自分以外全部移動

「どうも、うまくいかないんだよなあ」
 繁村は三杯目の大ジョッキを飲み干し、ため息をついた。
 彼は自分では発明家を名乗っている。昨年までは、とある大企業で結構有能なエンジニアとして勤めていた。ところがなにを思ったか、会社を辞めてしまい、家にこもって彼の言う「大発明」に没頭している。ということでまだ発明した件数はゼロだから、発明家というのはおかしい。只のぷう太郎だ。
 最近どうしているか気になって連絡してみたら、意外と元気だった。やはり人恋しいらしい。酒に誘ったらホイホイついてきた。ただし酒代こちら持ちという条件だったが。

「なにがうまくいかないんだ」
 俺はたずねた。大ジョッキ三杯分は楽しませてもらうぞ、てめえの面白おかしい失敗談とか笑える悩みとかを聞かせてもらってな、と思いながら。
「タイムマシンだ」なぜか背筋を伸ばせて、繁村は宣言した。
「タイムマシン?」
 俺は驚いて聞き返した。いきなり超メジャーな夢の発明品名が登場した驚きが半分、ああ繁村ももう駄目だ、電波入ってる、との哀れみが半分の気持ちで。
「いや、おまえが笑う気持ちはわかる。でも俺はタイムマシンを作ったんだ。半分な」
「半分?」
「あ、おねいさん、大生ひとつ」

「俺は時空を人工的に移動させる方法を発見したんだ」
 四杯目のジョッキをいっきに半分あけ、繁村は言った。目が据わっていた。
「つまりだな、お前のような馬鹿にわかりやすいようにたとえると、時空とはひとつの帯のようなものだ。これをだな、ある手段でえいっと引っ張ってやる。すると帯はたぐられ、折り畳まれるような格好になるな。その分、時空は移動するのだ。ま、本当はこんな単純な話じゃないがな。馬鹿に分かりやすいように話しているのだ。馬鹿に」
 まずい。こいつの酒癖は悪いのだ。酔うとひっきりなしに絡みはじめる。やばい、と思った俺は、機嫌をとりにかかった。
「それは凄いじゃないか。時空を移動するということは、時間旅行だろ? なぜそんなぼやくんだ」
 繁村は科学知識のない俺を哀れむような目で見て、ジョッキの残りを干した。
「そうはいかんのだ。時間旅行をするには、その人間の時空だけを移動させなければならん。ところがそれができんのだ。どうしても、全世界のすべての時空が一斉に等速に動いてしまうのだ」
「なるほど、この世のすべてが百年未来に行ったら、未来だとはわからんな」
「やっとわかったか。問題はそこなのだ。あ、おねいさん、大生ひとつね」
 こら、俺のおごりだぞ。勝手にどんどん頼むな。

「一部だけ時空を移動させる方法はないのか?」
「だから、その方法が見つからないと言っておるだろうが。ええい。あ、馬刺ひとつ」
 もはや歯止めがきかない、暴走する酔っぱらいと化した繁村は、ビールを呷りながらぎらついた目で俺を睨んだ。
「移動させない方法なら見つけた。時場を作ると、その中の時空は移動しない。しかし、時場を作るには、多大なエネルギーが必要だ。とてもじゃないが、全世界を覆うような……」
「待てよ」
「え?」
「一人だけ、操作者だけを覆うような時場は作れるんだな」
「それは可能だ。しかし……」
「それでいいじゃないか」
「へ?」
「操作者以外のすべてが百年未来に移動したら、操作者は百年過去に移動したのと一緒じゃないか」
「あ……」

 それから繁村は不意に酔いが醒めたらしく、すごい勢いで紙に何かを書き付けはじめた。なにやら難しい数式で、俺にはとても理解できない。
「それは可能だ」
 数十分後、顔を上げた繁村は、そう宣言した。
「さっそくその線で試作してみよう。ことは急を要する。じゃっ」
「おい、ちょっと待て」
 居酒屋から逃げようとする繁村を、俺は呼び止めた。

「何だ?」
「お前、時空はひとつの帯のようだと言ったな。何らかの方法でそれをたぐると言ったな」
「ああ、まあ素人向けの言い方だが」
「いちいちうるさいな。だがな、そうすると帯の一部が、Zという文字のように、三重になるんじゃないのか。その部分はどうなるんだ」
「そこはよく分かっていない。たぶん、パラレルワールドのようにして、独立した時空として存在するんじゃないかな。じゃっ」

 

