タイ旅行記その1:そして出発へ

 妙なきっかけからタイに行くことになった。
 そもそもはベトナムに行くはずだったのである。友人二人と、ベトナム在住の知人を訪ねる予定だった。それがひとりは忙しくなり、ひとりは八月中しか休みがとれず、残されたのは暇な私だけになった。よし、それならタイに行ってこましたろやないか、と悲壮な決意を固めたのが九月。
 インターネットを駆使してもっとも安い航空券を探した。ようやく捜し当てたのがHIS。ビーマン・バングラディシュ航空の往復三万六千円という券であった。バングラディシュ航空といえばエア・インディア、パキスタン航空と並ぶ格安航空御三家である。しかも週に一便しかない。
 単に格安といっても、各社いろいろな特色を出して客を引きつけるべく努力している。たとえばエア・インディアは機内食のカレーが美味い。パキスタン航空は酒を出さないので酔っ払いがいない、など。わがバングラディシュ航空はどうかというと、一生懸命を探したのだが、あまりいい情報がない。せいぜい、飛行中に突如頭上の手荷物を入れた扉が開き、荷物雪崩を起こして、長い道中の退屈を癒してくれる、という程度らしい。

 旅行の荷物を準備するのは厄介な仕事だ。必要なものすべてを持っていこうとすると数トンの貨物となり、飛行機からパラシュートで投下してもらうしかない。かといってすべてを現地調達する予定にすると、到着が日曜日深夜で、すべての店が閉まっており、明日はくパンツを求めてあてどなくさまよう羽目になる(これは現実のものとなった)。とりあえずデジカメとモバイルギア、あと服、タオル、薬、コンタクト、と適当に布の大型バッグに詰めていく。
 旅行のガイドブックには、「タイには高価な服を持ってゆく必要はありません。ふだん着ている服を持って行きましょう」とある。この点は大丈夫。なぜなら私は高価な服など持っていないからだ。
 パンツ、シャツ、靴下……と詰めていき、Tシャツに至ってはたと当惑した。ふだん着ているTシャツは、親がタイのお土産に買ってくれたムエタイTシャツだ。持っていくのもいいが、タイにタイのTシャツを持っていくのも何だか業腹だ。別なTシャツにしよう。しかし持っているのは、同僚のフィジー土産にもらったTシャツと、妹のオーストラリア旅行土産のTシャツと、私がイギリスで買ったTシャツ。ここに至って私は、自分が日本国内で自分の金を出してTシャツを買ったことがないことに、気づいてしまったのだ。
 そういえば、この布バッグも五年ほど前香港で買ったものだ。靴もそのとき買ったものだ。私は日本で何を買ったのだろうか、私は日本のGDPに果たして貢献しているのか。

10月22日(金)
 朝早く起き、上野から7時の京成特急に乗る。上野はすいていたが日暮里でどっと乗り込み、ほぼ満員。ちょっと荷物が迷惑か。
 8時15分にHISのカウンターでバングラディシュ航空のチケットを受け取る。9時に今度はバングラディシュ航空のチェックインをし、ようやく航空券を受け取る。ちょっと煩雑。チェックインしたのは日本人半分、インド系の人間半分。あとわずか欧米人。日本人はみな髪がとがっていたり、長髪を後ろで束ねていたり。いわゆるバッグパッカー。それにしても旅行中に汚くなるのはやむなしとしても、最初からズボンの裾がほつれているのはどうしたことか。わざとやっているのではないだろうか。
 10時半にモノレールでゲート移動。なにしろ格安航空会社ゆえ、遠いところにしか止められないのだ。待合室でビール。空きっ腹にしみる。なにしろ機内食がやたらに出るのを見越して何も食べていないのだ。
 11時20分、ついに出発。緑のサリーと肩かけの民族衣装のスチュワーデスに案内され乗り込む。思ったより綺麗だ。ただ機内放送のイヤホンが雑音だらけで何も聞こえない。どうせ聞いても分からないからいいけどね。あと、座席が狭い。足がつかえる。窓も低い。こんなので欧米人は座れるのか?
 途中、昼食(鶏肉のカレー煮込み、サフランライス)と三時(サンドイッチ、ケーキ)が出る。ビールはカールスバーグとオーストラリア製格安ビール。

