上海・蘇州・杭州・無錫

12月15日(金)
 今回は個人旅行でなく、ツアーで出かけるので気が楽だ。旅行会社の人からチケットを貰い、搭乗手続きをして飛行機に乗ってしまえば、あとは現地のガイドに任せてバスに乗っているだけのぐうたらな旅行を楽しめばよい。
 などと安心しきっていたら、いきなり旅行者の人に、「では下条さん、登録番号一番ですから、団長となってビザをお持ちください」などと宣告されてしまう。中国は原則として個人ビザを発行しないので、団体ビザで複数名の入国を行うのだ。それは知っていたが、確か司馬遼太郎の旅行記では、「団長は最年長の人間が任命される」と書いてあったはずだ。それを、何も、私のような若輩者を23名の旅行団の団長にすることないじゃないか。戦争末期、大学生が徴兵されて、いきなり少尉になって、歴戦の下士官だの兵隊やくざだのがゴロゴロしている小隊の隊長にされてしまった気分。
 さらに困ったことに、上海空港は霧のため、飛行機の出発が二時間ほど遅延するとのこと。そもそもスケジュールでは、四時ごろ出発し、上海に六時ごろ到着。そこからバスで二時間ほど走って無錫までゆくので、ホテルに着くのは十時頃になる予定なのだ。それが二時間遅れると、午前様になってしまう。まあ、なったからといってどうということはないが、まず成田で暇ではないか。

 ともかくビールなど飲んで時間を潰し、けっきょく六時半ごろ、飛行機は離陸。中国国際航空の旅客機である。成田発にしては、スチュワーデスは日本語を話さない。「茶をくれ」などと言っても通じず困ってるお爺さんがいた。
 機内食の牛肉は、機内食始まって以来というくらいおいしかった。だいたい海外で牛肉というと、パサパサで味気ないのだが、これはカルビ焼のように脂身が適度にあった。ちなみに、帰りで出た鰻丼も、食べた人は「美味しかった」とのこと。中国国際航空の機内食レベルは、かなり高いようである。さすが中国というべきか。

 上海には八時半ごろ到着。上海は虹橋空港と、最近できた浦東空港があるが、着いたのは古いほうの虹橋空港。羽田空港くらいの、小ぢんまりした空港だった。
 さて、ビザを見せなければならぬが、番号順に整列して通らねばならぬらしい。やはり私が行列させるのかなあ。行列させて、点呼など取らねばならんのかなあ。軍隊みたいで、嫌だなあ、などと煩悶していると、なぜか入国審査の中まで、旅行会社の人が来ていた。ビザをその人に渡して、私は並んでいるだけで済んだ。ほっ。
 空港からバスで出発。ガイドの宰さんが挨拶。上海はこの季節霧が多く、よく飛行機が遅れるのだそうだ。車内で両替。1万円が720元。2万円両替する。けっきょく、このときの両替で足りてしまったので、ホテルや銀行で両替する機会はなかった。
 さて、ホテルに着くまで寝ていようか、と思ったが、ガイドの宰さん、次から次へと土産物を出して販売する。天津甘栗、甘栗チョコ、甘栗クッキー、パンダチョコ、パンダクッキー、乾燥松茸、月餅、淡水真珠のブレスレット、などなど。寝る暇もなかった。

 けっきょく、ホテルに着いたのは十二時ちょっと前。無錫楊州飯店という、ホテル街からちょっと離れたところ。近くに店もないので、冷蔵庫の青島ビール(16元)を飲んで寝る。

12月16日(土)
 昨晩が遅かったので、今日は予定より一時間遅く、九時にホテルを出発。
 朝食はホテルのバイキング。中洋折衷でパン、粥、点心などを取って食べる。この旅行中、朝食は全部そうだった。不思議なことに飲み物としては、コーヒー、紅茶、ミルクはあるのだが、中国茶がない。どこのホテルも、そうだった。謎である。

