まだ見ぬドクトルまんぼうを求めて

 どうもここんところ、体調がよろしくない。
 特に家にいるときの体調がよくない。

 私は落語や小咄の本を探し回って、自分の病気のアタリがだいたいついた。脾胃虚というやつである。

 ひいきよ病が、只ものを食いたがる。藪内笋庵様お見舞いなされて、「イヤ、得て素人は、ひいきよ病みには食はせさへせねばよいことのやうに心得てゐるものじや。随分かまはずに食はせるがよい。なにが食いたいぞ」病人「ハイそばをたべて」「ヲヲそばは能のあるものじや。よかろよかろ。一人は食へまい。をれも相伴せう。サアそばを仰せ付けられい。そば前に抓羊羹、葛饅頭がよい。そば後は豆腐汁にあんかう一味、くわへるがよい」といま迄とは打つてかへた療治の仕方。医者と病人が、ここを先途と食つて居るところへ、表から、「お頼み申しませう。笋庵、あなたに居りますかな。さやうならば御新造様へ、手前内儀申します。笋庵には何もお振舞ひ下されますな。ひいきよいたしておりまする」


          (「江戸小咄」講談社文庫・興津要編より)

 この本によると脾胃虚とは「胃が弱いのに、むやみに食欲の出る病気」とのことで、私の病状にそっくりあてはまる。

 GW直前に連休がある。2日間も家にこもってるのは体調によろしくない。転地療養を考えていたところ、新聞のチラシが目についた。
 伊東園グループの案内である。以前、母と一緒に那須塩原に泊まった、あの格安宿ですよ。
 母はあれから「旅行ならもうちょっといい宿にしよう」と懲りた様子だったが、私はこの伊東園をはじめ、大江戸、おおるりの格安御三家チェーンをもうちょっと探訪してみたい気がしていたのだ。
 本当なら未経験の大江戸かおおるりを優先させたいところだが、今回はひとり旅、おひとりさま同料金の伊東園でいくとしよう。
 ネットで検索してみると、多くの宿は4月27日、既にGW期間に突入していて、無料バス送迎期間から外れていたが、白樺湖と浅間温泉はまだ無料送迎期間だった。
 浅間温泉というと松本の近く。北杜夫が旧制松本高校で青春時代を送った舞台である。
 そんなわけで私は、北杜夫の「どくとるマンボウ青春記」と田山花袋の「温泉めぐり」の二冊、あとこまごましたものをデイパックに詰め、新宿駅に降り立ったのだ。

 新宿駅西口から都庁方面に行く途中の工学院前で8時45分に集合。今回はマイクロバスではなく、ちゃんとした観光バスだった。
 乗客35人ほどでほぼ満席。9時に出発。10時ごろ、八王子駅前で数人を拾い、乗客40人ほど。その内訳は、老年夫婦2組、中年夫婦3組、20代男女4組、30代男女5組、中老の女性2人が5組、年齢不詳の和服女性1人、天涯孤独の老人1人(私)、といったところだろうか。GWが近いせいか、ひとり旅が少ない。
 八王子から中央高速に乗り、ひたすら西へ。

 12時ちょうどに諏訪湖着。ここでドライブインに駐車、食事休憩。
 私は諏訪地ビールくろゆりってのととんこつ味噌ラーメンを注文したのだが、このラーメン、顔を近づけるとスープに獣の臭いがする。ところがひとくちスープを啜ると、あとは臭いを感じなくなる。なんかこれって食った記憶が……と思ったら、五反田の一風堂だ。あそこのスープもちょうど同じ臭いがした。店は一気通貫だが、つながりがあるのかな。ビール360円、ラーメン560円。