 4時にドンムアン空港着。めでたく何事もなく降り立った。災難はそこからである。
 空港からバンコクの中心街まではちょっと距離がある。タクシーで一時間。バスで一時間半。電車も同じくらい。どうせなら電車で行こうと思ったのだ。ところが駅に行くと、黒板に「次回発車は一八時」と書いてあるのだ。いくらなんでも二時間近くは待てない。しゃあない、バスだ。
 ところがバス停が見つからない。うろうろしてると客引きに捕まった。「タクシーで行かないか?」。これについ「いくらだ?」と応じてしまったのが運の尽き。あれよあれよという間に言いくるめられ、タクシーで行くことになってしまった。
 運転手は英語が通じにくい。いや私が通じないのだ。いやいや向こうの発音が悪いのだ。とにかく通じないことは事実だ。駅前のホテルの名前を告げ、地図まで見せたのに、知らないと言う。困っていると勝手にわけの分からないホテルに連れ込まれる。全然違う方向だぞ。「これは駅前のホテルか?」と聞いたら、「そうだ」と言って去っていった。タイ人のうそつきに触れた第一回目であった。

初日のホテル ホテルのクロークに教えてもらったが、ここは駅からはるか遠く、ウィークエンドマーケットに近いところであった。ダブルベッド、冷蔵庫も冷房もある。浴室には浴槽があるし、トイレは心配していたタイ式の紙を使わない方式でなく西洋式であった。これで一泊1000バーツ。日本円で3000円弱。まあまあか。ただボーイが「お客さん、マッサージ? それともこれか?」などと妙な手つきをして勧誘するのはいかがなものか。どうも胡散臭い。

 近所をうろつく。場末だ。屋台はあるが活気がなく入る気になれぬ。串焼きの店でいろいろ買う。25バーツ。言葉が分からなくて困っていると先客のおねえさんが教えてくれる。汗まみれの当方を見て「べりーほっと」とおかしそうに笑う。
 帰ろうと思ったが、どの道を戻ればいいのか、どうしても思い出せない。困った。うろうろしていると、街角をたむろしていた男が話しかけてくる。客引きらしい。その男にホテルの名刺を渡し、道を聞く。面食らったような顔の男は、それでも苦笑いしながら教えてくれた。
 夕食を食いにもう一度出かける気になれないし、この胡散臭いホテルで食う気にもなれない。結局、屋台で買った串焼きで夕食とする。つくねは淡泊。ソーセージはどうってことはない。ハルマキのような揚げ物は、肉がみっしり詰まっていて美味だった。付け合わせのサラダ(キャベツとキュウリ)についていた小さなシシトウをちょっと噛ったら、舌に穴が開いたと思うほど痛かった。これだよ。これがタイだよ。

今日の収支
 空港両替 一万円を3583バーツ
 タクシー 460バーツ
 ホテル 1000バーツ
 屋台 25バーツ
 コンビニ ビール、石鹸 40バーツ
 ホテルの酒、水、菓子 150バーツ
 使用金額 計1700バーツ
 残金 約1900バーツ

    
10月23日(土)
 チェックアウトし、タクシーでウィークエンドマーケットに移動。
 本当にもう何でもある。ペット関係の店はそれだけでおよそ百店舗、一区画をなしている。犬から猫から亀からベタから金魚からアロワナからピラルクからインコから文鳥からもうなんでもある。衣類もある。食品もある。屋台もある。電気製品もある。盆栽もある。なんでもある。とても回りきれない。
 ここでシャツと短パンを買った。財布も買った。疲れた。屋台に入りスプライトと春雨の汁そばを頼んだ。小さな男の子が母親の手伝いで、氷水を運んでくる。ちょうど知り合いの息子くらいの歳か。ちょっと感傷的になる。しかし、待てよ、タイの水は危険だったよな。氷もあぶないと聞いている。しかし、この母子の心づくしを受けないでいられるものか。子供のつぶらな瞳に逆らえるものか。ええい、飲んじゃえ。そばは平凡な味。香菜が少ないのが不満だった。香菜好きなんだよ。
 バスに乗って駅前へ。前の席のおばさんが頻りに話しかけてくる。「どこから来た?」「どこへ行く?」「職業は?」くらいならいいのだが、「結婚していないのか?」「なぜしないのだ?」まで聞くなよ、そんな車中で。
2日目のホテル 行こうと思っていたホテルの名前をおばさんに言うと、「のっとそーぐっどふぉーゆー」と言うので、急遽怖じ気づいてやめる。駅の川向こうにある華僑系のホテルに変更。一泊550バーツ。またダブルベッド。タイにはシングルの部屋がないのか。エアコンもあるしベランダもあるし、バスタブがないのが残念だが、まあいいか。

 少し休んで駅へ。パンダバスに電話をかけ、翌日のツアーを申し込む。構内で両替。あまりレートはよくない。そして構内の旅行代理店へ。そこでプーケットまでのジョイントチケットを申し込むのだ。
 バンコクからスラターニまで夜行電車のつもりだったが、「ダメダメ」と断られる。週末なのでもう予約がいっぱいだとか。やむなく全区間バスにする。いやだなあ。盗難多いっていうし。
 バスでルンピニーへ。ムエタイを見に行くのだ。まだ時間が早いので、マレーシアホテル近辺の中華屋で餃子を食う。シンハビールを飲んでいると、「それ、アルコール度が高いから注意した方がいいですよ」と話しかけられる。日本の会社員だとか。バンコクに仕事で来ていて、終わったので明日からアンコールワットに行って日本に帰国するそうだ。「えらい汗ですね。でも一週間もすると慣れて汗をかかなくなりますよ」とも言ってくれた。残念ながらこの予言は、最後まで達成されることはなかった。私の汗っかきは三十五年の歴史があるのだ。三週間くらいの滞在で改善されるものではなかった。