 昨日の宰さんに加え、無錫のみ参加の程さんもガイドとして参加。「キカイダー」に出てくる、光明寺博士にちょっと似ている。
 噂には聞いていたが、とにかく中国は自転車が多い。後部座席に奥さんや子供を乗せて、みんな自転車で走ってゆく。みんな同じ方向に走るので、何かあるのかと見ていると、ある地点で自転車を止め、国立競技場のようなところにみんな入ってゆく。宝くじの発表があるのだそうだ。
宝くじ売り場

 一人っ子政策のせいか、たいがい子供はひとりしか連れていない。その点が、他の東南アジア諸国と違う。バンコクなどだと、おかんがバイクの尻に五人くらいの子供をぶら下げて走っていたもんなあ。子供が集団で遊んでいるのも見ない。ひとりで、オモチャを持って遊んでいる。

 無錫の市街地を抜け、太湖へ。そこで遊覧船に乗る。この湖は奇岩奇石を多く産し、その眺めは多くの画家に描かれている。とはいっても、霧が深く、ほとんど景色が見えない。名物のジャンクも、今ではまったく走っていないそうだ。一艘だけ、観光用のジャンクが、帆をたたんで係留されていた。

 船を下りて案内されたところは、淡水真珠の店。太湖は淡水真珠の養殖で有名なのだ。
 われわれを店内に入れるや、ドアをがっちり閉め、屈強な店員が入り口を固めている。ひとりも逃がさぬぞとの構えだ。しかも、客一人に対し店員ひとりで、マンツーマンディフェンスを取ってくる。とはいってもなあ、買う気はまるでないしなあ。四十分ほども放りこまれていたが、いたずらに煙草を吸うよりしかたがない。

錫恵公園のゴミバコ
 ようやく店から解放され、次は錫恵公園へ。まあ、要するに庭園です。写真はゴミバコ。「天下第二泉」という井戸があったが、枯れていた。なんでも、文化大革命のころ、地下水を工場用に汲み上げすぎ、枯れてしまったのだそうだ。この程さんという人は、なにかと毛沢東の悪口を言う。どうも今の上海の人は、毛沢東よりもケ小平を尊敬しているようだ。

 無錫の市街地に戻り、吉祥大飯店というところで昼食。ここでも日本語はおろか、英語も通じない。「ビール」と頼んでも、曖昧な笑顔を見せるだけ。しくしく。まあ、料理は美味しかったが。名物の無錫排骨料理は、スペアリブをチャーシュー風に煮込んだもので味が濃いが、他の料理は全体に淡泊で薄味だった。白魚の卵とじ、チンゲン菜の炒め物など。係員の手違いか、ひととおり料理が終わった後で、洗面器ぐらいの容器にボロボロのご飯が山盛りに来る。同行のひとりの形容によると、「古米を五合に水三合分で炊いて、三日くらいしてから暖め直したような」という代物。隣のテーブルでは、同行のひとりのおばさんが、オカズもなしにどうして食えというのだと激怒していた。

 昼食後、バスで蘇州へ移動。一時間ほど。
 蘇州は「東洋のベニス」などと言われるが、バスで入った印象はひたすら埃っぽい。土煙を巻き上げながら走っていると、いつの間にかクリークがあり、舟が流れている、そんな感じ。トータルとしては、やたら埃っぽい。いきなり城門があり、町中にはいかにも古そうな町並みがある。唐突に五重の塔みたいなものが見えてくる。日本でいえば、やはり奈良の感じかなあ。
蘇州の橋

 寒山寺へ行く。寒山拾得の寒山である。などといっても、私にもよくわからぬ。ほら、よく掛け軸なんかで、だらしない格好の中年男ふたりが大笑いしている、あのふたりがいた寺ですよ。
 無錫はなかば工業都市だが、蘇州は観光都市。そのなかでも有名な寺とのことで、とにかく物売りが多い。バスが停車するやいなや、わらわらと寄ってくる。口々に「センエン、センエン!」と叫んでは物を売りつけようとする。寺の碑文の模写、焼き芋、絵はがき、カバン、木細工などを売るのは、まあわかるとしても、フランス人形を売りに来るのはいったいどうしたことなのだ。これを買って、どうしろというのだ。

 そのあと刺繍研究所へ。ここでも盛大に売りつけられるかと思ったが、駆け足で走り抜けるのみだった。休日のためか、工場に人が少ない。売り場もあまり商売熱心でないようなのは、国立のためか、それとも展示場的役割なのか?