 13時に諏訪湖を出発し北上。13時半に白樺湖ホテルに到着。ここで20人ほど、若いのが全員降りる。
 ジジババは諏訪湖まで戻り、そこからふたたび高速に乗って松本へと向かう。
 松本は背景にアルプスこそあるものの、雑然と田んぼや住宅や工場が並んでいて、どこにでもある地方都市って感じ。
 と思っていたら市街地の中からぬっと天守閣が見えた。これが松本城か。
 思ったよりちっこい。それもそのはず、天守閣とその周りの堀しか復元していない。周囲は市街地。たとえば会津若松城や美作津山城なら、二の丸や櫓はなくても、石垣がちゃんと残っていて、「ああ、昔はこの辺までお城があったんだなあ」と実感できる。しかしここには、そんなもんカケラもない。昔の規模を偲ぶなにものも存在しない。
 これを見て「松本城って小さいわね」と言うOLはけしからん、と南條範夫がどこかに書いていたが、責められるべきはOLではなく、こういう復元をやっちゃった松本市だと思うぞ。

 松本市から10キロほど北上し、松本市営球場でマイクロバスに乗り換える。なんでも浅間温泉は道が狭く、観光バスは乗り入れできないということだ。
 たしかにそこからは細い道ばかりで、山すその袋小路みたいなところで降ろされた。ここが浅間温泉。路地裏愛好家にはたまらない迷路みたいな細い道がくねくねと続いている。

浅間温泉路地 伊東園ホテル浅間温泉

 ちょうど15時にホテルに入り、チェックイン。ひとりなら安い部屋あるよとポンビキのようなことを言われ、そちらに決定。1泊2食、税込みで7494円。
 たしかに狭いひとり部屋の洋室で、ビジネスホテルっぽい。机だけは立派だったから、たぶん以前はツアー客のコンダクターが泊まる部屋だったんではないだろうか。でもちゃんと茶菓子が4品ついている。
 でかい絵が飾っていたが、裏をあらためてもお札は貼ってなかった。
 タクシーに乗って松本市まで戻り、北杜夫の記念館がある旧制松本高校の跡地に行こうかと迷ったのだが、とりあえず浅間温泉をぶらぶらうろつくことにした。記念館には高校時代の北杜夫のテスト珍答案なども展示されているとのことで、楽しそうだったんだが、それはまた次の機会ということで。
 浅間温泉は歩いて回るにはちょうどいい。温泉街の端から端へ歩いて往復30分、横道にそれても45分ってとこか。
 東のはじっこが山すそになっていて、そのへんにホテルや旅館が多い。西のはじっこは松本市からの出入り口になっていて、観光案内所や土産物屋が並んでいる。
 温泉街の北東に「かどや」中央に「あるぷす」という、わりと有名な蕎麦屋があって、どちらかの店の蕎麦でちょっと一杯、と思ったのだが、あいにく夕方4時過ぎ。ランチタイムとディナータイムの狭間らしく、どちらも準備中だった。
 土産物屋が2軒並んでいて、温泉饅頭かしんこ饅頭を買おうと思ったが、あまり日持ちがしないというので購入を翌日にまわし、ホテルに帰る途中で、非常にひなびた、昭和の香りのする菓子屋をみつけた。あまり感動したので、そこで浅間小菊もなかを買ってしまった。10個入り1200円。

ホテルの部屋 昭和の菓子屋

 ホテルに戻り、浴場に行ってみる。
 残念ながらこの宿は、ちょっと狭めの展望風呂がひとつあるだけだった。ジャグジーも露天風呂もない。
 格安ホテルチェーンは自前で宿を建設せず、経営破綻したホテルや整理されたかんぽの宿を入手して経営するので、どうしてもホテルの設備には差が出てくる。
 18時から夕食バイキング。平日だからか7割程度の80人ってとこか。
 品数は50から60品目くらい。塩原より多い。
 麻婆豆腐と中華ちまきがうまかった。トリカラはやっぱり化学調味料の味が強すぎて自分にはあかんかった。
 刺身は1品のみ(今回は甘エビ)、肉類はハンバーグと鶏唐揚げまで、という伊東園ホテルの鉄則を、ここも堅守している。
 前回日本酒を飲み過ぎて二日酔いした経験に懲りて、今回はビールだけにしておく。10杯くらい呑んだかな。
 〆に食ったそばはそこそこおいしかった。他にラーメン、カレーもあったが未挑戦。