 さてと、ルンピニーへ。係員の執拗な勧誘に屈し、リングサイドへ。席は日本人ばかり。しかも二組の新婚に挟まれてしまった。くそう、どうしてくれよう。
ムエタイ 試合はさすがにリングサイド、凄い迫力であった。ムエタイというと蹴りが有名だが、ローキックはともかく、ハイキックは滅多に当たらない。実際に見て有効なのは、むしろクリンチしての膝蹴りと肘打ちだと思う。ボクシングと違って、クリンチしてもレフェリーが引き分けないので、ずっと膝や肘の応酬があるのだ。肘をもろに顔面に入れてるし、膝は脇腹の肋骨の下あたりの急所を狙ってるし、これは凄い。
 ムエタイは判定が多いと聞いていたが、この日は八試合のうちKOが二試合、TKOが一試合あった。

 バスで駅前まで帰る。このバスの運転手がもう、凄い運転だった。いったいにタイの人の運転は荒い。ちょっとでも隙間があればもぐり込んでくるし、制限速度はなきに等しい。しかしこの運転手は別格であった。前に物体があると反射的にクラクションをけたたましく鳴らす。凶悪なハンドルさばきでバスをドリフト走行させる。立っている人は片手で手すりを掴んだだけでは身を支えられず、みな両手で掴んでいる。停留所でも二十キロより速度を落とさず、乗り降りは疾走する車からアクション映画のように行う。地元の人すら苦笑いしている有様だ。怖かった。

今日の収支
 残金 約1900バーツ
 タクシーでウィークエンドマーケットへ移動 150バーツ
 買い物 シャツ2枚100バーツ トランクス30バーツ 短パン60バーツ 財布30バーツ
 春雨の麺 35バーツ
 スプライト 10バーツ
 バス代(ファランボーン駅まで)3.5バーツ
 宿代(二泊)550バーツ*2=1100バーツ
 駅構内で両替 一万円から約3000バーツ
 プーケット行きVIPバス 600バーツ
 バスマップ 60バーツ
 電話代(パンダバス)2バーツ
 ペプシ 10バーツ
 ワット・トライミット 20バーツ
 バス代(ルンピニーまでエアコンバス)6バーツ
 昼食(餃子、豆腐スープ、ビアシン)200バーツ
 スタジアムリングサイド 1000バーツ
 両替(マレーシアホテル近辺)一万円を3596バーツ
 コンビニ(ウィスキー、ビール、水、菓子、かみそり、ノート)200バーツ
 バス 3・5バーツ
 使用 約3660バーツ
 残金 約4440バーツ

10月24日(日)
 今日はアユタヤツアーの日。大きなホテルなら迎えに来てくれるが、私が泊まっているのは格安ホテル故、近所の大きなホテルに集合する。六時半、眠い目をこすりながらバンコクセンターホテルへ向かう。ここで六時五十分に待ち合わせることになっているのだ。これが妙な立地で、建物は見えるのだがどうしてもたどり着けない。歩いていると段々とスラム街のようなところに迷い込んだ。裸の男が道路の片隅で寝ている。おかしいな。

 もう一度駅から出直したのが功を奏し、ホテルへ。しかし待っても待っても迎えが来ない。もしや行き違いかと心配し、ホテル入り口の警備員に聞いてみる。すると、「パンダバス? まだ来ていない。七時五十分に来るぞ」ととんでもないことを言う。
 一時間間違えたのか? しゃあない、コーヒーでも飲んで時間を潰そう。そう思ってロビーに戻ろうとするところを、ひとりの女性とばったり会う。「下条さんですね? 遅れてすみません」この人こそがパンダバスの人であった。ばったり会うこともなく、警備員の言を信じて喫茶室に入っていたら、会えることはなかっただろう。思えば危ないところであった。これもタイ人の嘘か?