 拙政園へ。明の時代の大臣が、退職して故郷で建てた庭園だそうな。五時で閉館するというのに、四時半にやってきたので、異常なまでに駆け足で通りすぎる。まあ、中国の庭園でした。広かったけど。写真はゴミバコ。こちらは蛙。 拙政園のゴミバコ

 近くの屋台で売っているシルクのネクタイは、「1元」などと貼り札が下がっている。ぜったい偽物だと思うが、それにしても15円のネクタイとはどんなものなのだろう。それにしても、それを「5本センエン!」などといって売りに来る物売りも、いい根性している。
 蘇州はシルクの街。ということで、当然のごとくシルクの店に案内される。中国娘が十人ほどでファッションショーを演じるという大掛かりな店で、例によって例のごとくマンツーマンディフェンス。
 蘇州に限った話ではないが、なんか軒も傾き瓦も一部崩れたような建物で堂々と店舗を営業する神経は、なんか凄い。地震のない国の強みでしょうか。店の並びは、やはり各国の中華街によく似ている。本場の中華街が、外国の中華街と違う点、それは英語が通じないことだけだ。
 そういえば、ホテル以外でクリスマスの飾り付けを見なかった。ケンタッキーやマクドナルドなど、アメリカ資本のチェーンストアもあるのだが、日本ではおなじみのパーティパックやチキンバレルなど、クリスマスセールをやってる様子はない。やはり中国にはサンタはいないのか?

 夕食は蘭薊園という、蘇州料理のレストラン。桂花松魚という、ライギョの揚げトマトソース掛けや、東波肉などを食べる。全体的に油っこい。どちらかというと昼のほうが美味かった。でも桂花松魚は、揚げた魚肉がパリパリして美味しかった。ソースが少々甘すぎたが。そういえばこのレストランで出た、無錫ビールだか大湖ビールだかいうのも、妙に甘かった。
 ここで十年ものの老酒を飲ませてもらう。さすがに味が安定している。ううむ、一本三千円、どうしようか。やっぱり義理もあるしなあ。
 食事をする間も、店の人がなんやかやと物を売りに来る。ここではじめて買い物をした。酒を燗する、二重徳利みたいなもの。錫だというが、百元という値段を考えると、ちょっと怪しい。鉛が混じっているのじゃないかしら。
 食後、寝酒を購入。二年ものの招興酒が50元。謎のコーリャン蒸留酒が15元。よくわからぬが、白乾かもしれない。それはいいのだが、オレが買った直後に、50元から30元に値下げするなよ。ひどいじゃないか。

 明後日の上海はスケジュールがびっしりで駄目かと思っていたが、夜に中国雑技団を見に行ける、ということなので、申し込む。210元。切符そのものは60元くらいらしいのだが、旅行社がほとんど買い占めていて、個人ではなかなか買えないらしい。相撲のチケットみたいなものか。
 ホテルは蘇州飯店。外に出るのも面倒くさいので、冷蔵庫のビールを二本(17元)と、謎の蒸留酒を飲んで寝る。蒸留酒はレモンのような揮発性の凄い匂いを発するが、不味くはなかった。

12月17日(日)
 朝食を食い、しばらくロビーをうろうろ。売店で、有名な強壮剤「男宝」が売っていたので、いちおう買っておく。13元。
 ロビーでぼんやりしていると、何やら騒がしい。昨日の昼、「このご飯をどうやって食べろというの!」と激怒していたおばさん、チェックアウトの清算で、お釣りが少ないと係員に激怒しているらしい。

 7時半、蘇州を出発。車中で土産の申し込み。結局、酒を1本3000円、甘栗5個4900円で購入。
 道路はだいたい悪い。終始がたがた揺れている。いま年度末だそうで、あちこちで予算の帳尻あわせのため道路工事をやっているので、ますますがたがたしている。
 バスの車窓からは、新築の建物が多く見える。それがどれも同じ色、同じつくり。宰さんの話によると、杭州人は台湾に親戚が多く、あれは台湾風の建築だそうだ。台湾風かどうか知らないが、杭州の金持ちどもは、何を考えてるのか、どいつもこいつもラブホみたいな邸宅ばっかり建てやがって。中国人の美的感覚は、どうなっているのかわからん。昔の庭園はコケ脅かしの奇岩奇石のオンパレードだし、今の豪邸はラブホテルだし。
杭州風の豪邸