夕食 中ちゃん

 夕食後、もういちど温泉に入ってから、街に出る。
 夕方に前を通りがかって、これ店やってるんだろうか、潰れて放置されてるんじゃないだろうか、と心配していた「中ちゃん」という店が、夜にはちゃんと灯りがついていたので入ってみる。
 この店が面白かった。
 フィリピン人らしいママさんが、このへん一帯の外国人労働者や外国人留学生の相談相手になっているらしく、カウンターに座っていたのは中国人らしい若い男女3人と、フィリピン人っぽい色黒の男女。そのほかにもやはり中国人らしい若い男女が数人、店を通り抜けて奥の座敷へと入っていく。
 つきだしはこごみ。さっと茹でておかかと醤油をかけている。これがあっさりして、少し粘りけのある爽やかな風味。
 浅間名物だという鶏の山賊焼きを注文。鶏の半身をまるごと、骨だけ抜いて胡椒のきいた竜田揚げにしたようなもの。これをつまみに日本酒を呑む。
 山賊焼きという料理の語源にはいろいろあって、「山賊=人から物をとりあげる=鶏揚げる」という駄洒落説、鶏をスパイスたっぷりで丸ごと揚げるという豪快さが山賊風だからという説があるらしい。
 そういえば北杜夫の「どくとるマンボウ青春記」でも、パトス氏という先輩が浅間温泉に下宿していたとき、山賊と称して夜な夜な唄をがなるという話があった。松本住民には昔から山賊が身近だったのかもしれない。
 元気のいいママの喋りと中国人やフィリピン人の会話をBGMに、2時間ほどカウンターに腰を据え、小瓶の日本酒2本呑んでお勘定は3,000円。安いな。

 翌朝は軽い二日酔い。温泉に入ってから朝食に行く。
 夕食と同じ会場で、パンオムレツハムベーコンサラダカレー等の洋食と、飯味噌汁蕎麦海苔漬け物佃煮等の和食が並んでいるという、ありきたりな朝食バイキング。あまり食欲がないので、蕎麦と茶漬けだけにしておいた。
 ここの茶漬けは、飯にイカ納豆やらまぐろ山かけやら鰺たたきやらの海産物をのっけ、だし汁をかけるもの。わりと美味しかった。みんな美味しいと思うらしく、のちに伊東園ホームページを確認したら、これが全ホテルの朝食標準装備になっていた。

 チェックアウトギリギリの12時にホテルを出て、近所をぶらつく。
 東の山道を登っていくとお寺の中に不動の滝というものがあった。そんなに大きくはない。お寺の境内から流れる清流が、3メートルほど下の滝壺に落ちている。暑くなってきた天気の中で、そこだけひんやりとして涼しい。そこらをたむろする小さなブヨを狙っているのか、小さなクモが何匹か網を張っていた。

蜘蛛の巣にしぶきの粒の夏涼み
             虎玉

不動の滝

 まだ時間が余るので、温泉街の南西にある丘に登ってみた。
 雑木林の山の山頂に、ひときわこんもりとした丸い丘陵がある。立て札が立っていて、それによると1950年代に発見された桜ヶ丘古墳であるらしい。
 「どくとるマンボウ青春記」では、戦争中、浅間温泉に下宿した先輩のパトス氏が「夜な夜な裏山に登っていって、大きな焚き火を作り、山賊と称して大声に唄をがなった」というくだりがある。なんとなくだが、パトス氏が登ったのはこの古墳じゃないかなあ。ここから南に松本市街が見おろせるし、いかにも怪しげなことをやりたくなる雰囲気なのだ。
 むろんパトス氏は、自分が踏んでいるのが古墳であることをその時はまだ知らない。

 へとへとになってホテルに戻る。
 昼ごろだから蕎麦でも食うかと思ったが、昨夜の酒がまだ残っていて蕎麦も喉を通りそうにない。
 やむなく、ホテルのロビーの奥の休憩所で漫画を読んで時間をつぶす。
 こういうホテルや漫画喫茶に必ず存在するという、福本伸行の「賭博破戒録カイジ」である。
 14時25分にバスはホテルを出発。行きと逆の経路で、16時に白樺湖、17時に双葉PAで休憩し、18時半に八王子到着。新宿には19時15分到着した。
 どっとはらい。


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