 繁村が消えてから二ヶ月が経った。
 繁村の試作機は成功したらしい。ただ、繁村の理論で、ひとつ間違っているところがあった。
「てやんでえ、ぼさっと突っ立ってるんじゃねえぜ!」
「あ……すいません」
「どこの椋鳥だかは知らねえが、天下の往来でうろうろされちゃ、こちとらの商売の邪魔でい!」
 ちょっと考え事をしながら歩いていたら、ならず者らしき町人姿の男にぶつかられ、因縁を付けられてしまった。
「ごめんなさい」
「御免で済めば大岡様はいらねえんでい! おう、この落とし前どうつけるんでえ」
「ちょっと、よしなさいよ馬さん。その若い衆だって、悪気があるわけじゃなし」
 長屋のおかみさんが助け船を出してくれたが、馬という男はそのくらいでは引き下がらない。
「へっ、こちとら、らくだの馬って名前で、ちったあ知れたお兄いさんだ。それが突き飛ばされて、はいそうですかでは済まねえなあ」
「ええと、あの、まことに些少ですが、こんなところで……」
「え? 金? 金でカタがつく問題じゃねえんだ。とはいうものの、えへへへ……そうですか……そう下手に出られては……すいませんねえ……よし、この銭でフグでも買っていっぱいやるか」
「それは、買わない方がいいと思うんだがなあ」
 さんざん啖呵を切られ、いくばくかの金を出して、ようやく俺は家に帰り着いた。

 重なった時空は融合するのだ。
 どうやら繁村は、二百七十二年ほど未来に移動したらしい。つまり我々が百三十六年ほど過去に引っ張られ、百三十六年前の世界、さらに百三十六年前の世界と一緒に折り畳まれ、融合してしまったのだ。繁村はなぜ二百七十二年後に行きたかったのか、そんなことは知ったこっちゃない。おおかたシャアのメモリークローンにでも会いに行ったのだろう。
 いまから百三十六年前は千八百六十四年。幕末の時代。さらに百三十六年前は、千七百二十八年、将軍吉宗の享保の改革のころだ。いま世間では、現代と幕末、そして享保が奇妙に融合している。街をちょんまげの武士と背広のサラリーマンが行き交うし、古本チェーンのブックオフの店の前では、浮世絵版元の蔦屋とペンクラブ会長の山東京伝が並んで抗議していた。

 家に帰って、新聞を開く。一面では、失言暴言ですっかり株を落とした現総理に代わって、徳川慶喜と尾張宗春とが次期総理の人気ナンバーワンを争っていると報じている。アメリカでは、ペリー前国防省長官とペリー提督が、日本に行くのはどっちかと大喧嘩しているらしい。アムネスティ日本代表が政府に、「シドチを釈放せよ」との申し入れを行ったと、社会面では報じている。京都では最近政情不安で、共産党と長州藩が組んでクーデターを起こすという噂が絶えない。これに対抗して大阪府と京都府では、新撰組という武装警官隊を発足させたが、あべこべに大阪府知事が、「士道不覚悟、営内にて淫事に耽りし廉にて」と斬られてしまった。日本最大の暴力団、山口組の六代目には、清水の次郎長が就任することが確実視されている。これらの社会不安に加え、町奉行所の与力の度重なる不祥事が発覚し、政情はやや不安になっている。昨日も江戸町奉行の与力某が、アルバイトで殺人を請け負っていたのが発覚し、懲戒免職になったらしい。警察庁トップの大岡越前守は組織の大改革をやりたいらしいが、オウム真理教と天一坊の公判が近くて動きがとれないらしい。それにしても英一蝶の連載四コマ、「となりのおがた君」はいつも面白いなあ。

 なんだかぐちゃぐちゃの世界で、最初はみんな驚愕したが、いまではすっかり慣れっこになってしまった。
 それにしても、と俺は思う。繁村がもういちど時間旅行しようなどと言う気を起こしたら、いったいどうなるのだろう。もういちど時空が折り畳まれて、またぐちゃぐちゃになるのか。今度は戦国時代か、平安時代か。それとも未来か。それを考えると、憂鬱なようでもあり、楽しみなようでもあり。

 ピンポーン。
 あ、また来客だ。
 どうも新聞に論説文を書いて以来、なにかと来客が多い。勝とかいう若造が俺の意見に賛同してくれたこともあったが、ほとんどは抗議の客だ。本当のことを書いたというのに、なにが不満なんだろう。日本は神の国だとでも言ってほしいのだろうか。
「……はい」
「佐久間殿でござるか」
「……そうですが」
 やけに九州なまりの男だ。熊本あたりかな。監視カメラを覗いてみたら、両刀をたばさんだ和装にちょんまげの男が数人。ああ、また抗議の客のようだ。本当の幕末浪士なのか、右翼なのかはわからない。最近の右翼は、浪士の格好を真似ることが多いからだ。
 ああ、また乱暴者と会わなきゃならんのか。やれやれ。


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