 11時半、杭州に到着。西湖という人造湖を中心とした街である。
 まず霊穏寺へ。門前は土産物屋や料理屋が並んでおり、善光寺のような感じ。そこから歩くと、岸壁に仏像が彫りこんである。十分ほど歩いて本堂へ。15メートルほどの巨大仏像(木像)が安置してある。
 ここは禅寺だそうだが、中国の禅寺は、日本とだいぶ印象が違う。日本の禅寺は簡素を旨として、それが嫌味なまでになっているのだが、中国の禅寺は、道教の影響が強いのか、ごてごてと飾り立てている。十二支の守護像とか、布袋さんの像とか、道教的なものが多い。寺の屋根には魔除けの鏡があるし、「長生金運」などと現世利益なスローガンが貼ってるし。
 門前の「天外天」という店で昼食。12時半頃入ったのだが、1時すぎには船の予約を入れている、ということで、むちゃくちゃ慌ただしい。座るやいなや、怒涛のように料理が運び込まれる。ビールを飲む暇もない。いや飲んだけど。結局、何を食べたかも覚えていない。店を出て、バスを待つ間に屋台で買った、豆腐の田楽のようなものだけ印象に残っている。日本よりだいぶ堅い豆腐を、串に刺し、辛味噌で煮込んだもの。一串1元。うまかった。
 あわてて西湖のほとりに行き、予約していた遊覧船まで走ると、なんと係員がまだ来ていない、という。宰さんの台詞ではないが、「中国、まだこういうこと多い。誰も責任取らない。誰も責められない」ということ。それにしても、この駆け足の団体を、さらに駆け足で追ってくる物売りには、脱帽するしかない。スカーフを二十枚千円で買った人がいたが、宰さんに「これは絹じゃない。ポリエステルです」とにべもなく言われていた。
 西湖遊覧は40分ほど。太湖に比べると、やはり人造の庭園、という感じ。なんか見たことある橋があるな、と地図を見ると、「錦帯橋」とある。この橋を真似して、日本の錦帯橋を作ったらしい。

 船を下りて「西冷社」という、判子など売る店に案内される。一種の文化団体で、判子の他にも書画、墨、硯、筆なども扱っているが、どれにも興味がない。というか、全部本物なので、値段が高すぎるのだ。

 それから六和塔というところへ。13階建ての、木造塔である。これを登れといわれたが、階段が急でつらい。ガーゴイルを見にノートルダム寺院を登ったとき以来の苦労である。母親をかばうフリをして休み休み登ったら、結局、一番びりになってしまった。

 そこからバスで竜井へ。「随園食単」でも中国第一等と激賞されていたお茶どころ。案の定、お茶の店に案内される。ここのお茶は緑茶だが、、日本のように蒸さず、低温で煎るそうだ。そのためビタミンや蛋白が逃げないとか。
 試飲させてもらう。ここでのお茶の飲み方は、コップに茶葉を入れ、熱湯を注ぐだけの簡便法。たしかに、味は薄いが香りは高い。上級品は125グラム入りの缶が100元。中級は1缶80元。前から飲んでみたかったので、購入する。
 日本に帰ってからも飲んで見たが、やっぱりおいしい。それに、この入れ方だと急須が不要で、すぐに飲めるところがいい。

 6時ごろホテルに入る。杭州の宿は、西湖からやや離れた、百合花飯店というホテル。夕食はそこの二階のレストラン、龍鳳閣。杭州名物ということで、鶏のまるごとを粘土や蓮の葉で包んで蒸しあげた、乞食鶏という料理がメイン。他にも麻婆豆腐、鶏肉と豆腐のいため物など。ダシ味主体で薄い塩味の料理が多い。美味。杭州ビール(瓶)を15元追加して頼む。激怒するおばさんは、まだ残っている料理の皿を勝手に下げたといって、きょうも激怒していた。

