎餅のようなカリカリの海老天。中太やや固めの縮れ麺。これらが実によろしいハーモニー。美味い。惜しむらくはラーメンに、前の人のものらしいフォー(米で作った平べったいきしめんのようなもの)が数筋混じっていたことだ。

 帰りは歩いて帰るつもりだったが、シクロの運転手がしきりに話しかけてくる。相方となんだかんだベトナム語で話していたらしいが、そのうち相方の気が変わり、シクロに乗って帰ることになった。
 二台のシクロの先頭に相方が乗り、私が乗ったシクロが後を追う形になったのだが、これがやけにのろのろと走る。ここで不審に思って怒鳴ればいいのだが、私の身体には良心回路ならぬ安心回路がある。この安心回路、何の役割を果たすかといえば、なんの役にも立たない。黒鉄ヒロシの唱える安心理論のようなものである。
 このときも私の安心回路が働き、
「ああ、太った男が載っているから、運転手も疲れてノロノロ運転なのだな」
 と、自分で自分を納得させてしまったのだ。みるみるうちに先行車が見えなくなる。それからがいかん。シクロはのろのろと走り、なんだかやけに十字路を曲がる。方向音痴でホーチミン初体験の私には、もはやどこを走っているのか見当もつかない。ここはどこだ。今どこにいる。私はどこだ。
 しかしながらこの期に及んでも私の安心回路は作動し、
「ま、ホーチミン市にはシクロ侵入禁止区域があるときいているし、それで遠回りしているのだろう」
 と考えた。しかしながら、はてこんな遠い道のりだったかと思案するうち、シクロは止まり、路上のタクシーを指差す。どうやら、ホテルにはシクロが乗り入れできないので、このタクシーに乗り換えろ、といっているようだ。
 なにはなくても、私の安心回路だけは快調に作動する。
「ま、しかたないな、乗り入れ禁止なら。そんなこともあるさ。アデュー」
 と素直にタクシーに乗り込む。
 ところがシクロの運転手は、ここまでのシクロ代を払え、という。
 私は金を持っていない、同行者が全額払うことになっている、と言うと、いきなり眼鏡をむしり取られた。どうやら私の眼鏡は、ゆすりたかりの人種にとっては、むしり取ってみたくなる魅力に満ちあふれているらしい。
 さすがにここで私の安心回路もショートした。ギルの笛のごとく、不安感と恐怖感が私の身体をかけめぐる。おい、こら、おまえらなにすんねん。どないせいっちゅうねん。こら。……ま、待て、話せばわかる。
 シクロの男はうってかわった凶悪な表情で、金を払えと執拗に主張する。
 わたしは真実を語るのみだ。金は持っていない。ホテルに戻れば同行者が払う。
 男はなおも私の主張を信じぬらしく、私のポケットに勝手に手を入れてきた。そして本当に一文もないことを確認すると、舌打ちをして空の財布だけを奪っていった。
 あとで相方に確認したが、このシクロマンは最初から私を狙っていたらしい。そういえば乗るとき、私がこっちに乗るようにと、なぜか強硬に主張していた。どうやら男のほうが金を持っていると踏んだらしい。それがとんだ当て外れだったわけだ。いやしかし、被害が空の財布ひとつで本当に幸運だった。デジカメや時計を奪われなくて。
 しかしながら、ベトナムにもぼったくりやスリだけでなく、このような暴力的行為にでる輩がいるということを確認した一幕であった。「ベトナム人相手には、暴力的行為にでてはならない」と書いてたやんか、ガイドブック。相手が暴力に訴えてきたら、どないすんねん。ま、私らも、「深夜のシクロには、けっして乗らないこと」という注意を無視した結果ああなったのだから、痛み分けといったところか。とりあえずみなさまも、暗くなってからのシクロにはけっして乗りませんように。明るいうちもできれば乗りませぬように。

 乗り換えたタクシーの運転手はグルなのかグルでないのか、もうひとつよくわからない。外見は初老のおだやかそうな人物だったが、邪推すればできないことはない。刑事の取り調べでいえば、シクロのあんちゃんがガンガン追求する若い刑事、タクシーのおっちゃんがそれを取りなして情で落とす人情老刑事と、考えられなくもない。とりあえず、私を無事にホテルまで送り届けてはくれたが。
 帰る途中、その人情老刑事は、しきりに「あのシクロドライバーはNo.10だ」と語る。そのときはどういう意味かわからなかったのだが、あとになって米兵由来のスラングであると知る。ナンバーテンとは、「最低野郎」という意味だということだ。
 結局、捜索費用も含め十五万ドンかかった。思えば高いシクロ代だった。

 ひとつラッキーなことはといえば、迷子を達成できたことだろうか。
 私は自他共に認める方向音痴で、出かけた場所では国内海外問わずに、かならず迷子になることにしている。というかそうなる。そのうち、「世界中で迷子になったスーパー方向音痴」としてデビューする予定だ。
 今回の事件は、受動的だとはいえ、まったく知らないホーチミンの、わけも分からない細道を、深夜、言葉も通じない凶悪な運転手とふたりぼっち、さまよった、ということで、その物理的移動距離といい、心理的不安感といい、これは「ホーチミンで迷子になった」と称してしかるべき事件だったと愚考する。これでまた、迷子がひとつ増えた。


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