 大きなバスに乗り換え、七時半に出発。約一時間のバスの旅である。参加者は十五名くらい。しとしとと降りだした雨の中、バスは走る。
バンパイン宮殿 八時半、バンパイン宮殿へ。これは歴代王室の別荘だそうだ。前日がラーマ五世の命日だったとのことで、大きな花輪がいくつも飾ってあった。この人、ちょうど明治天皇と同時代の人で、タイの西欧化、近代化に大きく尽力した人らしい。今でも英主として崇められているそうだ。

 

 また一時間ほどバスは走り、いよいよアユタヤへ。最初はワット・ヤイ・チャイ。でかい塔を中心に、仏像やら寺院やらがわらわらと建っている。寺院では坊さんが大勢集まって読経していた。

 次はワット・マハタート。ここは昔ビルマに完璧に破壊された廃墟。仏像はみな上半身がなかったり首がもげたりしていて、さながら仏様のマーダーケースブック。中でも有名な、仏頭を樹が包み込んでいるものがある。タイにはピーという超自然の精霊が無数に存在しているそうだが、こういうのはピーが仏閣破壊に義憤を燃やしたのではないかとも思われる。

 仏頭を抱いて掲げる樹霊かな
 捨てた仏拾い上げるはピーの意気
 仏を樹で挙げて道だとピーは言い
           虎玉

 バスは次にエレファントガーデンに。ここはまあ、象に乗ってそのへんを一周するというもので、今回はパス。

瓦礫の風景 そしてワット・プラシーサンペット。ここも完璧に破壊されている。しかし何だな、こういう廃墟の方がバンコク市内のきんきらきんのお寺より親近感が沸くというのは、日本人の性かな。古びないと駄目だ、というところがあるな。神社も塗料がはげて、木肌がむきだしになり、注連縄もぼろぼろになって初めて、神さびた荘厳さを感じるようになる。中国人も韓国人もそんなことはないと思うが、これは日本人だけの現象なのだろうか。

抽象芸術 ここはいちばん広い。この広い敷地の至るところにある仏像を、ビルマ軍は丁寧にすべて破壊していった。ご苦労様。それをいまジグゾーパズルのように復元しようとしているのだが、これが非常にいい加減で、どう見ても合っていない部品を無理矢理いっしょにする。そのため抽象芸術のようなオブジェがあちこちに見られる。

 廃墟を四十センチくらいの緑の蜥蜴がちろちろと登っていた。近づくと反対側に逃げる。そちらに回り込むとまた反対に逃げる。しばらくこの蜥蜴と遊んでいた。

 アユタヤの拝観はこれで終わり。バスで乗船口まで走り、そこからクルーズに乗船。豪華ランチビュッフェとあったが、まあ普通のタイ料理であった。同乗の、タイ支店勤務が終わり、まもなく帰国というおじさんは、「こりゃ、日本人向けに相当味をマイルドにしてるな」と言っていた。そんなもんかな。
 ちょっと雨模様であるが、川の両岸の景色は楽しい。水上に張り出した小屋。玄関から子供が釣り糸を垂れていたりする。泥色の川で泳いでいる子供もいる。かと思うといきなり金色に輝くタイ風の寺院。約三時間の船旅、結構楽しかった。

 バンコク中心部のシャングリラホテルで下船。ここから宝石工場を見学する日程だが、ガイドの人は「行きたくない人はここから帰ってもいいですよ」と鷹揚なので、お言葉に甘える。まず、プーケットのダイビングサービスに電話。十バーツくらい小銭を用意して掛けたのだが、すぐ切れてしまう。100バーツのテレカを買ったが、これもあっという間に切れてしまった。講習の予約だけできたからいいか。しゃあない、本当は宿が空いているかも聞きたかったのだが、現地でぶっつけ本番だ。

 そこからバスでチャイナタウンへ。中国風の飾りやお守り、中国音楽のカセット、中華料理の屋台、漢字の看板。なるほど中華街だ。ここをずっと戻ればホテルに帰るはずだ、そう信じて歩いていたのだが、だんだんと店もなくなり、淋しいところに迷い込んだ。慌てて地図を見ていると、おじさんが近寄り、どこへ行くのだ、と誰可する。警備員らしい。駅に行きたいのだというと、それならこっちの道だ、この先はあんたのような人が迷い込むようなところではない、と諭してくれた。よほど危ないところらしい。
 言われたとおり歩いていたのだが、どうもまた同じ風景に包まれてしまった。また同じところへ戻ってきたらしい。あああ、また同じおじさんがやってくる。けれどおじさんは怒る様子も見せず、淡々と、あれがこの道だ、だからこう歩けばよいのだ、と地図を指さして親切に教えてくれる。こいつはよほど丁寧に教えないと、また戻ってくるに違いない、と思ったのだろう。
 おじさんのおかげで無事宿に戻れた。

今日の収支 
 残金 約4440バーツ
 パンダバスツアー(アユタヤ)2100バーツ
 ビール(別料金)125バーツ
 水 10バーツ
 ココナツジュース 15バーツ
 バス 3・5バーツ
 電話 150バーツ(未完)
 ガイヤーン 10バーツ
 コンビニ(ビール、ワインクーラー、水)70バーツ
 計 約2500バーツ
残金 約1940バーツ


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