 元気ある人々は、歩いて15分のところにあるとかいう店に買出しに出たが、疲れたのでホテルの売店で、青島ビールを二本買って飲む。12元。ついでに昨日買った招興酒も飲んでみる。1年物は、さほどうまくない。これならもっと安い普通の酒と同じだ。

 中国では英語は通じない。市内のレストランでも、デパートでも、店員に英語で話しかけたところで通じはせぬ。ツアーバスの立ち寄る土産物屋や、観光地で絵はがきを売りつけに来る物売りなどは英語を喋るが、そういうところは日本語も同じくらい通じるので、やはり英語の用はない。などといって安心していたら、ホテルで蛇口が壊れた。水が止まらない。フロントに電話したが、英語でなんといっていいものか、はたと困った。水道の蛇口とは、英語でなんというのだろう。「ヒネルトジャー」という言葉が、ふと心に浮かんだが、むろんのこと係員には通じはせぬ。結局バスルームがブロークンでウォーターがドントストップなどという怪しい言語を駆使して、ようやく意を通じることができたが、やはり和英の辞書くらいは持参したほうがよいようである。

12月18日(月)
 今日も朝早く出発する。バスで四時間ほど走り、昼ちょっと前に上海に到着する。もっとも途中、いちど休憩した。そこで真空パックちまきを2袋購入。7元。ここもむろん、英語も日本語も通じはせぬ。ひたすら指差し、「いー、りゃん」などと麻雀用語を駆使するしかない。
 上海はさすがに都会だ。やたらに高層ビルが並んでいる。なにしろ地震の心配がないので、いくらでも高くできるのだ。こういうのを見ると、日本の建築家は、やはりどうしたって世界有数にはなれないなあ、と思う。重力が倍の惑星に住んでいるようなものだ。
 もっともその近代的な高層ビルに、洗濯物が山のごとく干されているのはご愛嬌か。上海では、洗濯物は日本のようにヨコに干さず、タテに干すらしい。どうやって干すのか、取りこむのか、それは謎。
洗濯物

 で、上海で最初に行ったところは、やはり土産物屋。烏龍茶を勧められるが、もうお茶はいいや。刺繍も絹製品も泥人形もパンダクッキーも、もうたくさん。ケ小平の石膏像とか、毛沢東バッジとか、人民服とか、そういうのが欲しいのだが、売ってないんだよなあ。

 昼食は、鉄木真蒙古焼火孝という店で、モンゴル式焼き肉。食べ放題の店。セルフサービスで牛、豚、羊、鶏の肉や野菜、デザートなどを勝手に取るようになっている。テーブルにはシャブシャブのようななべが煮立っており、そこで煮て食うのもよし、肉、野菜、タレを皿に盛って渡すと、巨大な鉄板で焼いてくれるので、それで食うもよし。コックは鉄板でちゃっちゃっと焼いた後、皿に料理を放りこみ、くるっと回転させて渡してくれるというパフォーマンスを演じてくれる。それが見たかったので、焼肉ばかり三皿も食ってしまった。

 やや苦しくなったお腹を抱え、像園へ。ここは中国の浅草のようなところ、と案内され、行ってみたら、本当にその通りだった。仲見世のようなちょっといかがわしい店がずらりと並んでいる。
 ここで毛沢東腕時計(秒針に合わせて毛主席が手を振るすぐれもの)を見つけたが、なにしろガイドの後をついてゆくのがやっとで、購入する暇がなかった。この通りには緑波楼とか南翔楼とか、小包子(スープ入り肉まん)で有名な店が多いのだが、その購入もかなわぬ。指をくわえて通りすぎるのみ。

