闇に生きる者

 月にロケットが飛び、東京・大阪間を五時間で移動できる現代社会ではあるが、人間の相互理解という、もっとも大事なことは遅々として進んでいない。特に、異国の人間を理解することはまったく進んでいないといっても過言ではない。悲しいかな、世の多くの人は、映画や小説で誇張された風景、とっくの昔に消えてしまった風景を、現在の外国の風景だと思いこんでいるのだ。

 たとえばあなたがアメリカに留学したと仮定しよう。あなたは飛行機でロサンゼルスに飛ぶ。空港には、ロデオ姿のニキビ面の若者が待っているだろう。あなたがホームステイする、ローガン家の息子ジョニーだ。
 ジョニーに案内されて駅馬車に乗り込む。パラソルを持った貴婦人や、呑んだくれの医者、片目のガンマン、狐の目をしたイカサマ師などが同乗しているかもしれない。挨拶を忘れないように。「yap!」のひとことでいい。
 馬車はサボテンの林立する砂漠地帯を越えて走る。ひょっとするとインディアンの襲撃があるかもしれない。騎兵隊の援護が来るまで、馬車を横倒しにして盾にし、防御に努めなければならない。ライフルは使えるようになっていた方がよい。頭の皮をはがれないよう注意のこと。
 ようやくローガン家に到着した。大草原の中に、見渡す限り牛、牛、牛。想像もつかないくらいの大牧場だ。そこへ金髪のカウボーイが、だく足の馬に乗って颯爽と登場する。ジョニーの兄さん、マークだ。ガムを噛んでいる。
 邸宅に入り、当主のジェイムズ・ローガンさんに挨拶する。髭もじゃで巨体で、ちょっと怖そうだが、パイプを手に優しげな微笑みで、あなたをくつろがせてくれる。アメリカンジョークであなたを笑わそうとするかもしれないから、そのときは必ず笑うこと。
 与えられた部屋でしばらく休憩したあなたは、夕食の席に出かける。もちろん野外でのバーベキューだ。一キロはあると思われる牛肉の塊に岩塩を擦り込み、それをいくつも串に刺して、たき火で炙る。野趣あふれる、アメリカでもっともポピュラーな家庭料理だ。
 その席であなたは自己紹介をするだろう。そのとき、バーボンをラッパ飲みしていたジェイムズさんが、あなたに奇妙なことを聞くだろう。
「で、君はコウガなのか? イガなのかい?」

 しばらく質問の意味が分からなかったあなただが、ようやく気がつく。甲賀、伊賀のことだと。
「わたしは甲賀でも伊賀でもない。第一、わたしは忍者ではない」
 単語を思い出しながらやっとのことでそう言うあなたに、ジェイムズさんは追い打ちをかける。
「え、日本人なのだろうあなたは? 日本人なら、ニンジャではないのか?」
「日本人のすべてがニンジャではない。否。昔、ニンジャは日本に存在した。今、ひとりのニンジャも日本にはいない。もし日本人がニンジャなら、私は空を飛べるであろう。もとい、もし私がニンジャなら、石に花が咲くだろう」
「ほらみろ。君はやはりニンジャだ。空が飛べるじゃないか。妖術を使うじゃないか」
「いえ、それは仮定形未来の構文です。逆説法です。もし私が鳥だったら、私はあなたのもとへ飛んでゆくだろう……」
「ほほう、君は鳥にも変身できるのか」
 英会話に苦しむあなたに、夫人のマリーさんが助け船を出してくれる。
「失礼ですよあなた。お客様に」
「いや、わしは、ニンジャかどうかということだけ……」
「馬鹿なことを。本当にニンジャだったら、身分を明かしてはならないのですよ。ニンジャはシークレットを大事にするのだから」
 ジョニーも口を挟む。
「そうだよパパ。ニンジャはシークレットをばらされたら、ハラキリして顔を爆破しなければならないんだよ」
「オー、そうだった。ワシがうかつだった。許してくれ。君の素性は聞かなかったことにする。秘密はぜったいに守る。君がここにいる限り、だれからも安全だよ。イガにもコウガにも、指一本ふれさせない」

 こうしてあなたは暖かく迎えられ、無理矢理ニンジャにされてしまう。もはや何を言っても無駄だ。ラジオ体操をすればニンジャの通信手段と言われるし、日本から持っていった梅干しはニンジャの不老長寿食だ。浜崎あゆみのCDはニンジャが精神統一をするための高周波音楽だし、日本の友人からの手紙にはニンジャの秘密メッセージが込められている。日本食スーパーで蒟蒻を買ってきて炒めて振舞えば、「粗食に耐え、精神力を高めるためのニンジャの特訓」と言われてしまう。午前三時に暴れ牛がとどろくような咆吼をあげ、びっくりして飛び起きても、「さすがニンジャは周囲の物音に敏感だ」と感心されてしまう。ここの家の人は、どういう神経をしているのか、と判断に苦しむのはあなただけだ。

 二年間のホームステイが過ぎ、いよいよ帰国となる。ジェイムズさん御す馬車は、一家とあなたを乗せて空港へと向かう。いままでお世話になったローガンさん一家のご厚意に応えるためにも、あなたが行うべきことはひとつしかない。
「皆さん、二年もの長いあいだ、わたしを歓迎し、もてなしてくれてありがとう。お礼というにはあまりにお粗末ですが、最後にひとつご覧に入れましょう」
 あなたはすっくと立ち上がると、気合いとともに飛び上がる。馬車から馬に飛び移り、空港まで馬の腹の下に潜り込んでいなければならない。それが礼儀というものだ。青年よ、身体を鍛えておけ。しっかりと馬の腹を掴め。落ちたら死ぬぞ。


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