 今日は夜景見物があるので、早めに夕食。好聖角大飯店という、有名なマッサージ店と同じビルにある食堂。いよいよ上海蟹である。
 上海蟹は、甲羅の直径20センチほどの、小ぶりなもの。まあ、大きいのは何千円もするからね。これだけ小さいと、脚を割って肉を食べるなんてことはできない。甲羅を割って、本体をいただくだけ。カニミソも泥臭くなく、美味だったが、もっとも美味しかったのはその下。半透明で白いモチモチした身が、やや甘味があり、蟹そのものを凝縮したような味がする。いや、評判通り、美味しゅうございました。ファンになりそう。

スローガン  そこから准海路という、銀座のような高級店が集うメインストリートに案内される。もっともひとつ通りを離れたところには、老人ホームのような建物や、小学校もあった。下町の風情。写真は、老人ホームの入り口に掲げてあったスローガンの看板。
 ここで一時間、自由散策だと言われる。それにしても右も左も分からぬ。自分がどこにいるかも、把握していない。
 とりあえずやたらに歩きまわると、パソコンショップがあったので、入ってみる。そこで、ときメモのCDを40元で購入。我ながら情けないが、これはてるさんへのお土産にでもしよう。
 そこを出てしばらく歩くと、食料品店があった。酒のコーナーがあったので行ってみる。昔、香港で売っていたような、トカゲだとかヘビだとかネズミだとかを漬けこんだ凶悪な酒は売っていない。汾酒という焼酎が22元、招興酒の五年物が16元。これは、おとついのレストランで70元で売っていたものだ。ショックを受けながら購入。
 レストランから慌しく移動し、河口沿いの外灘(バンド)夜景見学。ここは旧租界で、各国の建造物が残され、夜になるとライトアップされるのだ。その伝統と格式を加味した荘厳な夜景は、お台場もルミナリオもかなわぬ。 外灘夜景

上海雑技団  そこから駆け足で移動し、上海雑技団の会場へ。ほとんど団体客で、そのほとんどが日本人。
 皿回しだのラケット回しだの椅子芸だのトランポリンだの、数多くの芸人がめまぐるしく登場する。ダレそうになってくると、コメディ・リリーフらしき眼鏡の中年男(マイケル・ホイに似ている)と助手(千秋を可愛くしたような感じ)がギャグを飛ばして笑いを取る。
 なによりも、女性陣がいずれも可憐なのがよい。腿は太いが。曲芸をやっているときは緊張しきって真剣な表情なのに、決めのポーズをとるときに張りつけたような笑顔になるのが面白いと、後ろの席の若い女性はきゃっきゃっと喜んでいた。

 9時過ぎにホテルに着く。上海寶館という、やたらでかいホテル。一階ロビーにはチャイナドレスのお姐さんが立ち、「チョトオ兄サン、カラオケ、カラオケ」などと誘う、怖いところ。
 地図によると近所にローソンがあるらしいので、行ってみる。日本とまったく同じだった。店の構造も、オニギリやオデンまで売っているところも。もっとも豫園広場でも、おでんを「関東煮」として売っていたから、定着しているのかもしれない。もっともあの豆腐田楽だが。

12月19日(火)
 7時40分荷物出しと言ったのに、30分にはボーイが来る。おまけに荷物の整理をしていると、メイドがいきなり入ってくる。冷蔵庫のチェックをしに来たそうだ。でかいホテルだから、こういうのも仕方ないのか。
 朝食は四日連続でバイキング。不思議なのは、中洋折衷のバイキングなのに、飲み物はコーヒー、紅茶、ジュース、ミルクで、中国茶がない。頼めば出るのだろうが、どうも不思議だ。

 これで旅行もおしまい。バスに乗って空港へ。例のごとく、チェックイン、手続き、審査、みんな係員がやってくれる。
 一時間あまり暇があるので、空港の免税店をうろつく。毛沢東ライターを見つけ、購入。火をつけると「東天紅」が流れるというシロモノ。40元。今回の旅行で手に入れた、唯一の毛グッズであった。これは帰国後、自サイトの九万ヒットの御礼に進呈した。
 酔蟹(上海蟹を5匹くらい老酒に漬けこんだもの)を買いたかったが、300元だからなあ。ちょっと高い。酒の値段差から推測するに、市内で買えば、たぶん半額くらいだろう。惜しいことをした。
 帰りはさいわい霧もなく、時間通りに上海を出発。

 

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